おそ松さん

□時々迷子になるカラ松の話
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どこから現実でどこから夢だっただろうか。




その日は酷く肌寒い朝だった。どうしようもない胸騒ぎの中、いつもより早く目覚めた俺はまだ日も昇らない薄暗い部屋を視線だけで見渡して静かに息をつく。視界に入った壁掛け時計の短針は、酷く項垂れているようだった。

(…5時か、)

先ほど見た時よりも半時間も進んでいなかったが、なんとなくこのまま眠る気にもなれない。うっかり持て余してしまった暇を邪険にもできず、両隣の兄弟を起こさぬようそっと布団から出ることにした。

他の兄弟はまだ誰一人起き出す気配はない。それもそうだ、ニートの朝は本来もっと穏やかなのだから。
静かに寝息を立てる兄弟達を見下ろしながら、心の奥底から沸き上がった違和感に内心首を傾ける。何故だか無性に心細い。俺は此処にいてもいいのだろうか。













「あらカラ松、もう起きたのね」


体重をかける度に鈍く軋む階段を慎重に降りた先には母親がいた。居間に入るところだったらしく、襖に手を掛けながら物珍しい視線を向けられている。俺も軽く挨拶を返したが、珍しく早朝に起き抜けた息子を特に気に留める時間もないらしい。「朝食はまだよ」と立ち去ってゆく母の背を見送りながら自分もゆっくりと襖に手を掛ける。マミーはいつもこんな早朝に起きているのだろうか、母親ってすごいな。


覚醒しない頭から抜けない微睡みのなかで、ぼーっと母の後を追いながらゆっくりと卓袱台の前に腰を下ろす。

母親の姿はない。

暇だからテレビでもつけよう、なんて急に暇であることを思い出してテレビをつけるも砂嵐だ。

時計の短針は3を指している。ああ、どおりで…どおりで誰も……













「…おい、おいっカラ松」
「…?ん…うん?おそ松か…?」

呼ばれた名前は誰の名前だったか。記憶を手繰り寄せるまでもなく俺の名だった。
俺の…名前でいいのだろうか、まぁおそ松でもチョロ松でも一松でも十四松でもトド松でもないんだから俺の名前はカラ松だ、大丈夫だろう。多分。


「おはよう。今日は早いんだな、おそ松。世界の果てから零れ落ちたシャイニーブルーの慟哭に魂が共鳴したのか?いいぜブラザー、悪戯な運命に翻弄されしおそ松girlのためなら時に大儀な制約を破ったって仕方ないさ…なあそうだろうブラザー」
「あーいたたたたお前ひでーよ出落ちとかやめてくんな…じゃなくて、確かに俺の寛大さは国宝級だしお前の狂言や奇行には慣れてるつもりだけど」
「唐突に酷い言いようだなブラザー」
「ああもう!そうじゃなくて!なあカラ松、今何時だかわかる?てか此処がどこだか分ってる?なんつーかお前さぁ最近大丈夫なの」


大丈夫とは何のことだろうか。
何かあったのかと言いかけて、思わず口を噤む。真っ直ぐに向けられる視線が少し怖いが、違和感はそこじゃない。目の前のおそ松は今、誰に何と言った?大丈夫かなんて誰かを心配したようなそんな言葉を掛けなかっただろうか。

辺りを見渡してみるが、そこにはいつも通りの殺風景な居間だ。俺とおそ松以外に人の気配は無い。どうやら弟たちは出掛けているらしい。だとしたら俺に掛けた言葉で間違いないらしい…おかしいな。ただならぬ違和感に急激に身体が冷える、どうしてこんなにも指先が冷たい。まさか…まさか、違うのか。もしかしてカラ松じゃないのか。俺は。じゃあ一体……


「おそ松…兄さん、」
「ん?」
「いや、あの…何と言ったらいいか、その」

冷たい指先を擦り合わせながら言うべき言葉を探るが、いかんせんカラっぽの頭ではなにも思いつかない。何と切り出せば良いだろうか。寧ろこれは切り出すべき話題なのだろうか、兄弟とは言えこんなくだらない話を、唯一の兄などに。できるはずがない。そもそも大の大人がこんな馬鹿げた私情を他人任せに解決するのはどうなんだ。とにかく何か言わないと…こんなときに口が達者なチョロ松やトド松ならどう切り抜けるろうか。

「おーいカラ松?」
「えっ…あ、ごめ」

顔を覗き込まれたらしく先程より近づいた距離感に思わずぎょっとする。おそ松のパーソナルスペースは基本狭いので普段なら何も思わないものだが(多少鬱陶しいときもあるけど)、なんとなく今はどうしても居心地が悪かった。不甲斐ない。そして俺はやっぱりカラ松なのだろうか。

「まったくお前もほんとしょうがないなぁ」
「えっ…ご、ごめん」
「んー、なーカラ松ーどうせ今日も暇だろ?今からちょっくらお兄ちゃんとパチンコ行こうぜ」
「パチンコ…俺とか?ああ、まあいいが珍しいな…っ、え?あ、お、おそ松?」

ぽんぽんっと軽く頭を撫でられた感覚に思わずビクリと身体が強張る。誰かに頭を撫でられたのなんていつぶりだろうか。パチンコだっていつもなら俺を誘うことなんてないのに、もしや何かまた善からぬことでも企んでいるのだろうか…という疑念を抱きつつも恐る恐る視線を合わせるが、当人は素知らぬ顔でこちらを見ているだけだった。

「なぁカラ松。お前さ、お前以外に誰がいるってんっだよ。俺らが覚えててやれるのは俺らがいるときだけなんだからさ」

お前も忘れんなよ?まあ離れてやる気もないけど

目の前のおそ松がいつも通りのふざけた調子で言う。
その声色が本当にあまりにもいつも通りだったからこれ以上何も言えなかった。それでいい気がした。
そうか、おそ松が言うなら確かに俺はカラ松かもしれないな。

