おそ松さん

□どうしても透明になれない話
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こぽり、こぽり


水面に広がる波紋に青色の液体を垂らすと

乖離させまいと巻き付いた青は、融け合う透明に身を焦がして

しまいにはとうとう色を無くしてしまう

何度も何度もおこなわれるこの行為に、何度泣き出したくなったことか


わからない。けれど、なのに


なんてささやかなのだろうか、どうしてこんなに美しい



























「あーもう、またやったの?」


突如耳に入ってきた末弟の声に強い力で何処かへ引き戻される。心なしか酷く肌寒い。

(…ああ、家なのか)

もっと別の場所に居た気がしたのだが、此処は間違いなく俺の家だ。二十数年、兄弟たちと寝床を共にしてきた部屋だ。一体どのくらい呆けていたのだろうか。
漸く自分が長い間同じ場所で立ち尽くしていた事に気が付きながら「カラ松兄さん」という声に振り返ると、末弟と少し後ろに三男の姿も見えた。二人で釣り堀にでも行っていたのだろうか。口達者に憎まれ口を叩き合いながらも元々の気質が近いらしい二人の弟達は共に行動することも少なくない。二人で出掛けるぐらいだから恐らく俺が思う以上に仲が良いのだろう。少なくとも俺は一松と二人で出掛けたことはない。



「おかえり」と言うと三男からは何故か怪訝そうな顔を向けられたが、歩みを進めて部屋の惨状を確認するや否やその表情も呆れの類いへと移り変わる。
あっと思ったのと同時に末弟が深い溜め息を吐いた。


「…本当カラ松兄さんっていっくら言っても覚えないよね?もう何、わざと?わざとなの?もしかして一種の自己顕示欲ってやつ?馬鹿気取って構ってアピール?ほんとイッタイいよね〜こっちにも飛び火するんだから勘弁してくれない?」

「こらトッティそこまで言ってやるなよ、でもカラ松さ…トッティの言うことも一理あるからな?別にお前だけのせいじゃないけど、でも何でわざわざ一松に構いに行くかな。折り合いの悪さは今に始まったわけじゃないだろ?頼むから少しは学習してくれよ僕はお前らの子守役じゃないんだから」


本当はこんな小言だって言いたくないんだよ。そう言われてしまっては、遂にじんわりと目の奥も熱くなる。どうして二人は怒っているのだろうか。こちらとて好きで可愛い弟達に迷惑を掛けたいわけではない。一松とだってただ最低限のコミュニケーションをと、世間話もほどほどに挨拶しただけなのに。怒らせるつもりなど毛頭なかったのに。
最早、最低限のコミュニケーションすら取ってはいけないということなのか…兄弟なのに?けれど現に俺の言動で罪無き彼等を巻き込んでしまっている手前、そんなものは言い訳にもならない。俺が一松に話し掛ける度に一松含む兄弟達が嫌な思いをするなら一生話さない方がずっと良いのかもしれない。いやさすがにそれは少し短絡的すぎる。


ああだこうだと考えながらも現状把握の手掛かりとなるものがないか部屋を見渡せば、少し視線を下げた場所に黒い塊が目に入った。これだ…!と壊れてしまっているサングラス…正しくはサングラスだったものを拾い上げるが、その姿は見るにも無惨。確かこれは俺が先程身に付けていたものだ。そして一松により強奪されたあげく事も無げに破壊されたものであり、破片が部屋中に飛び散り片付ける手間と誰かが怪我をするリスクを増やした。そんな哀れで罪深きサングラスだった。


そうか、だから弟たちは怒っているんだな。


心配しなくとも後片付けは俺がするから大丈夫だ。それを伝えたくて他の残骸を拾うと、チクリとした痛みが指先を刺激した。割れた破片はこうも簡単に人を傷付けるのだから、やはり今日俺は一松に話し掛けるべきではなかったのかもしれない。


「…っ!ち、ちょっとカラ松何やってんのお前危ないから触るな近付くなってああもう言ってる側から切っちゃってるし馬鹿だな本当消毒薬と絆創膏持ってくるからそこ動くなよわかったか」

「落ち着きなよチョロ松兄さんも。…とりあえず大丈夫?片付けは良いから水で洗ってきなよ。カラ松兄さん、洗面所までは一人で行ける?」

「…台所の方がいいだろ。僕が連れていくよ」


何やら俺に話し掛けていたようで、チョロ松に手を引かれるまで謝罪の弁を考えていた俺の身体は素直に引かれた方向へと動いた。切り傷はちゃんと処置しないと跡になるから、という言葉に漸く手を引かれる意図を汲み取る。ほんの掠り傷なのに大袈裟だなぁと思いながらも、一つ下の弟の優しさにじんわりと心が温まった。しかしさすがにこの扱いは…子供じゃあるまいしこの程度の傷で弟の手を煩わせるのはよくないと、階段を下りきったところで一人で洗いに行けると伝えた。しかし何故か手を強く握り直されたあとに「頼むから学習してくれ」と再び言われながら、やはり子供のように手を引かれて台所で傷口を洗ったのだ。


(…また怒らせてしまった)


学習してくれと言っていた、確かにチョロ松の言うことは正しいと思う。過去の経験から学ぶべき事は山程ある筈なのだ。特にそれは一松との関係では然るべき作業なのだが、いかんせん応用問題は昔からあまり得意じゃない。そして良くも悪くも寝たら忘れる性分なので文字通り忘れてしまうのだ。一松が怒っていたことすら。俺がもう少し頭の良い人間ならば、はたまた上手い言い回しができたならば、お前らにも迷惑を掛けなかっただろうに。ごめんな。

そう言いたかったのに言葉にする勇気さえない自分がとても情けない。情けないついでに一つだけ言い訳させてほしい。自己顕示欲は…違う、そういうのじゃなくて本当に解らない。俺バカだからわからないんだ。





だからごめんな。




声にならない謝罪を何度も唱えるが、ジリッと何かが焼け焦げたような音がしただけだった。










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