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□若さと花束
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「君はここで何をしてる?」


ななの聞いたことのない低い声が少し離れた位置から聞こえてきた。


「…あっごめんなさいっ、じゃなくてえっと、その、美術部に興味があって」


「ここはきやすく立ち入っていい場所じゃあ無いのだよ」



初対面の人に手厳しく注意されてしまったものだから、そこに立つ背広を着た背の高い男にななは委縮して縮こまる。


この出来事は、入学したて、春の桜がもう散るころだった。
新しいクラスメイトが何の部活に入ろうかとか、サッカー部の先輩がかっこいいから見に行こうとか騒がしく校舎に響く叫び声や笑い声の中、それとはかけ離れた静寂の3号館に私はいた。



夏のオープンキャンパスで見た美術準備室の日本画をもう一度見たくて、そしてできれば美術部員になろうと思っていた。
カツカツと私の前を通り過ぎて窓の外を眺める先生の背中に向かって、素直にその旨を伝える。



やけにダンディーな空気を醸し出す先生は後ろ手に手を組んだまま少しだけ振り返ると、私に向かってこういった。



「美術部はとうの昔に廃部になったのだ。あきらめなさい」


ああ、そうだったんですか、とこの時は一つ返事をすることしかできなかったのだけれど、のちのち、入部を希望する者すべてにそのセリフを言っているという事実を知ることになる。



「美術大学に行きたいなら放課後ここで漠然と暇をつぶすよりは受験科の予備校に行った方がいい。私がいればともかく、近頃不在のことが多くてね」


「そうですか、分かりました」

そう言って、期待はずれに若干肩を落としぎみでななは美術実技教室を立ち去ろうとした。


「それでは先生、失礼しました」



その言葉の後、真新しい制服に身を包んだ少女に向かって、美術実技教室の開け放たれた扉から吹き込んだ晩春の温かい風。

「…っ」

巻き上げられ、翻るななの髪を、感慨深げに見つめた後、一瞬の沈黙が生まれた。



「………君の名前は何と言う」

ほくそ笑んだダンディーな先生に笹川ななだと告げると
先生はほうと一言相槌を着いてからまた目を細める。


「ななか、美しい名だ」


そんなことは一度も言われたことがないので驚いてしまって、思いきり「えっっ!!」みたいな顔をするななを見ると先生は、「しかし君はその名に見劣りする。」とさらりと言って今度はコーヒーメイカーのスイッチを入れてミネラルウォーターを注ぎ込んだ。


「さぁ、もう帰りたまえ。私はこのあと会議という全く無意味な集会に参加しなくてはならないのでね」


とくとくと注ぎ込まれていく500ミリのペットボトルの水があっという間に空になってしまうまでの間ななは、この人、なんて失礼なおじさんだろう。そうぼんやり考えていた。




第一印象は「心外なおっさん」

その一言に尽きる。






******


その次の日の朝、HRの後で上杉先生に呼び止められた。


「こみやなな、さくじつ びじゅつきょうゆの まつながだんじょうひさひでせんせいが きょうのひるきゅうけいに さんごうかん よんかいの びじゅつじつぎきょうしつまで くるように とのでんれいをたまわりました。ですから きをつけていってきなさい。おとこはおおかみなのですから」


「……???」


先生が何を言わんとするのか、ちんぷんかんぷんな私に、上杉先生は、「あのひとは なにをかんがえているのかわかりません、すきをつくってはいけませんよ。」と顔を至近距離に近付けて美しい忠告を下さった。


まだあんまり慣れない新しい教室で授業を受ける。昼休憩まで長いな、とか思っていたけど、なんだかんだ言ってあっという間だった。お昼は急いて食べて、どこいくの、とか友達に聞かれたけど、詳しい説明は無しで「3号館」とだけ伝えて席を立った。



教室は一号館の四階、そこから二階の渡り廊下を走ってひっそりとした三号館へ入る。
三号館は実験教室、実技教室、視聴覚室、調理室とか移動教室の集まりだからいつも比較的閑散としていて静かだ。



空気もひんやりしていて春のこの季節には少し肌寒いとさえ感じる。
三階に行きつくころには足取りも衰え、少しの緊張をはらんだ私の心に手を当ててみる。
先ほどの上杉先生の言葉を思い出しているせいだろうか。


「おとこはおかみなのですから、すきをつくってはいけませんよ…よ…よ」
ぽわあ〜んと私の脳裏でエコーのかかる美しい声。


「何で私にいったのこれ?えっ…どうしてだっけ??」


頭の上のぽわわぁん…をばっさばっさとかき消して、そんなことありはしないと思いなおして、美術実技教室のドアを引いた。
その音を聞いたらしい男がこの前のようなセクシーな低い声で私を呼ぶ。



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