11/16の日記

01:49
浮竹小説、「雨乾堂に雨が降る」
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こんばんは!のろのろ登場松風です。

時には颯爽と登場したいですね、何回も頻繁に登場したいものです、胸を張ってね。(´;ω;`)


さてさて、浮竹さんの超裏夢、「雨乾堂に雨が降る」(以下雨雨)について今日はじんわり語ってみようかと想います。

私は雨が大好きです。大好きな映画「メンインブラック2」で、「悲しいと雨が降るだろう?君が泣くと雨が降る」というようなセリフがあり、心に残っています。天気は感情を表す事が多いですが、雨は悲観的にとられがちです。確かに暗く、冷たいものでもありますが、雨に癒されることもあります。

ここでの雨は、ぬるい雨です。他のお話でも、嫌な雨とか、激しい雨とかいろいろな雨を降らせているんですが、ぬるい雨っていうのがとっても情緒があって素敵だと思い、あめの景色を主題にしてこのお話を書き始めました。

主人公に募る思いがだらだらと流れて、その行く末も降り続く想いに流されていく。このままいったら自分はどうなってしまうのだろう。邂逅の兆しは見えるのだろうか。雨があがった先の結末とは何だろう、なにが開けたことになり、何が悲しい結末なのか。

ハッピーよりもバットエンドよりも、答えより、通過していく流れの中に自分の想いを見つめ、自身の想いの重圧に苦しくなったりする過程を答えそのものに仮定するなら、雨が上がることは終わりでもはじまりでもないのではないか・・・みたいなことを考えています。

訳のわからない話になってきましたが、平たく言ってしまえば、ぬるい雨もわるくねぇぜってことです。まだ浸っていたい、なんぼでも濡れていられる、温かい温度なら。
煮え切らない想いをどう処理しようかって思案に暮れつつ、見つけるつもりのない答えを探すふりをして彼女を想い続けたい。そんな誠実すぎて、変にいい人になっておく手になり過ぎてしまった男のわびしさを京楽はさっぱり笑い流してしまう。

そういうのも流れの一つに過ぎないじゃないか、この年になって何思う、みたいな感じです。

でも何歳になっても人は恋するし、好きになるし、傷つく。でも大人になったらその深い傷も大事に愛すことができるようになる。


なんだかまとまりのない文ですね、すいません。

情緒ある雨と流れる想いをかけたらと奮闘中ですので、お楽しみに!!


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