ただ、あなたの隣に。

□2.めまぐるしくも曖昧に過ぎる時間を、
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それからしばらくして、晋助様が塾の剣道場に来た。
その日出掛けていた私は、「高杉家のご子息が塾に来ている」という噂を聞いて道場に駆けつける。
銀時さんは「アイツなら、怪我して休んでる。」なんて言うものだから、不安になって叔父上のところへ向かった。
叔父上は呑気に笑いながら「道場でも無いのに道場破りが来たんです」と言う。
叔父上が正座する前の布団で晋助様が眠っていた。
「晋助様は…、」と聞けば「大事には至ってないです。疲れて眠っているだけでしょう。」だそうだ。
しばらくして目を覚ます彼に、私は泣きそうになりながらこう言った。
「晋助様、こんな事もうおやめください。銀時さんと剣術で勝負するなんて、」
「無駄だって言いてェのか。」
彼は私の方では無く、天井をぼんやり眺めながら呻きを孕んで呟く。
「いいえ、そのような事…。私は貴方が傷つく姿を見るのは嫌でございます。」
「何で、」
「それは…、苦しいからです。大切な人が傷ついて、悲しいと思うのは当然です。」
「悪い、その願いは聞けないかもしれ無ェ。でも、これだけは覚えておけ。俺はお前を1人にしない。」
包帯を巻いた手を私の頬に伸ばす。

そこに、叔父上の笑い声が響き、彼と私の2人で無かったことを思い出した。それは晋助様も同様だったらしく気まずそうに「アンタ居たのか…」と呟いた。
「ハハッ、キミたちは面白いですね。」
彼が驚いたように、「俺たち、が…?」と言う際、"たち"を強調する。

「キミたちは夫婦になりなさい。きっと互いに持たない物を持っているからこそ、君たちは良い夫婦になる。」
突然ハッキリと夫婦になれと告げられ、その次には「あとは若い2人でごゆっくり」なんて冗談を言って叔父上は去って行った。私たちは何も言わずに顔を見合わせて、何だったんだろう…という気持ちを黙ったまま共有した。

「(ツマラナイ男と面白い女。負けず嫌いな男と優しい女。何もかもを持っている男と何も持たない女。剣術に生きる男と学問に生きる女。面白いくらいに反対だ。)」


それからというもの、私は毎日道場破りさんに怪我の手当てをする。
何度無茶をしないで欲しいと言ったか分からないけれど、数日すればそれを諦めて、私がしっかりと手当をすれば良いという考えに至った。
母上をよく見てくださっていたお医者様のところへ、傷口を消毒するための道具を取りに行く。私が最近のことを話すと大笑いしてから「そりゃあ、病気に対する薬の知識だけでは無く、怪我の手当てについても教えねばな。」と仰る。
「本当は、怪我をしないのが最も嬉しいのですが、仕方ないです。私の言うことなんて耳を傾けて下さらないんですもの。」
お医者様はハハッと笑った後で、遠くを見つめる。
「天人の話は知っているか?」という問いに「はい」と答える。叔父上の存在があるだけに、その話には敏感だ。
「幕府は天人を受け入れた。しかし、攘夷を詠う者は多い。……これから戦になるやもしれん。」
今居るのどかな場所から遠くを見れば、同じ田園風景が広がっているはずなのに、その話が現実味を帯びているように感じた。

「(いつか想像した不安が、本当になったら…。)」
もし、彼を失ったら私は鬼になってしまう。

「…というのは冗談だが、人生、いつ何があるか分かったものでは無い。私が教えられることなら何でも教えよう。」
お医者様は"冗談"を言って、私にまず医術の基本、急所について教えてくれた。どこに怪我をすると危険か、それを逆にすればどこを狙えば相手が命の危険に晒されるかということ。
救う事にも、傷つけることにも使える知識だ、という言葉が頭から離れなかった。
自分はいつまでも誰かを傷つけることに使わない、使い方を誤らない、きっと大丈夫。この時は、そう信じたくて、何度も自分自身に言い聞かせた。
医学に関する本を読み、勉強する日々が続いた。何故そんなに熱心なのか聞かれると、いつも戦場に立つ彼が浮かぶ。
その恐怖を喉の奥にしまい込んで、いつも「知らない事を知るのは面白いから。」と答えるのだった。

