ただ、あなたの隣に。

□3.綻びだらけの笑みを浮かべる
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朝まどろみの中で、晋助様の優しいキスが降った。額にした後、しばらく躊躇って。それでも、これが最後だと誓うみたいに唇と唇が触れ合った。
「幸せになれや、」
小さく彼が呟くと、布団からぬくもりが消えた。すと襖が開く音がして晋助様の気配が部屋から消えた。
今追いかけなきゃ、きっと会えなくなる。分かっていたのに、ハジメテだった私は身体が痛くて動かなかった。
「幸せになりたいなんて言って無いのに………。」
他の人に幸せにしてもらえと言うくらいなら、最後の思い出なんて要らなかった…。
こんなにも愛されていたと、自惚れられる。こんな事されたら、誰もあなたを越えられない。忘れられない。
きっと私は、あなた以上に誰かを愛することなんて一生無いんだ。



「…夕葉に別れを告げることが出来たのか?」
「ヅラ…、」
「ヅラじゃない桂だ。」
「優等生は早起きだな。」
「……こんな日に眠れるはずもあるまい。それで、夕葉は納得したのか。何を語った。」
「何も語らねえよ。戦に向かうこと告げて、ただ最後に抱いただけだ。」
「なッ…、……接吻もしていなかったお前達がか、」
「驚くなよ。お互いに気持ちはずっと知ってた。」
「………そんな事をしたら、余計に忘れられなくなるだろう。」
「だよな、………。抱くつもりなんて無かった。俺は、………懐の狭い男だ。アイツの"初めて"は何だって俺のモンにしたかったんだ、…」




再び目を覚ますと、部屋どころか家にさえ気配が無かった。布団からだるい身体を起き上がらせる。
布団の横には急須と湯呑があった。中はただの水だったけれど、それで喉を潤した。
彼は私のために、私を置いていった。彼は誰よりも私を想ってくれる。そして、自分を曲げられない人だ。
「(それでも、)」
私だって自分の意思を曲げたくない。本当の限界まで、挑んでいよう。
貴方達が"松陽先生"から教わったように、私も一緒に"叔父上"から教わったのだ。「誠を尽くして今まで動かなかった人など今まで誰も居ない」と。この胸に至誠を誓った。

急いで旅支度をした。必要最低限の衣服と出来るだけの医薬品を持ち。晋助様からいただいた手紙は、無礼を承知で高杉の実家に送った。それは、大切なものだからこそ戦火の中で消えないように。それと、いつか彼がどれだけ素敵な人だったか後世に伝わるように。
私は綺麗な着物を脱いで、袴に着替えた。紺色の袴は、男の子達に交じって剣術の稽古をしていたときのものだ。そして、この日のために作っていたものがある。一番大切な桜柄の着物を解いて短くし、袴の上に着ることができるようにしていた。実は叔父上のことがあって、いざとなれば戦おうと私自身戦闘服を用意していたのだ。
その時に気づいてしまった。晋助様の私への執着の跡に。
「(嘘つき。他の男に幸せにしてもらえ、なんて大嘘つきよ。…こんな、"キスマーク"なんて、………)」
そして、大切な簪を懐に仕舞うとすぐに出発した。ズキズキと痛む身体の奥を忘れるために走った。
出陣する男性の間をぬって、先頭をきる彼らの前に立つ。
「私も行きます。」
「夕葉、お前………」
晋助様が私の名を呼んだ。
「何の為に医術を学んだとお思いですか、他でも無い、大切な家族のためです。」
母上を救いたいと思って。晋助様が無茶するのを見ていられなくて。
「戦には怪我が付きます。軍医は必要でしょう。戦場には立てずとも、私もお役に立てるかと。」
「戦場でなくても危険だ。いつ奇襲されるか分かんねェぞ。」
「自分の身は自分で守ります。」
「優しいお前に軍医なんて務まらねェ。諦めろ。」
「やってみなければ分かりません。だから、………もう少しだけ。お側に居させてください。例え地獄でも付いて参ります。」

