そのダウト、ゴミ箱に。
□3.2つ目のゴミ
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「…久我です」
誰もいないような校舎の影に行きアキは、電話を取る。
本来なら校舎内では携帯電話は電源を切っておくべきなのだろうが、学生実業家はいいだとか、そんなことを前に聞いた覚えがあった。
それにめったに携帯は鳴らないものだから持っても持っていなくても気が付かなかったのだ。
「アキさんかしら?」
自分の下の名前を呼ばれて驚いたのか、なんとなく聞き覚えがあるような気がする女の人の声に驚いたのか、どちらかは分からないが、アキは短く「え、」とだけ声を漏らした。
少し黙ると、電話口の女の人はアキを安心させるように穏やかな口調で用件を言う。
この人は一体誰なのだろう。聞いたことのある声だから、きっと何回か会っているのだと思うけど…
「大丈夫よ。私は久我の会長の秘書。今日は会長に『アキに仕事が入った』と伝えて欲しいと頼まれたの」
会長…つまり、自分たちの父親のことだろうとアキは思った。なるほど、ナツに回ってくる仕事も自分が片付けなければいけないのか。
学生実業家は海外や身内ではあまり珍しくはないが、久我は中学生の時に1人で大きなブランドを立ち上げて以来、今や国内では指折りの売上を伸ばしている。
元々久我はセンスもよかったし、質にこだわる性格だ。この仕事は彼らしいとアキはしみじみ思った。
さて、自分がこれから取り掛からなければならない仕事とは、一体なんだろうか?アキは携帯を閉じ、電話で指定された場所へと車で向かう。
黙って外を見ると、大きな看板が目に入った。綺麗な女の人の写真だ。化粧品会社か何かの宣伝だろうか。アキはその看板を通りすぎるまでずっと眺めていた。
別にモデルになりたいとか、そんなことを思っていたのではない。ただ、綺麗に撮って貰えることが多少羨ましく思えただけ。それだけ。
アキも今はこんな恰好をしているが、ただの16歳の女の子である。
可愛い洋服も好きだし、ぬいぐるみも小さな小物も好きだ。休みの日にはメイクだってしたいし友達とウィンドウショッピングもしてみたい。
そんな彼女が撮って貰いたいだとか、綺麗になりたいと思うことは普通であって。
「……ハァ…」
溜め息が車内に余韻となって残る。
まるで、手を伸ばせば掴めそうな、それくらいこの車内は狭かったのだろう。
目的地らしき店に付き、車を降りた時にはさっきまであった溜め息は空に消えて行った。
アキがドアを開けて中に入るとそこには、何もなかった。
「――アレ、」
騙されたか?いやいやそんな筈はない。キョロキョロと辺りを見回し、人影を捜す。すると自分の後ろに人の気配を感じ、振り返る。
「アキさん。お待ちしておりました」
「…あ、」
そこには、さっき電話をかけてくれたであろう女の人が待っていた。なんというか、真面目そうな人だった。この人が自分の父親の秘書…。
「あぁ、ご挨拶が遅れてしまって。私、こういうものです」
丁寧に名刺を渡されたのでアキは小さく返事をして受け取る。
そこには西藤咲と書かれていた。西藤咲…さいとうさき…アキは心の中で何回か繰り返して名前を覚えようとする。
ただでさえクラスメイトや学校関係、仕事関係の人達の名前を全部頭に入れているのだ。前までは人の名前を覚えるのは苦手だったが今は楽しいと思えてきた。
それはそうと、この名前…どこかで…西藤…咲…さき…さき…ん?アレ、もしかして。いやそんなバカな。
いくらなんでも外見が大分変わっているし、本人だと断定出来ない。でも、もし本人だったら…
「……もしかしてさっちゃんだったり?」
「お久しぶりです」
「えっ!?ウソ!さっちゃんなの?」
これが!?と大きな声で指を差してしまい、はしたないと怒られる。
彼女、西藤咲は、アキとナツが小さな頃に色々な習い事を教えてくれたお手伝いさんで、ナツが事故に遇った時に電話をくれたお手伝いさんのお姉さんなのだ。
久しぶりに会った咲の身なりは変わっており、前は茶色の髪で少し茶目っ毛があったのだが今はずいぶんと大人しくなり、髪は黒く眼鏡をかけている。
「人間って、こんなに変わるものなんだね…」
