ひまわり畑

□〜藤堂家〜
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〜待ち人来たる〜

とても晴れた日の事。
人里離れた家の中、一人の男が落ち着かなげにウロウロと部屋を歩き回っていた。
「う〜〜、何か落ち着かねぇなぁ」
少々童顔に見える顔を歪ませたり、眉を寄せたり困ったように下げたりしながら忙しなく動き回っている。
そんな彼を見ていたもう一人の住人は…
「ふふっ、平助君、そんなにそわそわしなくてもじきに来るよ。父様って迷子には絶対ならないから」
彼の名を呼び、くすくすと笑っている。
「いや、ここにちゃんと来れるかどうかを心配してる訳じゃねぇんだけど…」
平助こと藤堂平助は、彼女…千鶴の言葉にやはり落ち着かなげにそう言って、そわそわしながら熨斗をかけている彼女の近くに腰を下ろした。
「え?そうなの?」
腕を組んで胡坐をかいた彼に、千鶴はきょとんと首を傾げる。
その手元には、綺麗に皺が伸びた平助の袴。
まったく良く出来た嫁である。

それにしても…
「そりゃそうだろ!?だって、俺達の事…」
落ち着きすぎにもほどがある。
その反応の方に平助はたまげた。
彼女の父親という形であの男…綱道と会う事になったのだ。
平助の中では、千鶴の熨斗をかける手元がちょっとくらい狂ったって良さそうな物なのに…、位には大ごとであった。
思わず頓狂な声を上げて千鶴に言うと…
「え?」
千鶴はきょとんとその丸い目をくりっと見開いて首を傾げている。
そんな彼女に、平助は脱力して眉を下げ、
「…はぁ、まぁいいや。これは俺が言うべき事だし」
うんと一つ頷き結論付けると、千鶴が器用に伸ばして行く着物を観察するように見つめるのであった。

そんな平助に千鶴は何か言おうとするが…
じっと、考え込む様にしているので開きかけた口を閉じる。
(平助君がああ言ってるんだもの、聞かない方が良い、よね?)
俺達の事…っと彼は言った。
即座には思いつかなかったが、熨斗をかけながら良く良く考えると頬が赤くなる。
(平助君…)
そして、口元が緩む。
自分達の事をこうして真剣に考えてくれる彼が好きだった。
自分を大事にしてくれる彼を、自分も大事にしようと思った。
ほわほわと温かくなる心に、千鶴はますますと口元を緩めながら…
緊張感を漂わせる平助を少しでも和ませようと、普段通りに丁寧に熨斗をかける。


藤堂平助と千鶴は、あの長く苦しい戦いを終え、人里離れたこの場所に二人で住める小さな家を構えていた。
正直、近所づきあいなど無い寂しい場所だが、本当に時々、珍しい客が来たりもする。
それは迷い込んだ旧知の者であったりもするし、まったく見も知らない迷い人だったりもするし…
今日のように、緊張を強いられる相手だったりもする。
(まさかこんな間柄になっちまうなんてなぁ)
本当に、色んな意味で平助に緊張を強いる相手であった。
ある意味で旧知、そして…これからまた違う関係も築かねばならない相手だ。
そんな相手が今日、わざわざこの家にやってくる。
もう何と言うか、口から心臓が飛び出て、慌ててそれを押し込んでいる間に心臓が止まるんじゃないか…と思うほどドキドキする。
けれど、その強い緊張感とは対照的に、彼女の事を報告できるという事を喜んでいる自分もいる。
(何か、変な感じ)
そんな緊張感に苛まれている彼の隣で、千鶴はせっせと日々の仕事をこなしていて…
それが何だか彼を和ませていた。
(千鶴にとっては、やっと会える相手、だもんなぁ)
纏わりつく緊張は解けないけれど、平助は腹を据えたとき特有の落ち着きを持ち始めていた。
緊張感はあったって言い。
けれど、芯がぶれちゃいけない。
戦いに行く時と同じだ。
(いやいや、綱道さんと戦うわけじゃねぇんだけどさ)
そんな事を思いながら、せっせと熨斗をかける千鶴を見つめる。