ため息をつく彼らは、私はこのまま言ったところで諦めないだろうと折れたらしい。
「いいか、自分の身は自分で守れ。遅れを取れば置いていく。」
「はい。」






ただ、私が思っていた以上に軍医は辛い仕事だった。体力的には、耐えられた。辛かったのは、救えない命に直面したときだ。
酷い戦いになったとき、私は誰かを見捨てなければならなかった。治療する人間も、世話をする手も、薬や包帯などの備品だって足りない中、助かる見込みの無い人に時間と備品をかける余地など無かった。
家族の名を溢して息絶える人も居れば、志半ばで絶命することを嘆く人も居た。
いつも、助けられない自分やこの状況を悔やみ、一人で泣いた。こんな姿を見られたら、だから向いていないって言っただろう、と、また晋助様が離れていくと思って耐える日々だった。地獄でも付いて行く、そう言ったのは私自身。だから、少しでも役に立てるように看病をする時は笑顔で居るように心がけた。少ない物資の中で如何に人を助けるか。少ない食材の中で如何に美味しい料理を作るか。
「美味い!!」
「すごいなー、これだけ食料が無い中で、こんな美味いもの作れるなんてさ。」
褒められれば。
「伊達に貧乏してません、」
そうやって、冗談を言って笑顔を貼り付けた。

きっと、嘘の笑顔が上手になったのは、この頃だったと思う。


しかし、それからしばらく。戦況が悪くなると共に戦士たちの心も荒んで行った。
「僕、夕葉さんが好きです。」
「え、あ、ありがとうございます。」
私は躊躇いながらも、それを献身的な看病に対する感謝の気持ちとそう変わらない好意だと受け取った。
「あの……、今の告白、だったんですが…、伝わりにくかったですか…?」
「えっと、………」
「こんなに優しくされて好きになるな、なんて方が可笑しいです。僕の恋心を受け入れていただけないでしょうか。」
「………ごめんなさい、…私、」
晋助様が好き、そう言いたかったけれど。彼とはこの頃それらしいこともなく。恋人でも無いのだと気付く。それに、ここは戦場で。
今はただ彼の同志でありたいと願っている私は、女であることを棚に置くと、もう一度その人に謝った。

その晩のことだった。
「お前、あの女医さんのこと好きなんだろ?」
「え、でも…、僕は振られたばかりで、」
「何言ってんだよ、抱かれてから始まるってこともあるだろ。」
「俺達が上手く手引してやるからさ、」
「………、」
「今夜、センセイに夜這いかけよーぜ。」
「大丈夫だって。女なんて、気持ちよくしてやりゃすぐ堕ちるさ。」

私は自室で眠っていて、部屋に3人の男が入ってきた音に気付かなかった。
自分の身は自分で守る、そういう約束だったのに。まさか仲間にそんなことをされるなんて思っていなかった私は完全に油断していたのだ。
気付いたときには、男3人に囲まれ抵抗しても意味を成さず。ただ、声を上げて言葉で反抗することしか出来なかった。
「嫌ッ、…晋、……ッ」
彼の名前を呼ぼうとした、でも、それを口にしたら。きっとそばには居られない。
地獄を選んだのは私だから。どんなことがあっても、……
そこに、晋助様が現れた。
「テメェら何やってやがる!!!」
声を荒げて、攘夷志士と名乗る以上誇りを持ってその志を全うしろ、と仰っていたように思う。男たちを部屋から追い出したあと、私は久しぶりに彼の腕の中で泣いた。殆ど未遂で組み敷かれて、胸元をはだけさせられた程度だったのに怖かった、と声を上げて泣いた。ここでは、女になるはずじゃなかった。こんな風に、甘えてはいけなかったのに。そして、晋助様に噛み付くようにキスをされた。
「アイツらにどこ触られた?」
「胸を、……」
「そうか、」
晋助様の目が冷たかった。汚れて嫌われてしまったのだろうか。
胸元に口付けられて、ピクリと身体が反応する。晋助様を見上げれば、彼は傷付いた顔をしていた。そして、その晩。私は嫉妬に狂った彼に噛み付くように求められた。彼は月夜に照らされた美しい獣のようだった。

十日も経たないうちに、迎えが来た。
「お前だけ特別に置いておくわけにはいかねーんだ、」
晋助様は皮肉っぽく笑って、言った。
「勘当された身であるのを承知で、高杉家にお前を養女にするよう頼んである。お前は高杉家の子女として、いい男と結婚しろ。」
私は二人の男性に左右を固められる。
「そんな、私……ッ」
抵抗しようにも、「自分の身は自分で守る、そういう約束だったはずだ。」と厳しく言われる。


「今度こそ、さよならだ。」

私のことを本当に好きでいてくれたくせに。
彼は綻びだらけの笑顔を浮かべて、無理に連れて行かれる私を見送った。
嘘でも、何で最後に笑うの。
「晋助様…!!!」
そんなの、………


忘れられなくなるじゃないですか……………



そんな、嘘だらけの笑顔を互いに見せることが出来るくらいには私も大人になってしまった。これが今の私達の距離なんだ。









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