お借りした医学書をノートに書き写していた夜。今日は、晋助様が来ない事に違和感を覚えた。
すると玄関の戸を叩く音。いつも庭から回って、私の部屋にある雨戸を叩くのに珍しいと思いつつ玄関に向かう。
「(先に叔父上や銀時さんが気付いたらどうするつもりなのだろう…、そういえば先ほどから叔父上や銀時さんの声もしない…。)」
戸を開けると、晋助様だけではなく、叔父上と銀時さん、桂さんも居た。みんな少し怪我をしている。
唖然とする私に「おやおや、そんなに簡単に戸を開けてはいけませんよ。誰か確認して、そっと開けなさい。」と微笑む叔父上。
「そうだ、お前は警戒心が無さすぎる。」と銀時さん。反射的に「ごめんなさい」と謝って、気まずそうに顔をそむける晋助様を見る。
「皆さんどうされたんですか?怪我もしてるし…、晋助様は腕を見せてください。血が出ています。」
晋助様の腕に触れると、他にもあざになった箇所があったようで少し顔をゆがめる。
「銀時さんは頬を冷やしてください。腫れてしまっています。」
みんなが傷つくのは嫌なのに、すぐに私が勉強したことが役立ってしまった。
きっと貴方たちは、自分が信じたものを貫いて、無茶をする人たちだから。
眉を下げて笑って、「ほら、手当てしますよ。」と言えば、また4人が気まずそうに視線を逸らすのだ。

銀時さんに濡らしたタオルを用意して、晋助様の怪我を見る。消毒するための道具は先日いただいたから、と道具箱を取って晋助様の隣に座った。優しく消毒しているつもりなのだが、晋助様は「イッ」と痛みを漏らす。
「これで大丈夫ですよ。」
「おう、」
今日の彼は口数が少なくて、何かあったのかと首を傾げる。
晋助様は「勘当され、る、多分。いや、絶対。」と私から顔を逸らして呟いた。
一瞬何を言っているのか分からなくて、「前から言われてたんだ、最近道場破りに来てただろ。今度行ったら勘当だ、って。」という言葉がすり抜けていく。理解するには少し時間がかかったような気がする。
「お前のせいじゃねーからな。俺が勝手にやってた。俺が貫きたいものも、面白いものも、ココで見つかると思ったから。」
「でも、そんなことをしたら、奥様が…。」
勘当する、と言ったのは当然旦那様だろう。けれど、彼を想う奥様のことを考えたら、その選択は…、
「分かってる。でも、これからは堂々とお前と居られる。世話になる。」
本当に、この人はずるいな、と思う。私は複雑な気持ちで笑う。でも、ずるいのは私の方だよね。
「私はずるいですね。」
「どうした?」
「奥様が悲しむことが分かっていながら、晋助様と一緒に居られる時間が増えて、こんなにも嬉しいと思ってるんですから。」
「あー、もうお前は…」と言いながら、頭を撫でられる。言葉と行動が全く一致していない。晋助様が私の頭を撫でているから、彼の顔は見えなかった。

叔父上が、「明日の朝にはここを出よう」と言った。相変わらず叔父上は笑って、塾ならどこでも出来る、なんて。
こうして私達5人の暮らしが始まった。

「(それにしても、貫きたいものも、面白いも、ココで…、なんて、銀時さんや叔父上と一体何があったのだろう。)」
胸のあたりにチクリと痛みを感じる。この感情がヤキモチだと知るのはもう少し先のことだ。













相変わらず降り続く雨。早くこの場を逃げ出してしまいたい衝動に駆られるのに、身体は動かない。
それを止まない雨のせいにして。
あの日はこんなに長く無かったのに、どうして止んでくれないのだろう。
その反面、この時が永遠の瞬間であればいいと感じてしまう自分がどこかに居る。

