神々の後
□第一章 滅びのシルシ
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パシャ
小さく水音がする。
月の夜、細波のたつ湖の岸辺で一人、少女は水を浴び禊をしていた。
静かに体を水に沈め、たゆたう長い髪がゆらゆらと水面に浮かんでいる。
水面に映る月の光が彼女の動きと共に揺れた。
月の巫女の彼女は、満月の晩にはここに来て体を清める事を決め事にしていた。
底石の間から、常に新鮮な水が湧き出してくるここは、水温こそ冷たかったが彼女の体を程よく鎮めてくれた。
「ナンナ様」
従者が声を掛ける。
「ナンナ様」
気付かない彼女に、少し大きい声を出して呼びかけた。
「なんだ、クロガネ。騒がしい。」
「劫波様がお呼びです。」
「わかった。」
ザァッ
勢いよく水からあがる。
月の光を弾いて、彼女が輝いた。
ナンナは社の中の覡《かんなぎ》に声を掛けた。
「お呼びですか。」
「ああ。こちらに入れ。先ほど...現世《うつしよ》の鏡に忌みし陰の印が出た。ツクヨミ様の荒霊の印じゃ。御魂分かれが現われたに真違いない。」
「ツクヨミ様の荒霊?」
「そうじゃ、古の昔から我ら月の民に言い伝えられた印。仔が目覚めた。鎮めねばならん。」
「鎮める...」
「滅びの印が出た。思うていたより強い。このままではクニが危ない。早う探し出して、これ以上力を持たぬうちに勢を削がんといかん。いったん全部の力持たしたら、間に合わん。なんとしても早うツクヨミ様にお返しせねばならぬ。そのために今までお前はここで修行してきたのじゃ。わかるな。」
ここには月を司る血を持つ一族が隠れ住んでおり、古代から密かに祭祀を続けていた。その一族に生まれたナンナは、幼い時にこの覡の家に連れてこられた。
「印は見た目でも分かりますか。」
「銀の髪に蒼の目を持つと言われておる。体にお前と同じ印もあるはずじゃ。探してはおったがな。なかなか見付からんかった。家の者が隠して居たのだろう。小さいうちに見つけてここで力削いでおければ一番良かったのじゃが。七つの歳を越えてしもうたな。」
「家の者が人知れず殺めると言う事は。」
「もう普通の者には手を出す事はかなわんじゃろう。強い結界に護られているはずじゃ。」
「滅びの力を持ってしまった時の証は?」
「目が燃えるようになってしもうたら、ワシらでは抑えきれぬかも知れん。そうなる前に探し出してくれ。お前には出来るはずじゃ。」
劫波はナンナの豊かな赤みがかった黄金色の髪を見やった。普段は黒く染めてはいたが、先ほどの水浴びで染め粉が殆ど落ちて、月の光の下で美しく輝いていた。
「荒霊の仔を抑える事が出来るのはお前だけじゃ。」
「何故です。」
「自分が月神のお力を貰っておるのは知って居るであろう。お前は和霊の仔。陽の印を持っとるのがその証じゃ。お前とその仔は双頭の龍。金剛力を持つ者だけが抑える事が出来ると伝えられてきた。お前が生まれた時から魂分かれの仔が出ずる事は決まっておった。分かるか。」
「。。。」
「...頼むぞ。では、今日は話はここまでじゃ。よく休んでおけ。ワシは、もう少し詳しく調べておく。また明日の朝ここに来い。」
ナンナは立ち上がり、社の敷地を出た。
お前をここに連れてきた時から決まっていた事とはいえ、惨い頼みになる。
「すまぬ。」
劫波は御簾の側から彼女を見送った。
「はぁ...」
彼女は床の中で大きくため息をついた。
幼い頃から言い聞かされてきたが、とうとうその時が来たのだ。
自分の役目。
覚悟が出来ているかと言われたら心もとなかった。
自分の片割れと言われる子供。
性別も歳すらも分からず、分かっている事と言えば、蒼の目と銀の髪だけだ。
どんな子なんだろう。
本当に戦わないといけないのか。
必要な戦いなのか。
いつも逡巡する。
里では皆が自分を畏れの目で見た。寂しかった。
心の底ではいつもその子を求めていた。
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