企画小説

□07.愛する程に苛めたい
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 唐突に屋外で起こった大きな音と悲鳴に、教会の居住区域・二階にいたティオゲネスは、反射的に窓を開けて下を見た。
 そこから見える裏庭では、盛大に泣き喚く幼い少女と、その少女と同い年くらいの少年が立っている。二人の足下には、まるで少女の泣く声で割れたかのような鉢が、見るも無惨な姿を晒していた。
「ちょっと、どうしたの?」
 そこへ走り出て来たのは、エレンだ。
 今年、四歳になるイサドラという少女は、何事かを訴えながらエレンの腕の中へ飛び込むが、何しろ泣きながらものを言うので、嗚咽に遮られた言葉はまるで形になっていない。
「ケビン、何があったの?」
 イサドラを抱き上げながら、エレンは少年の方に質す。しかし、ケビンと呼ばれた少年は、俯いて何も言わない。
 上から見ているティオゲネスには、ケビンの表情は見えないが、大方拗ねたような顔をしているのだろう。
 エレンが、やや詰るような口調でもう一度名を呼ぶと、ケビンはクルリと踵を返して、どこへともなく駆け出して行ってしまった。
「ケビン!」
 呼んだ程度では戻って来ないだろう。
 エレンは、暫くケビンの走って行った方向を見つめていたが、取り敢えず腕の中の少女を宥める方を優先したらしい。相変わらずワンワンと泣き叫ぶイサドラを抱いたまま、エレンは屋内へ引き返した。
 それを見届けると、ティオゲネスはやや躊躇った後に、開けた窓からヒラリと下の庭へ飛び降りた。
 ついこの間まで、戦いが日常だったティオゲネスには、二階までの高さくらいならどうということはない。
(……何か、こういうのって普通ならアイツがやりそうなコトなんだけどな)
 頭を掻きながら、ティオゲネスは溜息を吐いた。
 年長者に叱られて逃げ出した子供を追い掛けて様子を見に行くなど、少し前の自分なら考えられなかった。
(お節介って感染るんだな)
 心底自分自身に呆れつつ、ティオゲネスは、ケビンが消えた方角へ足を向けた。

***

 如何に村がそれなりに広いと言っても、四歳の子供が行ける距離は、ティオゲネスから見れば程度は知れている。
 教会から程近い、小高い丘の上にある、大木の下にケビンの姿はあった。
 ゆっくりと丘を登るティオゲネスに気付いていないのか、かなり近付くまでケビンは膝を抱えて俯いていた。
 すぐ目の前に立ったティオゲネスが草を踏む音で、漸くこちらの存在を認識したのか、ケビンが弾かれたようにその顔を上げる。相手がティオゲネスだと分かった途端、ケビンは慌てて小さなその手でゴシゴシと目元を擦った。
 しかし、始めに顔を上げた時点で、その頬が濡れているのは、残念ながらティオゲネスにしっかりと視認されてしまっていた。
「……よぉ」
 だが、ここまで追い掛けてはみたものの、その先をどうしていいか、ティオゲネスには分からない。
 やっぱり、ガラにもないこと、するんじゃなかった。
 若干、そう後悔したが、無言で回れ右する訳にもいかず、ティオゲネスは、ケビンの隣に腰を下ろした。
 一方ケビンも、どうリアクションしていいか分からなかったらしい。
 暫く、心地よいとはお世辞にも言えない沈黙が、その場に落ちる。
 どのくらいの間、そうしていただろう。
 頭を空にして、こんな風に風景を眺める時間など、ティオゲネスの人生にはなかったものの一つだ。
 広い広い緑の絨毯の上に、ポツリポツリと家が点在し、時折緩やかに風が渡る。
 優しく頬を撫でて過ぎる風に、目を細めた時、漸く隣の幼い少年が、ボソリと何かを言った。
「ん?」
 その声に、ティオゲネスは、隣に視線を向ける。
 すると、ケビンはやはりボソボソと、しかし今度ははっきりと言葉を形にした。
「オレ……わるくないもん」
「ふぅん」
 ティオゲネスは、そうだな、とも、お前が何かしたんだろうとも言わなかった。

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