「それ、久しぶりに会ったナツくんにも同じこと言われたわ…」
本人の話によると、家庭教師兼お手伝いさんから昇格して社長秘書になったので少し大人しくしていようということだった。多分、変な事をするとすぐ飛ばされると思ったのだろう。
父なら飛ばしかねないのかもしれないとアキは思った。自分の知っている限りはそういう人だから。
「それより、用件は?」
アキは思い出したように突然その話題に話を戻す。咲も忘れていたようで手元にあったファイルを捲る。仕事に関係するファイルなのだろう。
咳払いをすると、眼鏡を直して淡々とメモを読む。
「ここに店を構えるらしいですね。それを七瀬ナツにプロデュースして欲しいという話です」
「…七瀬ナツに…。それって、私じゃなくても…」
「それがね、貴女じゃないと駄目なのよ。双子の感性でなんとかして欲しいの」
「双子の…」
アキはこの手の仕事に関しては全くの無知である。プロデュースと言っても何をすればいいのかも分からないし、どこまで手を付けていいのかも分からない。
そんな自分よりは久我の仕事を支えてきた人達でやった方が確実だと思った。
「…それじゃあ、このテーブルに合う壁の色は?」
咲は目の前に合った透明なガラステーブルを指さす。遠くから見れば分かりづらいが繊細な作りで、ガラスにほんの少し白みがかかっているような気がした。
「…スカイブルーとか、爽やかな感じ…?」
色の種類なんて絵具にあるようなのしか知らないのでそれしか出てこなかった。
この部屋の作りも割とシンプルだったので綺麗な色が似合うかなーとか、そんな感じでアキは言った。
「ホラ、私たちはそれが欲しいのよ」
「…え?それって…?」
「彼に聞いた時も同じことを言ったの」
ナツと、同じことを…?
元々そういう神秘的な事はアキ達双子の間では顔と声が似ている以外なかったので、アキは嬉しい気持ちになった。
「センスが似ているから、私たちが考えないような思いだけないことも言ってくれると思って。私は本家の人間だけど、これでもナツ君のお手伝いもさせていただいてるのよ?どう、一緒に頑張らない?」
甘い。とても甘い誘いだ。
咲が伸ばした手をアキは見つめる。自分には断る権利が存在しない。ここで断ると父親に言われたことも果たせなくなってしまう。
それは困る。
手を伸ばして、咲の右手を握った。
「これから、よろしく」
そうアキが言って小さく笑うと、咲もにっこりと効果音が聞こえるように笑った。張り付けたような笑顔に少し違和感をアキは感じる。
「それじゃあよろしくね。資料はパソコンに既に送っておいたから」
アキは携帯で車を呼び、マンションへ帰って行った。
違和感はこのことだったのだろうか。家に帰ってメールボックスを見ると恐ろしい量のメールが。先は長くなりそうである。
あれから何回目の朝だろうか。
アキは、ただ淡々と資料を読み続けていた。ナツはいつもこの量を…?
ファイルを取りこんだだけでパソコンが重くなり、フリーズしてしまった。アキは一旦休憩しようと席を立つ。
後半年以上は待ってもらえるらしいのだが、あまりの張り切りぶりにファイルをもらってから数週間あまりしか立っていないのにもう完成予想図が頭の中に出来てきていた。今月中にすべて打ち込んで送るつもりだ。
これで、まず初めの作業はクリアとなる。この段階を踏んでいき、お店のプロデュースは完成となる。最初の作業がこれだけ時間がかかるのなら、しばらくは缶詰の覚悟でいる。
「…あ、学校…」
アキは忘れていたことがあった。それは、ナツの代わりに通っていた学校のことだ。
あれから学校には顔も出していない、そろそろ父親の耳に入ることだろう…出席日数をどうにか出来ないか後で咲にでも相談しようと、ストレートの髪をくるくるといじる。
アキの耳にはナツはまだ起きていないと連絡が入っていた。それならしばらくは通わない方がよさそうだと思ったので、アキは大学院には行っていない。
何度も通っていたら、怪しまれてしまうし父親からも止められていた。行こうとしていた日にタイミング良く言われてしまったのならそれは諦めるしかないだろう。
しかも、父になら尚更。
「私は、これでいいんだよね…」