承花
□夢じゃない
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「ただいまー」
花京院が玄関の扉を開けると、襲いかかるように冷気が流れてきた。
流石に冷やし過ぎじゃないのか、と眉を寄せて靴を脱いだ。冷房の効きすぎは節電にも影響がでるし、健康にも悪い。とはいえ、8月の猛暑の中を歩いて帰宅した彼としては、贅沢をしたいとも思う。
リモコンを奪い温度を上げるのはもう少し後回しにしようか。
考えながら花京院はリビングへ繋がるドアを開ける。既にソファに寝転がる承太郎の姿は見えていたのだが、案の定ぐっすり寝ているようだった。
(まったく、風邪をひくぞ)
暑かったとはいえ、この室温は肌寒い。増してや寝ている承太郎の健康を気遣い、テーブルの上にあったリモコンを手にする。
結局温度を上げると電子音が鳴り、その音で承太郎は目を覚ました。
「あ、ごめん起きちゃった?」
「ん……いや…」
(おや)
承太郎は転がったまま目を擦って、うまく言葉を発していない。
(なんかかわいい、承太郎)
ソファの前にしゃがんで、花京院は微笑んでみせる。
暫くまどろんでいる彼の様子を見ていると、急に勢いよく体を起こした。
「うわっ!いてっ」
「やべェ、寝ちまった」
驚いて思わずテーブルに背中をぶつけた花京院は、背中を摩りながら「え?」と一言で問いかける。
承太郎は座り直し、花京院と向き合う。
「今、何時だ」
「17時過ぎだけど」
「おめェ、今日19時くらいになるとか言ってたじゃねえか」
ものすごい剣幕で顔を近づけてくる承太郎に、花京院は思わず立ち上がり、後ずさった。
「何があったか知らないけど落ち着けよ!もう、僕ちゃんとメール入れたぞ。15時頃だ、今日はゼミがなくなったから、早めに帰れるよって」
慌てて弁明する花京院を前に承太郎はポケットを探るが、携帯はない。周辺を見回すと床に携帯が落ちていた。着信を知らせるランプが光っている。どうやらメールはしっかり届いているようだ。
花京院はソファに並ぶように座り、携帯を開く承太郎を見つめる。
「何、僕が帰ってきたら都合悪かった?」
わざとらしく口を尖らせてみせると、承太郎は急いで携帯を操作した後、「いや…」と片手で頭を抱える。
「問題はないんだが」
「……」
「……」
花京院は、少しがっかりしていた。朝から少し心が浮足立っていて、帰宅後に承太郎から何かあるのではと期待してしまっていたのだ。
承太郎の様子を見る限り、忘れていたか用意する時間を失ってしまっていたか。
欲は言わないつもりだった。
傍にいれればそれでいいと思っていた。
時間を共にすればするほど欲は失われていくものだと思っていたが、ついつい彼に期待してしまう。記念日とか、そういう日をいちいち祝いたいという思いはないが、悲しい気持ちが増幅してしまう。