ただ、あなたの隣に。

□1.僕らが忘れないだけで
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後日、私は桂さんの描いた地図をもとに高杉家を訪れていた。家というより邸宅、と言った方が正しい佇まいに気後れしてしまう。
私が持つ中では一番良い着物を着て来たつもりだ。母上が知り合いの奥様からいただいたというおさがりの着物。
いただいた時は、とっても素敵だと思ったし、私には勿体ないくらい立派だけれど、この家の中ではかすんでしまうのだろうと思った。
手土産のお菓子だって、そこらの店で銘菓を買ってこなければ、ここにある茶碗には合わないだろう。
「(私、何でおはぎなんて作ってきてしまったのでしょうか、)」
戸を叩くことさえも躊躇われて、でも、きっと置いて帰るのも失礼だ。そんなことを悩んでいると立派な門が開いた。
髪を高く結い上げ、美しい模様が胸元まで刺繍された立派な着物を着た女性が現れる。

「あら、また可愛らしいお客様だこと。」
手を上品に口元に添えて、ふふと笑うその人は、髪の色がこの間の少年に似ていた。
「どうぞ、上がって。晋助のお友達?」
女性が「それとも、」と言いかけた所で、「いえ、先日ご子息が…落として行った御本を届けに参ったのです。」とその続きをふさいだ。
あの少年を名前で呼ぶことからも、この方が晋助様のお母さまなんだということを予測する。
となると、この豪邸の奥様なのだ。途端に頭や舌や、あらゆる所が回らないような感覚に襲われた。
「ご迷惑をおかしてごめんなさいね、」
「いえ、私もすぐ気づいたのですが、急がれていたようで、その…私の足では追いつかなかったのです。
なので、私などお構いなく。これを渡していただければ、」
目の前の女性は何も言わず、優しく笑って、私の滅茶苦茶な話を聞いてくれていた。
こんなに優しくしてくださって、相手の方は怒っている訳では無いのに、何でこんなにも上手く喋れないのだろう、と私は自分を憎らしく思った。

長々と話していたことに気付き、「申し訳ございません。奥様はきっと、どこかにお出かけなさるつもりだったのでしょう?」とこぼす。
「いいえ、少し散歩でも、と思っただけなの。それがこんなに可愛らしい方と会えて嬉しいわ。
遠慮なんてなさらずに上がっていらして。私、あなたともう少しお話がしたいわ。お菓子もあるようだし。」
その女性は、私の持つ風呂敷に包んだ重箱を土産だと判断したらしい。
「いえ、このような手作りの菓子など、奥様のお口には…」
「まあ、あなたが作ったの?それは尚更楽しみ。」
そう言っていただけて、私は素直に嬉しかった。それと同時に違和感があった。
今まで、武家の奥様と言えば、少し怖い印象を抱いていたからだ。
母上は何も言っていなかったけれど、周囲の方々とのお付き合いには疲れている印象だった。
いつも、母上をいじめないで、と思っていたのだ。

邸宅に招かれると、更に身体までもが固まってしまう。今までに見たことの無い物ばかりだ。
いつもの私なら、あれは何、これは何と聞いて回るのだろうが、その声さえも出ないくらいに圧倒された。
でも自分の知らない物ばかりで、キョロキョロと色んなものに興味が沸く。
それを察してか、奥様は目についたものを1つ1つ説明してくださった。

奥様は私をお茶室に案内すると、自らお抹茶を点ててくださった。
母上から女の子の教養として教えていただいた事はあったが、見たことの無いお道具に感動するばかりだ。
茶菓子として、私の作ったおはぎを一緒に食べた。

「美味しい。あなたはよく料理をするの?」
「はい、母の身体があまり良くないので、いつも私が作っております。」
「それは大変ね。では、お洗濯やお掃除も?」
「はい。」
奥様は、ふふと笑って、「何だか、緊張して答えている様子を見ていると、あなたがお嫁さんに来るみたい」と言った。
「そんな滅相もございません。」
「いいえ、あなた、とっても素敵なお嫁さんになるわ。」
「勿体ないお言葉です。」
お世辞にしても、こんな素敵な女性に言っていただくには、勿体ない言葉だと思った。
しかし、奥様はそれどころか「あなたと居ると、とても楽しい」とさえ言ってくださった。それに、あなたは緊張するかもしれないけど、と冗談を付け足す。
「そんな!確かに、奥様のように美しい方と居たら、女の私でさえ緊張してしまいます。それに、笑顔とか、優しいところとか、
それに何でも教えてくださるところも、とっても素敵だから…、素敵すぎて緊張してしまうんです。」
つたない言葉しかあふれてこない。そんな時さえも、目の前の女性は優しく笑ってくれた。

「私もあなたの事、素敵だと思うわ。女だから、とか、子どもだから、とか、そんな枠に捕らわれず。
何にでも挑戦して、何にでも興味を持って、学ぼうとするところ。何をやっていても楽しそう。」

