ポケモン

□言えない言葉を君に
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「ごほっ…」

「…!グリーン、」


少し咳き込んだだけなのに足早に駆け寄ってきた幼馴染に苦笑しながら、心の中で小さく謝罪した。
俺はいつからこんなに弱くなっちまったんだろうか、ろくに機能していない左腕に視線を落としながら目の前の男に気付かれないよう静かに息を吐き出す。


(まさか、こいつに世話される日が来ようとは)



普段は何事にも驚くほど無関心な幼馴染が甲斐甲斐しくも俺の背中を擦っている…どうにも変な感じだな、なんて押し寄せる不思議な感覚に滑稽だとまた一つ苦笑いが漏れる。
いつからこいつはこんなに弱くなっちまったんだろうか。



(俺のせいだよなぁ…)



俺が悪い、俺がこいつを弱くした。
自由を好むあの頃の眼差しは一体何を映していたのか。想像するのは容易でなくとも立場や体裁を捨て切れない俺にとってレッドの何物にも縛られない本能的な生き方は清々しくもあり一筋の希望だった。
でも今は何も思い出せない、思い出す資格もない。俺が奪ったのだ…この手で。



「グリーン…そろそろ部屋、戻ろう」

「あ?ああ、んー…もう少し」



瞳の奥で不安げに揺れる感情を隠しきれずにいる幼馴染みにまた一つ苦笑する。「ごめんな」なんて言えない程にはお互い滅入っていたし何よりも長い期間離れすぎてしまっていた、今更昔の距離なんて取り戻せる筈もない。



秋らしい高い空の下冷たい風が庭を吹き抜ける。

綺麗に切り揃えれられた植木と姉の趣味で植えられた花がサワサワと音を立てて揺れている。

視覚と聴覚で風を捉えた次の瞬間には寒さに肌を震わせ口からは細い息が漏れた。

秋の澱みない空気に混じって何処か遠くからは金木犀の甘い薫りがする。



…やはりまだ部屋には戻りたくない、今はあれが俺の戻る場所なのかと思うと惨めで仕方ないし隔離されたようなあの重苦しい空間に戻るのはもう少し後が良い。
そんな思いで隣のレッドの方へに視線を向けると、さっきよりも近い距離にいたものだから少し驚いた。じっと見つめられる瞳の奥で揺らめく真実に気付きたくなくて、さっきまで見ていた花木に視線をそっと戻した。


「あっ…さ、最近晴れ続きだよなぁ、お前ポケモン外に出してやってる?」

「うん、大丈夫。君のお祖父さんが毎日喜んで世話してくれてるから」

「あー…ああ、ったくじいさんも相変わらずレッドに弱いつうか…お前も俺の世話ばっかりしてないでちゃんとポケモンの面倒見てやれよなー」



軽く笑いながら何かから逃げるように視線を落とす、何故だろう今無性に空が見たい。
見上げた空の青さに気付いたのは本当にごく最近だ…レッドに負けたくない一心で旅をしていたあの頃は、目の前の確執ばかりに気を取られ空を見上げて何かを思う機会なんて作りやしなかった。


しかし病に侵され床に就く時間が長くなった今、空の機嫌を窺い見る機会が極端に増えそうしてやっと気付いた。
空とはこんなにも青く大きな存在だったのか…そしてこんなにも遠かったのかと。死ぬ間際の人間はやけに達観したような物言いをするものだと誰かが言っていたが、その理由も今なら解る気がする。


「…、」


少し緊張しながらそっと見上げた今日の空も痛いくらい眩しい…軟弱になった心には少し刺激が強過ぎる、そうして無性に悲しくなった。



「…グリーン戻ろうか」



何かを押し殺したような声音がシンと耳に届いた。随分と長い間自分の世界に入り浸っていたらしい、暫しご無沙汰になってしまっていた存在を目で捉えた瞬間思わず少し怯んでしまった。





(なんて顔してんだよ…)



レッドは変わった…と思う、俺の病を知った瞬間から。
病前何度下山を説得しにあの場所へ通い詰めただろう、何度無茶するなと懇願しただろう、そして何度それを振り切られただろう。あんなに頑になって籠り続けた場所だったのにこいつは俺ごときを理由に簡単に捨てやがった。


