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□頑張ってるの知っているから
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夏服に衣替えした生徒たちが校門を行く。
ああ、もうそんな時期になったのだ、と俺はすでに青々と茂った桜の木をぼんやり見上げながら感慨に耽った。

年を取ると時が経つのが早い。これは経験値が上がってきているからだ。
色々なことが無意識に過ぎていってしまう。

「おい、こらそこ。ネクタイ締めろ」

昔のことは更に遠のいていき、今のことでさえ、曖昧で深く気にすることもなく時間は経過してゆく。物事は通り過ぎてゆく。

教師になって5年が過ぎたところ、自分も妙な慣れのようなものが出てきてしまったのかと、心を今一度戒めなければ、と考えた。



俺の家は地元でも結構でかい八幡神社だった。父と母はもうとっくの昔に死んだ。家は現在伯父が継いでいる。
俺は勉強は真面目にしたが、神社と言う神域に自分の身を置いて生業とすることが自分の道だとは思えなかった。


それに俺はどこかあの家に
望まれていなかったような気がする。

現に俺は中学を卒業してすぐに全寮制の高校に入って、伯父とは別で暮らしていたし、年末になっても帰るのは自分が通っていた剣道の道場だった。道場の方がよっぽど俺にとって温かい家族の様だったし、伯父はそんな俺に連絡の一つも寄こさなかった。


家を出る前、高校受験の合格発表があった夜のことだ。

俺は台所で皿を洗っていた。そうすると近所の奴と伯父が勝手口の外で話しているのが聞こえた。


聞くつもりはなかったが、どうやら俺が合格したことを知った近所のおばさんが目出たいからと俺に赤飯を持って来てくれたらしかった。

俺は素直にうれしかった。
合格した高校は学費が安く、負担がかからないところを念頭に選んだ。

そういうところはある程度勉強ができないといけないから、俺もそれなりに勉強した。
伯父にとっても甥が進学校に受かればそれはそれで鼻が高いだろう。

でも、伯父は「あいつはなにしてやってもあんまりよろこばねぇからな」
とそういった。

つまらなそうに言った伯父の言葉尻が何となく俺の心に突き刺さって、俺の心はそれきり閉じてしまったように思う。


今思えば、俺は自分のことは大抵自分でできたので伯父や親類からしてみるとあまり可愛い子供ではなったのだろう。



まぁ、それは今でもそうなんだが。この年になって可愛いもくそもないから、まぁいいとしよう。



***

始業のチャイムが鳴ると、校門は閉め切られる。最近は物騒な事件が多いから学校も警戒心を強めている。


「早くしろ、前田!閉めるぞ」

「やぁ、おはようさんーっ!」
「走れ!」

「へいへい、なぁ片倉せんせ、
もうちょい待ってやってくんねぇかな、
さっき坂の下に女の子いたんだけど」

「人の心配はいいから早く教室に上がれ!」


それがつまらない(前田のような)男子生徒なら俺は即効で門を閉めていただろう。でも女子に無碍(むげ)なことは出来まいと今しばしの猶予を与えてやることにした。


坂の下から急ぎ足で登ってくるのは、学園指定の茶色い革の鞄を持った女子生徒だった。前田の言っていた生徒に違いないだろう。
俺が急げよーと声を張ると、こちらに顔を上げて俺の顔を確認する。


膝に手をついて息をして一呼吸置くと、女子生徒はもう一度早歩きで坂を登りだした。
ポニーテールがせわしなく揺れて、俺の心の方が急かされるようだ。


「笹川なな、珍しいな。
お前が遅刻なんて」

「はい、すいません、忘れ物してしまって途中で戻ったんです」


はぁと情けない息を吐いて前のめりになる笹川ななの腕を支えてやりながら、何を忘れたんだと聞くと、笹川は非常にばつが悪そうに数学の問題集だと答えた。

俺は数学教師だ。

「ったく、しょうがねぇな。今日は多めに見てやる。おら、教室上がるぞ」

「わーなんだよ片倉、俺とは扱い全然違うなー」

「うっせぇ!お前と違って笹川は日ごろの行いが良いんだよ!!ちょっとは見習え!!」

なながぺこりと会釈して目をぱちくりと瞬かせた。



俺は、今年一年の担任になった。
笹川は俺のクラスの生徒だ。こいつは至って真面目な生徒で、人柄も穏やかで話もしやすく、クラスでもすぐに友達ができるタイプの女子だ。
風紀を乱すタイプの生徒でもないので、服装もきちんとしてる。


でも俺にとってこいつは普通の生徒とは違った。

こいつはもう覚えていないようだが、俺がまだ神社に住んでいたころ、こいつは所謂、近所の氏子さんで、笹川の祖母と共にお百度参りをしに毎日うちに参拝していたのだ。俺は家の手伝いで境内の掃除や神事をやっていたからそれこそ毎日顔を合わせ挨拶をした。ななと境内で餅を食ったことだってある。



笹川という苗字とあの黒いくりくり目、それから笑い方が昔と何にも変わっていないせいで、俺は入学式で顔を合わせた日、すぐに気がつくことができた。


笹川のばあさんは元気にしているだろうか。


***
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