確かにこの時の俺はこんなにも簡単に納得していた。























おそ松との一件から自分の中で変わったことが二つある。
一つ目は時間感覚だ。これは変わったというよりも取り戻したと言った方が正しいかもしれない。後々に聞いた話だが、最近俺は夜中に起き抜けては居間で一人で喋っていたり昼間はやたら居間で眠っていたりと大変奇妙で不規則な生活をしていたらしく、あの日パチンコの帰りにおそ松から塩少々のお咎めをくらった。昼寝が長いのはまだしも、夜中に居間で独り言を呟く兄弟に出くわすのは確かに怖い。たとえ相手がオンリーロンリネスライフを愛するギルトガイだろうが正直怖い。生憎深夜徘徊に関しては記憶になかったためどう治そうかと悩んだが、就寝前に睡眠薬を服用してみるとアッサリと解決した。「お前最近夜中静かだよね、大丈夫なの?」なんて先日もチョロ松から聞かれたのだから薬が効いてよく眠れている証拠だ。多分もう大丈夫だろう。
二つ目は自分の価値観についてだ。チビ太に誘拐されて以来、俺は自分の存在意義や価値観と向き合う機会が増えていた。なんで助けにきてくれなかった、なんであんなものを投げられなければいけなかった、なんで誰も見舞いにきてくれなかった。そんな独りよがりで自意識過剰な被害妄想を抱きながらも、求められない自分が悪いと結論付けて諦める悪癖が身についていたように思う。これも今だからこそ、そう思えるのだろう。あの日おそ松が「お前以外はカラ松じゃない」と言ってくれた今だからこそ冷静にそう思える。そして今に至っては「俺でしかないカラ松はやっぱり何をどうしたって此処では不要な存在なんだ」と冷静に考えられるようになった。唯一の兄はそれを気付かせるためにああやって遠回しに助言してくれたんだろう、やっぱりおそ松はすごいと思う。

そんな二つの変化を自覚して以来、俺は家を空ける機会が増えた。
身体が妙に重かろうが喉が酷く乾こうが今日も今日とて俺はカラ松girlに会いに行く。昼寝に費やしていた時間のほとんどを今やカラ松girlの為に捧げているのだ。












「おいクソ松、邪魔」

それはいつも通りの不機嫌そうな声だった。

もうちょっとそっちつめろ。
そう言いながらゴソゴソと隣に潜り込んで来た塊に謝りながら、少しだけスペースを空けてやった。どうやら外に出ていたらしい。すぐ隣の丸まった身体からはひんやりとした空気が感じられた気がした。
決して広くない炬燵だが俺以外誰もいないのだし空いている場所に座ればいいものの、何故かわざわざ隣に潜り込んで来た弟がとても微笑ましく思えてつい笑ってしまう。かわいいな俺の弟は。

「…なに笑ってんの」
「いやつい嬉しくてな。ああそうだ一松、蜜柑食べるか?」
「……食べる」

不服だと言わんばかりの表情で素直に頷く弟が可愛くて仕方ないが、あまり言うとよろしくない。本当に機嫌を損ねてしまうのでやめておこう。そんなことを考えながら蜜柑を剥き始めると、一松の視線が俺の手元に注がれていることに気付く。あまりにも熱烈な視線に「そんなに好きなのか?」と笑いかけるが「殺すぞクソ松」と凄まれて少し落ち込む。そんなこんなで漸く剥けた蜜柑も、手渡そうとする前に伸びてきた一松の手により素早く奪われてしまった。お前…そんなに食べたかったのか、蜜柑。




変わったと言えばこの2つ下の弟、一松もそうだ。
主に俺への態度だが何故だろうか最近柔らかくなった…というより急激に距離感が近くなった。だからと言って呼び方は相変わらずクソ松だし他の兄弟に比べたら当たりは強いけど、気付けば一松が傍に居ることが多くなっていた。そして、そんなふうに俺の傍に居る時の一松は時々何かに警戒しているようだったが正直よく解らない。それでも急に胸倉を掴まれたり暴力を振るわれていた時の事を考えると、今こうやって一松と過ごせる時間は手放しに嬉しかった。今までもよく解らなかったのだから今多少解らないのは仕方ない。


「ねえ、次はいつ帰ってくるの」
「…?誰か待ってるのか?」
「まあ、待ってるんじゃないの。途中でくたばりやがれとも思うけど」
「…一松は難しいことかんがえるなぁ」


頭を台に預けながらカラカラっと笑えば「アンタはしばらく今のままでいいよ」なんていつぞやのおそ松に言われたような台詞が投げ掛けられ、そろそろと伸びてきた手で髪を梳かれてそのままに撫でられる。俺は蜜柑か…そんなわけのわからないツッコミを心の中でしながら、急激に襲ってきた眠気に抗えずゆっくりと目を閉じた。薄暗さにあてられたのか、あるいは俺を撫でる手が存外に気持ちよかったからかもしれない。兄の威厳丸潰れだなぁなんて的外れなことを考えながら、明日会えるだろうカラ松girlを想ってとうとう意識を手放したのだ。





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時々自分が迷子になるカラ松
迷子のカラ松が好きな一松
道は教えても手は引いてやらないおそ松


夜中にマミーと話したカラ松と、昼間にカラ松girlに会いに行っているカラ松は夢です。昼間は相変わらず居間で寝ています。
何だかんだで松野家の呪縛からは逃れられないといいですね。
ポンコツなカラ松ちゃんが好きよ!


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