「あの日、出会った時から俺はお前に興味があった。」
「私もです。」
一目惚れだったんだと思う、本が面白くないなんて理解できないと思いながら。そんな貴方が気になって仕方なかった。
「それから、一緒に過ごす時間は長かったな。」
「ええ。とても。」
時代の動きによって簡単に離れてしまう、身分違いの恋を変えてくれたのは貴方だった。
でも、貴方から離れて行った時はどうしようも無くて、自分の無力さを感じました。

ずっと互いの顔を見ないまま、雨だけを見つめて昔話をつづる。
「お前ェを突き放してから、他の女が居ると知った時どう思った?」
「悲しかったですよ。私はダメで、その方はいい。どうして、って何度も思いました。」
「お前でも、嫉妬してたのか。」
「当然です。貴方のことが本当に好きだったのですから。本当は、先生や銀時さんにだって嫉妬してましたよ。」
「そりゃ知らなかったなァ。俺はいつだってしてた。お前を理解しているヅラ。何気なく隣に居る銀時に。」
私は何となく知っていたかもしれない。素直じゃないけど、分かり易いんだもの。
それは言わずに「ふふ、そうですか。」と笑った。

「今だってしてる。俺以外の男と結婚できる訳があるめェ。何度そう思いてェと繰り返したか分からねェ。」
私だって、何度こう思ったか分からない。本当に貴方はずるい人。
「何で今なんですか、」
「突き放したのは俺なのに、か。」
「それに、すぐには帰ってきてくれなかった。私がずっと貴方を待っていた時、貴方は他の女性と一緒だった。」
「あァ、否定はしねェよ。」
「もう遅いです。」
少し前の自分なら、こうして口に出せば涙も同時にあふれていただろう。
それが無理にでも笑って言えるのだから、これでも私は少しずつ前に進んでいると認めたい。

曖昧に過ぎて行った時間。それでも、思い返せば駆け抜けるような速さで。
必死になって追い続けても、一番欲しい物手に入れることは出来なかった。

「随分ここに居るが、一向に雨がやまねェ。お前も冷えただろう。」
先ほど傘の意味もなく濡れた肩口が冷やされていく。この後に、彼が言う事は想定出来た。
そうなってしまえば、この保たれた距離が崩れてしまう予感がした。
だから私は無理に大丈夫と答える。彼はそれもお見通しで、しばらく私がくしゃみをするのを待っていた。
そのタイミングで「ほらな」と言わんばかりに、「厄介になろうや」と軒下を借りた家へと入って行く。
誰か居ますように、と願いながら「ごめんください」と声をかけるが返事はなく。
ああ、嫌な予感が的中してしまったと思った瞬間、彼が「空き家か」と呟いた。

「外よりマシだろ、」
「はい。」
彼に続いて、居間に腰を下ろす。先ほどよりも少し近い距離に、緊張してしまった。
どこも触れていないのに、何故私の気持ちは高鳴るのだろう。

彼が突然立ち上がった時には、驚いて肩を大きく揺らしてしまった。気付かれていないと良いけれど。
彼は三味線を見つけると、何も言わずに弦を調整し始める。三味線独特の強く響く音は聞こえない。
「弛んではいるが、弾けない訳じゃあるめェ。」
彼は「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」と都々逸を謳い上げた。
その歌を、私以外の誰かのために歌ったの…?そう思うと、未だ彼に恋した少女のように、胸が締め付けられた。

こんな気持ち思い出したくなかった。私はあの人を裏切る訳には行かない。
雨の音に耳を澄ませ、私を待つあの人の事を考えようと目を瞑るのに、私の鼓動が早くなる原因は絶対にあの人では無くて。
今、私の隣に居る他でも無い彼なのだと心の底から誰かが叫ぶ。


その叫びをどうか雨がかき消してくれるようにと、ただ願った―



















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