◇ヒアシンス
□春の思い出
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――…桜がひらひらと舞う季節。
…毎年、毎年。
桜を見ると思い出す、あの大切な時間。
なぁ、遼?…覚えてるか?
俺は今でも、お前の言葉で頑張れてる。この、学校で。
「……綾…?」
「…どうした?遼」
「泣きそう、って言ったら怒る?」
「…なんで泣くんだよ」
「…綾、行かないでね。」
「どこにだよ。」
「消えないで。」
―…消えねぇよ、バーカ
『春の思い出』
一年前…
「…母さん」
「……綾には失望しました。」
「…あ…。」
子供の方は、真新しい制服を着て、母親の方は上品なスーツを着て、桜吹雪の中を歩く。
本来ならば、新しい学校に夢馳せて、「何の部活に入ろうか。」「どんな人達がいるのかな。」そんな事を考える楽しい時間の筈なのに。
剣呑な雰囲気を漂わす親子が一組。
「…綾、私は貴方に小さい頃から、希や樹と同じ様に沢山の習い事をさせてきました。」
「そうです…」
綺麗な黒髪の母と子は、足を止め向き合う。
「…希や樹はしっかりとそれをこなしてきました。でも綾は何一つ満足に出来なかった…違いますか?」
「返す言葉もありません。」
希と樹とは綾の姉と兄の事だ。
2人とも優秀で、既に卒業こそしているものの、地域のトップ校に通っていた。
「でも綾は、2人以上に勉強ができた。そして充分な成績を残した。それは認めます。」
「母さん…!」
それ以上は、もう聞きたくない。嫌な程聞いた。
もう、聞きたくない。
「まぁまぁ、お母さん落ち着いて。せっかくの綾の入学式だよ?笑顔で笑顔で!」
「そうだよ、母さん。良いじゃんか、鳳凰。名前かっけーし…まぁ鷺高には負けるけど、レベルだって低くないし。」
北鷺高校、通称鷺高。
希と樹が通っていた高校だ。
「姉さん、兄さん…」
嬉しい助け船に、思わずほっと息を吐く。
「ハァ…希も樹も、綾に甘いんですよ。」
「お母さん厳しすぎだからね〜。」
「まぁ俺は綾大好きだし?」
「ちょ、樹!私の方が綾大好きだから!!」
「や、止めろよ恥ずかしいっ…!」
黒川綾、この兄と姉のブラコンっぷりには困ったものだが………。
今日は言わなきゃいけない事がある。
「…兄さん、姉さん。ちょっと…聞いてくれないか?」
「ん?」
綾が控えめに問うと、すぐに兄姉は静かになった。
修羅場を想定して先に母と父には許可をもらっている。
一番の難関はこの兄姉だ。ここまで引っ張ってしまった自分も悪いが、ここで喧嘩はしたくなかった。
「…俺、寮に入るから。」
一気に空気が冷えた気がした。
「り、寮…?」
「寮。」
「入るって…まさかお前っ……!」
さぁ、来るぞ。
先にカバンは置いてある。
どこからでもかかってこいってんだ。
「嫌だぁぁぁぁぁあっ!!」
先に来たのは姉。
元々子供っぽい性格も手伝ってか、感情表現はいつも直球。だから実年齢よりいくらか下に見えるらしい。まぁ、20歳過ぎてまだツインテールできる姉が凄い気もするが。(それが似合ってるのがまた凄い。)
真正面から泣きながら抱きついてくる始末。
「!?ちょ、うわっ…!姉さん!」
「嫌だ嫌だいーやーだーっ!綾に会えないなんて耐えられないっ!」
抱きついたまま首をぶんぶん振る希。
頼むからそういうのは彼氏にやってくれ。
ここは男子校。自分の外見にも興味もってよ姉さん。こんなとこの男に捕まってほしくないんだから。
「俺も嫌だっ!許さないからな。兄さん絶対入寮なんて認めないっ!」
次は兄。
頼む、いい歳こいて“ぷんっ”なんて可愛い擬音がでそうな拗ね方しないでくれ。視覚情報が追い付かないから。あと煙草止めて。ここ学校。
「こうやって兄さん姉さん絶対反対すると思ったから、今まで黙ってた。」
姉を引き剥がし、兄の煙草をむしりとってペイッと捨てる。(いけない。父が拾う。)
「もう手続きはしちゃったし、今更取り消せないよ。」
ニコッと笑って2人を見上げる。(綾は希より小さい。)
「もう、俺高校生なんだ。ちゃんと一人で出来るようになりたい。兄さん姉さんに助けられてるんじゃ駄目なんだよ。」
プルプルと震えている希の手を握って「姉さん」と囁いた。
「黙っててごめん。でも、俺ここに入ったらちゃんと勉強に専念したいんだ。」
綾は一度深呼吸して、
「正月とかは帰れるようにするから、ね?」
まだ泣いている希の頭を撫でた。
「希、ちゃんとハンカチで拭きなさい。」
母親からハンカチが手渡される。
「だって…だってだってだってぇぇえ!」
ぼろぼろと泣きながら、また綾に抱きつく。
「綾ぁあ、毎日メールしようねっ!電話もしようねっ!いじめられたらすぐお姉ちゃんに言うんだよっ!」
「わかったわかった。」
ポンポン、と姉の背中を叩いて苦笑する。
(昔は逆だったなぁあ…)
勉強以外何にもできなかった小さい頃の俺は、よく近所の男子にいじめられて。
毎回毎回、泣いて帰るとすぐ姉さんが抱き締めてくれて、泣き止むまで背中をさすっててくれた。
「姉さん、ありがとう」
「んっ?…」
小さく小さくお礼の言葉を囁いた。
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