ただ、あなたの隣に。

□3.綻びだらけの笑みを浮かべる
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「それは随分と年上の方と結婚するんだね。」
江戸に出て来てから、可愛がってくれた近所のご夫婦が私に言う。
私を今待ってくれているあの人との婚約を報告した時のことだ。

「ええ、でも私も彼を愛しているし。…彼も、きっと、同じ気持ちだと思うから。」
愛してる、なんて誰かのために使うことは無いような気がしていたけれど、あの人のおかげで少し前に進むことが出来た。
それでも私が今暗い顔をしていないか不安になって、冗談で「これ以上拒んでたらいき遅れてしまいます。」と言ったんだ。

「綺麗な夕葉ちゃんなら、いくらでも男どもは寄ってくるんだけどねェ」
「おじさん、嬉しいけど何も出てこないですよ。」

「世界三大美女と言われる小野小町でさえ、若さには勝てないと言うんだから、綺麗だなんて言われるのは一瞬です。」
「そうかい?」
「それに、少し前なら14歳くらいで結婚してたじゃないですか。うかうかしてたら、倍の年を迎えてしまいます。」
きっと私は笑えている。いつか変えたいと思っていた世界はいとも簡単に変わってしまった。
江戸に立ち並ぶ高層ビル。広がる青空と地上の間には宇宙船。あの頃は想像もしてみなかった世界が今目の前にある。

時代の急激な流れに心ばかりはついていかず、私が彼からもらった婚約指輪を左手の薬指にはめるまでには少し時間がかかった。
今でも、初恋が忘れられないのは同じだけれど。それでも、そんな私を含めて生涯守ると言ってくれたから。
私はあの人が嫌いな訳では無かった。むしろ、その逆だ。今まで、晋助様以上に好きになった人は居ないけれど、誰よりもそこに近い。つまり晋助様の次になら、愛せると思った。
でもあの人は私を大切にしてくれるのに、私にとってあの人が一番では無いことが申し訳なくて、素直な気持ちは言えなかった。
結局、何度も晋助様からいただいた手紙を読み返して。今の恋心を、幼き日の初恋でかき消したかった。
初恋を忘れた訳じゃない。それなのに、同時に他の人を愛すなんて、私は薄情な女だと思った。
すると、戸を叩く音がする。晋助様が迎えに来てくれたのなら、すぐにその手を掴むのに。
早く私を晋助様の所へ連れて行って、そうでなければ私の心が変わってしまう。そう言って、縋り付くかもしれない。
でも、戸の前に立っていたのは当然晋助様では無くて、あの人だった。
「夕葉……、ごめん、だけじゃ分からないよ。」と優しく微笑む。その落ち着いた姿は、どこか叔父上にも似ているような気がした。
教えて、と優しく言われて、私は魔法にかかったように、少しずつ言葉をこぼす。
「私にとって、今のあなたは一番じゃありません。馬鹿だと言われるかもしれないけれど、初恋が忘れられないのです。
いつまで経っても、時間は解決してくれないのです。」
頷いて聞いた後、あの人は「知ってたよ。キミが私以外の誰かを愛しているということ。そしてその恋が叶いそうもないことも。」と言いながら、そっと私の頭を撫でた。
「それでもキミを妻にしたい、そんな我儘な私だから。キミの我儘も聞こう。キミの一番は私でなくていい。」
「いいのですか、こんな私で。」
「キミがいいと言っているんだ。夕葉、キミは時間は解決してくれなかったと言った。でもね、その時間は
どれだけ長い時間を過ごしたか、では無くて、どんな時間を過ごしたか、が大切なのかもしれない。
だから、私と一緒に過ごしてみないか。もし、夕葉が毎日をその男のために悲しんで生きなくて良いのなら、
一日、いや半日でもその男を忘れられるのなら、私達の試みは成功したと言おう。」

「夕葉。私はその人を忘れて欲しい訳では無いんだ。その人が居て、今のキミに出会えたんだから。」
「……、」
「だからね、これは私からの提案だ。私はキミたちの手紙を本にまとめたら良いと思ってる。どうだろう。
赤穂浪士の大石内蔵助が、妻に送った手紙があって、それを涙袖集としてまとめている。それと同じように。」
タイトルは、それにならって付けよう、と。

