人魚姫
□1つ
1ページ/1ページ
寄せてはかえる波が海岸に強く強く打ち付け、何処までも広がる黒々とした海。
時折雲の隙間から漏れる細い月明かりがどこか神秘的で、同時に孤独や恐怖などの負の感情に襲われるけれど、そんなものは随分昔に慣れてしまった。
慣れるしかなかったというか。
「…寒い」
突き出た岩に座り海を眺めようとするも、海中では感じることのない冷たい風が肌を霞め、肩をすぼめてチャポン、と海へ潜る。
くるりと振り返れば海面はすでに遠くにあり、射し込む月明かりが波に合わせて海中にゆらゆらとカーテンをつくっていた。
しかし見飽きた光景に、今さら見とれることはない。
いつからだろうか。
美しく広大な海中からまだ知らぬ光、音、草木のある陸に憧れるようになったのは。
あぁ、昔々に、私たち先祖の伝え話を母から聞いたときか。
人間の男に恋をし、最期にはアワとなって消えたという、私たち一族の先祖。だから人間には近付くな、あいつらは我々を唆す敵だ、と教えられてきた。
老齢たちのその言葉通りに日が沈んでから海面から顔を出し、人や船が居ないか十分注意して大好きな歌を唄ったりした。
空気の無い水中とは違い、綺麗に響く陸が好きになった。
遠くに見える光に憧れた。
海沿いを楽しそうに歩く男女の姿が羨ましいと思うようになった。
暗い暗い海の中、それらの感情は日増しに大きくなっていく。
ぐんぐんスピードを上げ、海面から宙へ飛び出した。
空も海も真っ黒で、上か下かわからない。
頭から落ちる寸前に見たのは小さな光たち。星の光なのかもしれなかったけれど、憧れるそれに涙が出た。
人魚姫になりたい人魚だなんて。
.