そして捨てて以来こいつが俺の傍を離れる事は無くなった。
何とも煮え切らない話だ。



「歩ける?」

「、ばーかっそんな軟じゃねえよ」



ぼうっとしていると顔を覗き込まれた。気を遣わせてしまった事に申し訳無く思うのと同時に心なしか先程にも増して不安げなその表情に笑って言葉を返す。
正直少し怠かったが言える筈もない、意気地無い身体よりも目の前のこの男の不安をどう取り除くか考える方が重要だった。


「なんなら部屋まで競争してみるか?」

「…馬鹿言わないでくれ」

「はっどっちにしろ馬鹿見るのはレッド、お前だぜ」


「よーいどんっ」なんて気の抜けた声を掛けるより先に、重い空気を振り払うよう少しだけ強く地面を踏みしめる。後ろではフライングを訴える声が聞こえたものだから少し可笑しくて笑った。


やけに身体が重い、これじゃあどおりで飛び立てねーわけだ。










「はぁ…、っ…」


思い足を動かし玄関を上がってリビングの扉を通り過ぎた頃には喉からは嫌に乾いた音が漏れていた。
遠退きそうになる意識の中、悲鳴を上げる胸を押さえながら壁へと寄りかかる。壁の冷たさが気持ち良いと頬を寄せればグッと肩を掴まれた。壁に妬くなよと茶化すが見事にスルーされあまり面白くない。


霞む視界の中で何時も通りの読み取れない表情を見ていると背中に乗るよう促された。



「グリーン頑張ったね。歩いた距離、昨日より長い」

「はぁ…んな変わんねえだろ、つうか前は部屋まで行けたし」

「昨日は玄関までだった」

「あー……あのなぁお前さなんつうか、変に気遣うなって…レッドに気遣われると、痒いつーか気持ち悪いわ」

「君に気遣うぐらいなら壁に穴でも空けるよ」

「やっぱお前妬いてたんじゃん」


同然のように交わされる無意味な会話の応酬を終えた後に、俺はそっと遠慮がちに頭を肩に預けた。頼りないと思っていたレッドの背中は今では何よりも安堵を齎す存在に成り上がっていた。
同じ年の幼馴染み兼好敵手…仮にも親友に背負われるなんて惨めにも程があると一応思いはすれど、抗議する余裕も力も今は無い。


…女々しくても良いから今はまだこの温度に縋っていたい。




「…グリーン、」

「ん?」

「お腹すいた」

「…、食えよ勝手に。食糧なら十分にあるぜ?昨日姉ちゃんが買い出しに行った筈だから」



………人が浸っている時にこいつのクラッシュテクニックつったら相変わらずだな、流石は原点にして頂点…いや関係ないか。



「何食べる?」

「はあ?俺に聞いてどうすんの…お前が食いたいもん作ればいいだろ」

「グリーンも一緒に食べよう。だから何食べる」

「いや…、俺は別に腹減ってねえし」

「じゃあ勝手に作るから、一緒に食べよ」


よいしょ、と背負い直され思わずぎゅっとしがみ付く。

やけに積極的な態度に不信感を覚えながらそっと横顔を窺い見たが、俯いた表情からは読み取る事は叶わなかった。


























(…軽い)


背中に感じる頼りない温度を必死に感じながらその軽さに胸が痛んだ。本当は正面から思いっきり抱き締めて腕の中に閉じ込めてしまいたかったし、二度と外にも出られぬようにもしたかった。

僕は空を見上げるその横顔が嫌いだった。強い振りをして消えそうな笑顔で微笑む君も、僕を宥める君の細い指先も、何かを悟ったように優しく語りかけてくる君の声も全部…いつか失うこの温もりも怖くて堪らない。


「………」


君の温度、こんなに頼りなかったっけ。こんなに身体…軽かったっけ。



「グリーン、」

「ん?どうした?」



(こんなに好きだったのか、僕は)


なんて死んでも言わないけど。絶対言ってやるものか、だから…だから、


(死なないでよグリーン…)


なんて本当に死んでも言えない言葉だ。




_________
レッドさんは死亡説幽霊説があったりで三途の川にも三年な感じですが(?)
だからこそ(??)健気な未亡人のグリーンさん(???)を不謹慎にも今回は敢えて中途半端に弱らせてみましたすみませんでした。




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