「…」
働き者の千鶴、可愛い千鶴、そして…妻…?に、なったようなそうでないような千鶴。
「……」
これ以上ないくらい、好きだと思う。
あの甘い感情を抱いた日から、ますますとそれは大きくなっていて…
「よしっ!」
会心の出来栄えに笑顔を見せる彼女に、思わず口元が緩む。
(かっわいいの)
小さく笑い、そんな姿を愛しいと思う。
薄れる事なきこの感情を持て余すほどに、彼女への愛情は日々募っていく。
そんな彼の心に、
(こんな可愛い娘じゃ、綱道さん、もしかしたら「駄目に決まってる」とか言い出さねぇかな?)
ふいにそんな不安がもたげた。
(ああ、いやいや、それはしょうがねぇじゃん?そこを説得するのが嫁を貰いうける旦那側の役目なわけで…)
腹を据えたと思いきや、段々雲行きが怪しくなってきた。
嫌な汗を背中にかきながら、初めての事ゆえにさらに不安が募る。
(いやいや、俺は千鶴が好きだし!逃げるわけにいかねぇんだから!うん)
そう、これは逃げる事の出来ぬ試練なのだと平助は己を叱咤した。
だがしかし…
(そうだ、そうなんだよ…そうなんだけどさ…。はぁぁ、あの人なんか苦手なんだよな…)
いつか会ったあの人の最初の印象は、こんな可愛い娘がいるなんてこれっぽっちも感じられず…
感情が読めない、良くわからない医者、というくらいのものだ。
まさかこんな形で再び会う事があろうとは…
(ううう…男だろ、藤堂平助!)
彼が生きていて色々とめでたいし、千鶴が喜んでいるのも喜ばしいが、彼の心境は中々そうはならない。
とは言え、昼にさしかかればきっとこの家を訪れる事だろう。

「ふぅ…」
大きく息を吐き、その時を思って心構えでもしておこうと思い至った所にそれは訪れた。

ドンドン
ドンドンドン

ご近所さんなどいないこの家の扉を叩く人物などそういない。
おりしも、今日は来客予定日。
違う人という事はそうあるまい。

「え、まさか…」
平助は思わず目を見開いた。
まだ昼には少々早い。
「あれ?」
平助がぎょっとして体を硬直させ、千鶴が目を見開いて戸口を見る。
確かにそこには人の気配。
そして…
「千鶴、千鶴?いるかね」
千鶴にとっては懐かしく、親しみある声が聞こえてきて…
「父様!」
彼女はぱっと頬を綻ばせて立ち上がった。
「もう来たのかよ…」
平助はそれを複雑な気持ちで見送り…
ゆっくり呼吸を整える。
(さすが真面目そうな綱道さん。はやい…し。いやいや、善は急げって言うしな!!)
大きく吸って大きく吐くと…
平助も、千鶴の後を追って未来の父親を迎えに出るのであった。


「父様!」
勢い良く戸を開ける千鶴。
「ああ、千鶴…」
そして、全開になった扉の向こうには…
歳を重ねた剃髪の男が、目を細めて立っていたのだった。

千鶴の父こと雪村綱道。
新選組で探していたが結局見つからず、今日に至る。
生きていてくれてとても喜ばしいのだが…
初めて会ったときから合わせて数回しか会った事が無い上に、その時はさしたる好印象を与えあうような存在でも無かった。
まぁそれはお互い様であろうが。
(雪村、綱道…)
変若水に関わった医者。
その時にあった様々な事を思えば、ただ大事な女の父親として見るのは難しい。
(そうだとしても、千鶴にとっては良い親父さん、なんだよな)

喜び勇んで戸まで向かった千鶴を見れば、彼女がいかに彼を慕っているかは分かる。
父を探す為にわざわざ江戸から京まで来た彼女なので、当然と言えば当然だが…
ともあれ、まごまごしているわけにもいかない。
平助は、自分も挨拶をするために戸口に近づくのであった。

「父様、本当に無事で良かった」
「…心配かけたな、千鶴」
戸口では、すでに感動の再会が行われている。
父娘は瞳を潤ませ、抱きしめ合う…とまでは行っていなかったが、互いに手を握り合って無事を確かめていた。
「君は…藤堂君、だね」
「はい」
一息置いて、綱道がゆっくりと平助へと視線を合わせた。
「…お久しぶりです」
まっすぐ見つめてそう言うと、
「ああ」
綱道も少し何かを思うように目を伏せ、そして短く返した。

彼も、鬼だと言う。
ただ優しいだけの父では無い事はすでに分かっているが、それを踏まえて見ると…
やはりそう思えるだけの力を持っているのだと何となく感じた。
「どうぞ、ゆっくりしてって下さい」
ともあれ、平助が軽く頭を下げてそう言うと、
「ああ、ありがとう」
綱道も千鶴から少し身を離し、すっと彼に体を向けて小さく頭を下げた。
そして、
「…色々と、感謝しているよ」
そう言ってまた再び千鶴と向かい合った。
「本当に…お前が無事で、無事で本当に良かった」

中に上がるのはもう少し先になりそうだ…っと平助は苦笑する。
お互いに泣き出しそうな所に水を差すのもはばかられ、彼は素知らぬ降りで奥へ引っ込み…
二人が落ち着くのを待つのであった。
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