企画小説

□08.泣き顔にすら心震える
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「あ、ティオ! 久し振り! 覚えてる……かな」

 そんな風に声を掛けられたのは、その日の買い出しから戻った直後だった。
 教会の建物の裏側に隠れるように設置された、孤児居住区の出入り口に、その少女はいた。
 年の頃は、ティオゲネスと同い年くらいだろうか。波打つブロンドの髪に、薄茶色の瞳を持つその少女には、見覚えがあるといった程度の認識だけで、名前も知らない。
「さあ。話すのは初めてだよな」
 素っ気なく言って、背後に従えていたエレンに、先に家に入るよう促す。しかしエレンは、珍しく不機嫌な顔をして、従おうとしない。
 肩を竦めると、ティオゲネスは一旦エレンのことは脇に置いて、少女に向き直った。
「それで? あんたはどこの誰で、何の用があるんだよ」
「つれないなぁ。時々ウチの店に買い物に来てるでしょう?」
 焦れたような素振りで身体をくねらせると、少女は流し目でティオゲネスを見た。だが、思いの宛のない女性にセクシャルな仕草で誘われたからと言って、ホイホイと応えるような軽い神経は持ち合わせていない。
「ウチの店ってな、どこの店のコトだよ」
 言いながらティオゲネスは、正規の出入り口ではなく、裏庭に足を向けた。この少女が街の住人であれ、自分の居住スペースに招き入れるのはあまりいい気分がしないと直感で思ったからだ。
 予想通り、歩を進めるティオゲネスの後に付いて歩きながら、少女が口を開く。
「ホラ、街で一番大きな商店よ。ペルツって店。時々買い物しに来てるじゃない。話したコトもあるんだけどな。あたしがレジに立ってる時」
 あ、あたしね、フィーネっていうの、とやや遅れて自己紹介する彼女に構わず、ティオゲネスは、庭に面したバルコニーに設えられた白い丸テーブルに、抱えていた荷物を置いた。
「接客の合間に言う決まり文句は会話とは言わねぇな。それで、何の用だ?」
 ティオゲネスのおざなりな態度にもいっかなめげる様子を見せず、フィーネと名乗った少女は、「もう、急かさないで」と言いながら、勧めもしないのに丸テーブルの前の椅子に腰を下ろす。
「ねぇ、そこの女の子」
「……あたし?」
 フィーネがエレンに視線を向けて声を掛けると、やはりフィーネと同じように付いて来ていたエレンは、先刻と変わらずむっつりとした表情で、フィーネに確認するように首を傾げる。
「そう、貴女よ。気が利かないわね。お茶は出ないの?」
「図々しいな。あいつはあんたの小間使いじゃねぇぞ」
 エレンが口を開くより早く、ティオゲネスがムッとした感情のままに鋭く言い放つ。すると、フィーネは流石に若干鼻白んだ。
「な……によ。お客をもてなすのは当たり前じゃないの?」
「招待もしねぇのに押し掛けてくる奴は客じゃねぇよ。迷惑なセールスとあんま変わんねぇな。用件だけ簡潔に言ってとっとと帰れ」
 とことん鈍い彼女にも、ようやく不快感だけは伝わったらしい。怯えと不快と怒りが等分にない交ぜになったような表情でティオゲネスを見上げたが、気を取り直すように息を吐くと、小さな手提げ袋をテーブルに置いた。この辺よりも、もっと大きな街中で買い物をした時に、デパートで商品を入れてくれる四角い箱のような紙袋の小型版だ。
「分かったわ。今日はこれだけ」
「何だ、これ」
「イヤね。今日はバレンタインじゃない」
 整った顔立ちのフィーネがニコリと笑った顔は、他の者が見れば可愛らしいと感じただろう。美しいと表現する者もいるかも知れない。けれども、ティオゲネスの目には、ひたすら媚びて自分の思い通りにしようとする笑みとしか映らなかった。
 その一瞬の沈黙を、彼女がどう取ったのかは分からない。と言うより、恐らく確実に自分の都合の良いように受け取ったに違いない。

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