subsurface erosion 〜地下浸食〜
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Be enslaved -囚俘-
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かぁごめぇ かぁごぉめぇ――――
ふと、意識が戻った。
霞む目をしばたたかせ、鼻腔に飛び込む匂いから、桂木は己の居場所を瞬時に把握しようと試みる。
…。
特段、危険な匂いは感じない。
むしろ、この香りは…。
ゆるりと、目を開ければ。
優しく飛び込んでくる、東京湾の日没。
湾は東を向いているはずなのに、海に日が沈んでいく。
ここはどこだろうか、いや、台場のあの建物や、遠く霞む海ほたるは、紛れもなく東京の海だ。
周りも自分も、全てが朱色に染まっていく…。
あぁ、今は、夕暮れ時だったんだ。
濃い西日の射す公園。
小さく白い砂場に、三段高の鉄棒。
微かなさざめきは聞こえるのに、誰もいない。
入口から園の中央に流れる水路はやけに透き通っているが、泳いでいるのは小さい頃に掴まえられなかった、黒の青文魚じゃないだろうか?
誰もいないシーソーが、キィ、キィ、と音を立てる。
二台しかないブランコは、誰も乗らないことを恨みがましそうに毒づいているようで、錆びて久しい鎖を、神経逆撫でのように捻り上げていた。
何故、自分はここにいるのだろう。
記憶力にはそこそこ自負があったものの、脳内に霞が掛かったように、いや、伝達神経を誰かに掴まれ、意のままにならないような不快さが細胞を蝕んでおり、現実というものが判然としない。
段々と濃く、朱から紅へと色を変えていく景色。
潮の香りも増していき、公園のすぐ側まで波が押し寄せているようだ。
耳元を、高めの声が過ぎっていく。
かぁごのなぁかのとぉりぃはぁ――――
くす
くす
くす
笑っているのは誰なのか。
どこかで聞いた記憶のある…。
くす
くす
くす
声が流れていく方へ、自然と足が向く。
いや、待て。
行ってはいけない気がする。
『おい、俺の足。ちょっと止まれ。』
『何言ってるんだ、お前は行きたいんだろう。』
『そうだ、右足の言うとおりだ。今更何故嘘をつく。』
桂木の言葉に反して足がそれぞれ文句を立てる。
『俺達、足に任せておけばいいんだ。今まで迷ったことなどないだろう。』
『ちょっと待つんだ、俺の言うことをなんで聞かないんだ?』
『それはお前さん、』
左手が手のひらを返した。
両足は変わらず前へ進み、小川の岩を難なく越えていく。
『俺たちゃ皆、お前さんのことはよくわかってんだからさ。』
右手が賛同するように親指を立てる。
『お前さんが、何処に行きたいか、何をしたいか、よぉくわかってるのさ。』
いぃつういぃつぅでぇあぁう――――
太陽はいつの間にか沈んでおり、月もない空はただただ墨を流したように黒い。
星は欠片も見えない、と思った折。
『今日は儀式の日だから、太陽は海に溶けたんだ。後で嫌と言うほど溺れるぞ。』
『俺がか?』
左目が肯定するように瞬く。
『そんで、月は隠れちまって、星は皆に配られたのさ。金平糖より固いがな。』
右目が呟き、歯が賛同しているようにかちかちと鳴った。
『なんの、儀式だ?』
潮の香りはいつしか甘く気怠い匂いに変わり、鼻腔を擽るそれに鼻が喜んでいる。
『ほぅら、近づいてきた。』
『儀式だ、儀式だ。』
左耳が騒ぎ、右耳が歌を捉える。
よあけのばんにぃ――――
東京湾はまだ暗い。
時間の感覚のない今。
月は隠れて太陽は海に溶け。
星は皆に配られたという。
何かの狭間。
行ってはいけない。
行ってはいけない。
何かがなくなり、
もう、戻れなくなる。
波の音が強くなる。
引き戻す警鐘。
体の『部位』達は好き勝手に動き回り、何かを待っているようだ。
それがさも当たり前で、何よりも大切なもののように。
つぅるとかぁめがすぅべったぁ――――
波の音。
溶けた太陽が飛沫を跳ね上げる。
ここに来て良かったのだろうか。
答えは出ない。
自由にならない右目と左目が、捉えた視界。
甘く気怠く愛しい香りが充ちている、その先。
小さい子供達が、円を描いて回っている。
顔は、どれも似たような、男の子と女の子。
男の子は一様に誰かに似ており、女の子もまた、誰かに皆似ている。
誰だったか…。
『自分の顔も忘れたか?』
右目がぐりんと裏返り自分を試すが、左目でよくよく凝視する。
輪の中に、一人の女性がいた。
あぁ、あの後ろ姿は。
『だから、言っただろう。』
心臓が重々しく呟いた。
そうだ。
だから、ここに来たんだ。
だから、自分の全てが向かっていたんだ。
行ってはいけない予感など、もうとうに…太陽と共に、海に溶かされたんだ。
目が。
耳が。
口が。
鼻が。
右手が。
左手が。
右足が。
左足が。
あらゆる細胞が。
血液が。
心臓が。
己の魂が。
求めてやまない。
うしろのしょうめん
だぁれ――――――――?
振り返るその瞳に。
自分の全ての、生殺与奪を。
かぁごめぇ かぁごぉめぇ――――
かぁごのなぁかのとぉりぃはぁ――――
囚われたのは。
くす
くす
くす………
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