花弁

□カルセオラリア
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ブチャラティが黙ったままサイドに乗せてあった小さな陶器の人形の腰のあたりを指先でつまんで持ち上げた。羽根の付け根あたりを手の平で覆って、白い頬を親指でそっと撫でる。天使らしい女の子の白いワンピースをかたどった固い布は私たちの頭上で少しもなびかずに細い足首から上をぴったりと覆っていた。伏せられた金色のインクが、人より長めのまつげを作っている。ブチャラティはその子を仰向けの胸あたりまで下ろしてきて、ちらりと私の方を見た。
「どこで買ったんだ?」
「そこの小物屋さん」
大層意外だったらしいブチャラティがしばらく私を見つめる。シーツを顎の辺りまで被り直して私は体をブチャラティの方へ向けた。
確かに私の部屋は雑然としている。ライトは上から吊すものだと取り替えが面倒だからという理由でスタンド式の暗いヤツが部屋の隅にぽつんと立っているだけだし、食事用のテーブルも、木製の至って地味なものだ。食器も一食分しかない(ああ、これはブチャラティが来るようになってから二人ぶんに増えた)し、テレビも小さいのが地面に直に置いてある。電源コードは繋がずにスタンドライトのあたりに投げ出してあった気がする。あと部屋にあるのは、景色を眺める用に置いてある窓際の椅子と暇潰し用のファッション誌くらいだ。ちなみに、この寝室にあるのはベッドと、無造作に脱いだ服と、今日着るのを選ぶために存在している服の山と、この天使の人形だ。
こうやって自分で考えてみても明らかに女の子だけが浮いている。まだ私を見ているらしいブチャラティを開きづらい眼で見上げてから、私は目を閉じた。
「なんとなくよ。なんとなく」
その子が視界に入るまで、そこが小物屋だって事さえ知らなかったくらいなのだ。どうして買ったのかなんて考えてみてもわからない。うだうだ考えるのは苦手だ。ブチャラティがもう、人形について私を問い詰めるような目で見ていないことを祈りながら、ゆっくりと意識のレベルを落とす準備を始める。
「装飾品だとか娯楽に意識が向いてくるのは良い傾向だ。バカにしてるわけじゃない」
「分かったから寝たら?まだ四時じゃないの」
「センスが良いな」
「…………………」
これはブチャラティなりのわがままだ。私が明らかに構って欲しくない態度なのを分かっていながら延々独り言みたいに呟く。誰よりも大人びて見える二十歳のくせに、そういうところは頑固なんだから。もっとも、私がもっと寝不足だったならブチャラティは黙ったままだったんだろう。私は昨日帰ってすぐ、夕方の七時にはベッドに倒れ込んだ。ちょうど今も、目を閉じても少しも眠くならなくて困っていた所だ。
仕方なく私が目を開けると、それとほぼ同時にブチャラティも体をこちらへ向けた。スプリングが軋んで、無意識に眉間に皺が寄る。天使は私達の間に立てられて、白い額を私達の足の方へ向けた。小さな足だけでは支えきれない体のための薄い円柱状の面白みの無い台が柔らかいシーツの上でバランスをとっている。細い指が綺麗に組まれているのがちゃんと分かった。これ、高かったんじゃあないかしら。値段なんか覚えていないけど。
「君を助けに来たんじゃあないか。こいつは」
ブチャラティが天使越しに私をみる。黒い髪が、色の薄い部屋と天使に映えて私の目の奥をぐっと押した。
「私の何を助けに来たって?」
「君の……部屋か」
「やっぱりバカにしてるんじゃない」
笑ってしまった私につられたのか、ブチャラティもにこりと微笑んだ。まあ、確かにそう思えない事もないかもしれない。なんにもないこの部屋に、目のさめるような白い肌と金色の髪、それから首に巻かれた青いリボンは、私にスタンドライトの電球を古い白熱灯から白い蛍光灯に変えさせるくらいの気分は沸き起こさせているような気はする。
「今度花でも買って来よう」
「ありがとう。でも水は替えないわよ私」
「そのくらいは俺がやるさ」
「前から思ってたんだけど、ブチャラティって私に甘すぎない?」
「……そうかもしれないな」
穏やかな顔でそう言いながら、ブチャラティは体を捻って、人形をやっとどけた。もともとあった場所へ、顔だけはこちらに向けて。少しずつ昇ってきた太陽の光が正面から当たって、ちょうど眩しいからって目を伏せてるようにも見える。私は少し体を起こしてカーテンを閉めてやった。
「まだ寝るのか?」
「それもいいかな」
ブチャラティが、仕方ないな、という風にわざとらしく息を吐いて私の手首を引いた。一瞬抵抗した私の背中まで、ほんの少し体を起こして捕まえる。結局脱力した私をすっかり覆って、ブチャラティは子供をあやすみたいに私の頭を撫でた。こんなに落ち着く場所は世界中探してもここしか無いんじゃあないかってくらいに、ブチャラティの腕の中は暖かい。一体どこから戻ってきたのか、睡魔がぼんやり脳内を侵食し始める。
何度か瞬きをした私の視界、ブチャラティの肩越しに天使が見えた。なんとなく見られている気がして、私は腕を伸ばして指先で人形の足とくっついている台を九十度回した。
「向きを変えたのか?」
「うん」
「気が利かなかったな」
「いいわよ別に。おやすみ」
言って、正面にあるブチャラティの首筋にキスをすると、ブチャラティも一度私の額にキスしてからおやすみと呟いた。天使がブチャラティを連れて来たのか、それとも逆なのか、きっと前者だろうな。考えながら、私は目を閉じる。毎晩、毎朝こんな幸せな気分で眠れたらどんなに良いか。鎖骨あたりの白い胸にぺたりと顔をくっつけて、止まない心臓の鼓動を子守唄がわりに眠る事にした。


私の伴侶

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