この時やっと、私は、この人は私のすべてを受け入れてくれると思った。これでいいんだ、と思った時、自然と涙があふれた。
「私、…」と呟けば、「何?」と優しく返してくれる。そして、言葉が出なければ、子どもをあやすみたいに、じっと待っていてくれる。
「私、……本当は、ずっと、…気付いていました。貴方に惹かれていること。…好き、……私も貴方が好きです。」
ああ、やっと素直に言えた。そう思った時、あの人がくれた婚約指輪はすんなりと左手の薬指に収まった。

後日、偶然銀時さんに出会った。「お前ら、やっとより戻したか?」とニヤニヤ笑われて、苦笑しか出来なかった。
多分、ではなく絶対、銀時さんが思っている相手とは違う。そんな私を見て、「アイツじゃないのか、」と問う。頷く。
「狂って、旦那のこと殺さなきゃいいな、」
私は首を振ってから、眉を下げたまま「私が悲しむような事はしない、なんて、自惚れですか?」と笑えば。
「違い無ェ、…おめでとさん。幸せになれよ。お前が幸せになれねェ世界なんておかしい。」
「ありがとう。」
私が背を向けた後、銀時さんは多分こうつぶやいた。
「あァ、だからアイツはこの世界が許せねェのか。」





曖昧に、それでも急激に流れる時間が終わりを告げる日が来る。それは、きっと叔父上が私達のそばにいなくなった段階で決まっていたことだったのだ。

出会いから、約7年の月日が流れ。晋助様が満18歳、私が満14歳を迎えた年の春。あの日の約束と変わらず、2人で桜を見上げる。
この頃、15歳くらいで結婚する女性は珍しくなく。私自身も立派な式は出来ないが、と言われつつ、叔父上と晋助様が婚姻のために準備を進めてくれていた。
「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし。」
毎年、そう思う。桜が無かったら、母上を思い出して切なくなることは無いし、晋助様と出掛けられることを心待ちにすることもないだろう。悲しさと喜びの混じるこの季節は、私の心が最も忙しい季節だ。
何年前だっただろうか、そんな事を言った私に晋助様は「普段忙しくて母親のことを想う暇も無いだろう。桜の季節くれェ、悲しんでやれ」と言われた。そうですね、と呟いて、同時に貴方を居られる喜びを伝えれば、「約束だからな」と顔を逸らされた。ああ、また照れていらっしゃるのだ、と思うと更に愛おしくなる。
愛おしい、この気持ちを伝えたくて。私はそっと彼の背中に抱き付いた。
「お前…、」
「はしたないでしょうか?」
「いや、……。」
「では、もう少しだけ。」
そっと額も彼の背中に触れさせて、全身で彼のぬくもりを感じていた。こんな日々がずっと続くような気がしていた。
ふと晋助様が小さく切なげに呟いた。
「お前ェが町で美人だって評判になる程、鼻が高ェ、………けど、…たまに、全部俺のものになればいいのに、って。」
「私はあなた以外のものになどなりませんッ」
私が手を離し、正面から宣言すると、彼はふと笑って、私の頭をそっと撫でながら。その優しい顔に似合わない言葉をこぼした。
「こいつは俺のモンだって世界中に宣言して、攫って、閉じ込めてしまいたいとさえ、思う時がある。それで、全部奪って……、」
声色が少しずつ激しく切ないものに変わっていく。胸がぎゅっと締め付けられるのに、そこには甘い香りがあって。
「私は、他の誰でもない晋助様が好きです。だから、そんな顔しないで。」
無理に笑った彼が、私の頬を撫でた時。その合図なのだと覚悟して、ぎゅっと目を瞑った。
けど、その唇が降って来たのは、私の額だった。何で、と顔に書いてあったのだろう。彼は可笑しそうに「お子様にはこれで十分だ」と言い残して先を歩く。
どんなに勉強しても、どんなに家計を支えようと努力をしても、彼には敵わないし追いつかない。
「待ってください、晋助様。」
いつだって、そう言えばあなたは振り返って足を止めていてくれるけど。いつまでなら待っていてもらえるの?
私だって、いつまでも子どもでは無いのに。ずっと一緒に居たはずなのに、私と彼の差は幼い頃よりもずっと広がってしまったように思えました。













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