「私の悪いクセなのです。何でも知りたいと思ってしまって、何を見ても大人の人に質問ばかりして。
いつも周りの方々と困らせてしまいます。……けれど、私は様々な事を知りたいです。
確かに女の子に学問は要らないって言われるけれど、女性だって何も考えずに動いている訳ではございません。
当たり前に捕らわれていないか、どうしたらより良くなるのか、それを考えるのは女性も同じです。
何かを変えていくためには、色んなことを知りなさい、そこにきっと答えに繋がる鍵がある、と。
私が尊敬する方から教えていただきました。それに、枠に捕らわれるのは勿体ないことだと思うのです。
せっかくこうして周りに知らないものがあふれているなら、知った方が面白い、私はそう考えています。」

先ほどよりも、ずっと長く語ってしまったことに気付き、
「出過ぎたことを申しまして、大変申し訳…」
謝ろうとすると、今度は奥様にその声をかき消された。

「そうね、きっと学ぶって、そういう事なのね。男性の学問だけじゃなくて、私達女だって、母からだったり、
周りのお友達から色んなことを教えていただくもの。子どもから学ぶことだってあるわ。
そうやって考えた方が、ずっと面白い。ええ、私は今、あなたから学ぶことがあったわ。ありがとう。」
私の周りには変わった人が多い。今は、女が学ぶなんてあたりまえじゃなくて、多くの人は女らしく、大人しくしてろと言う。
でも、こうやって、少しずつ理解してくれる人が居れば、今ある当たり前は変わって行くのだろう。
むしろ、今の当たり前が、古い考えになって行くかもしれない。

この時、私は初めて、色んなことを知って、色んなことを考えていれば、いつか何か変わるかもしれないと実感した。

「晋助は、いつもつまらないって言ってるわ。藩校も行かずに遊んでたりすることもあるみたい。
だから、これからも晋助と仲良くしてあげてくださいね。あなたが居れば、あの子の世界も変わる気がするの。」
私は、彼と会ったのは、たった一回のことで、彼の側に居るなんて…と思った。
でも、お母さまの「ね?」という言葉に何も言えず、ただ頷いたのだった。

それからというもの、私は手作りの菓子を持って高杉邸を訪れることが増えた。
「わざわざあんな本返さなくて良かったものを。あれをきっかけに、母上がお前が来ることを強制しているのだろう。」
「そうではありませぬ。ここに来ているのは、私の意思でございます。
それに、奥様と出会って、私は今まで知らなかったことを沢山知りました。
この出会いに感謝してもしきれません。」
彼はそんな私を見てため息をつく。
「私が何度もここへ来ては、やはりご迷惑でしょうか?」
「…いや、」
少し躊躇ってから、返ってきた言葉。
「俺は、…お前が来ると嬉しい。当然、母上もだ。」
彼は私に背を向けて先を歩いて行く。でも、後ろから見ても、耳が赤くなっていたので、照れていることは明白だった。
私は、その言葉が嬉しくて仕方なかったが、彼が一瞬躊躇ったのには父親の存在があった。
私のような人間が出入りすると、高杉家の品格が下がると言われたそうだ。その時、晋助様自身は「自分の友達は自分で決める」と言った、と聞いている。しかし、奥様からは「自分の嫁は自分で決める」と言った、と聞き、真相は分からないが、友達でも痴がましいくらいで。私は、そうやって私のために旦那様に反抗してくれたことだけでも嬉しくなった。晋助様曰く、今までと違ったのはここからで、奥様までもが私を庇ってくださったらしい。今まで女は男に従うものだという常識にとらわれていた自分の母親が変わったと、晋助様自身が仰っていた。そこに、「きっと、誰かさんの影響だろうよ。」と付け足して。


いつも3人でお話をして、私の作ったお菓子でお抹茶をいただく。晋助様が甘いものをあまり好きでないと知ってからは、彼用に甘さ控えめのものをこしらえるようになった。
「(母上も来ることができれば…。)」
いつも楽しくて仕方ない時間に、ふと母上を思うのだった。
その楽しい時間も、母上の容態が悪くなるに連れ少なくなった。母上は、私に何度も謝っていた。
私は、母上が大好きだ。母上と話していると楽しいし安心する。けれど、病気で辛そうにしている母上を見るのは辛かった。だから、純粋に笑えてるのか分からなくて、きっとそれが母上を傷つけているのだと自覚していた。
母上は、私に「子供らしいことをさせてあげられなくてごめんね。」と言った。
「私は、その子供らしい事が分かりません。無自覚なものは悲しいとか辛いとか感じません。だから大丈夫でございます。だから、母上はそんなこと謝らないでください。」
母上はそう答える私を見て、悲しそうに笑った。








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