** 短編 **

□◆ 化猫組当主良太猫の不始末 … 前編 ◆
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◆ 化猫組当主良太猫の不始末 … 前編 ◆





「奴良組を語るそこの者達、外へ出よ」
首無の低く鋭い声が、化猫屋に響いた。
なんだ、こいつは……と、背中にざわめく気配を感じ、首無はもう一度、低く呟いた。
「外に出よ……話はそれからだ」
ざわめく気配が眼にしたものは、染め抜かれた畏の羽織。どす黒い気配たちが、やべっ! 本物だ! と慌てて店を飛び出していく。

良太猫から、店にちょいと面倒な奴らが寄りつきだしたという知らせを受けたのは、先日のこと。嫌な酔客を上手くあしらうのも貸元頭の器量のうち。わざわざ奴良組本家が出ていくことはない。とは言え、奴良組を語る……となれば、話は違ってくる。出入りとまではいかないが、畏の代紋を見せつけてやる必要はあろう。
そして今日。偽奴良組が来ているとの連絡が、良太猫からあった。

「良太猫、行くよっ!」
「おう、がってんだぁ!」
二人は眼をしっかり合わせ、笑みを浮かべつつ店の外に走り出た。小者だけあって逃げ足が速い。しかし、首無と良太猫なら、あの程度は早いうちには入らない。
首無は、通りを逃げる偽奴良組の動きを一瞬で判断し、四方に黒弦を放つ。
その黒弦で偽奴良組を一網打尽にし、良太猫がこっぴどく引っ掻いて、この件は終わり……のはずだった。しかし。

「みぎゃぁっ!」と良太猫が飛びついたのは、あろうことか、黒弦。
「……良太猫、また、やったね……」
軽蔑を含んだ冷たい声が、良太猫に向けられる。
「ひえっ! あっしとしたことが……」
良太猫は観念した。また黒弦にじゃれてしまった。そして、また「あれ」が始まるのだ。奴良組本家の面目を潰してしまった以上、当主としてけじめを付ける覚悟は出来ていた。出来てはいたが、「あれ」は、想像するだけで耳も尻尾も垂れ下がってしまうほど、怖ろしいことも知っていた。

 * * *

「今回の奴らは偽者といっても小者のはぐれ妖しのようだし、あれだけ脅かせば、もうこのあたりはうろつかないとは思うんだけど……」
首無の明るく楽しげな声が、閉店後の店内に響いている。
「この羽織で来ちゃった以上は、悪いんだけど、形式上のけじめを付けてもらうってことでいいかな? 他の貸元様の手前もあるんで、お咎めなしって訳にもいかないし。もちろん、夜の営業が始まる前には戻ってもらうから、みんなは大丈夫だよね?」
組の者たちは、「いつものあれかぁ」とほっとした表情を浮かべている。しかし、良太猫だけは、畏まったまま、耳を平らにし、尻尾を股に丸め込み……。
「……親分、どうかしたんですか……?」
訝かしそうに訊ねる三郎猫に、良太猫は精一杯の啖呵を切った。
「てめえら、よぉく見ておけ! これが……礼儀ってもんだっ!」
「やっぱり親分、格好いいっ!」
三郎猫は良太猫を真似て、耳を平らにし、尻尾を丸めた。へえ、これが礼儀なんだ……というざわめきのなか、他の化猫達も三郎猫に倣って、「怖い」の姿勢を取った。
「ほらほら、良太猫が格好いいからって、尻尾を上げちゃだめなんだよ」
首無が笑いながら、舞い上がって間違った者を注意する。そちらが礼儀通りなら、こちらも……と、語調を変えて。
「奴良組貸元化猫組当主良太猫様におかれましては、この度の不始末のけじめ、明朝よりきっちりとお勤め頂きたくお願い申し上げます」
「へいっ、化猫組当主良太猫、代紋に誓ってけじめを付けさせていただきやすっ!」
首無さん素敵〜! 親分格好いいっ! 尻尾を立てる者や転がり回る者が続出して、化猫屋は、一気に華やいだ空気に包まれた。良太猫だけがまだ震えているのに気付いたのは、ただ一人、首無のみである。

 * * *

翌朝。迎えに来た朧車には、すでに首無がいた。
「リクオ様がいらっしゃるから、今日一日は『猫』として過ごしてもらうことになるけど、いいね?」
口元に笑みを浮かべてはいるが、眼は笑っていない。視線の先には、ペットケージ。良太猫は無言で衣を脱ぎ捨て、猫の姿になり、静かにペットゲージに入った。これから始まる一部始終を思えば、話す気力もない。
「うふふ、良太猫は、本当におとなしくていい猫だよね」
うれしそうな首無の声だけが、無情に耳を通り過ぎた。

しばらくして朧車が止まり、首無に持たれたケージが移動し始めた。扉の開く音とともに、刺激臭が漂ってくる。嗅ぎ慣れた薬鴆堂の薬とは異質のそれは、「動物病院」というところの臭いである。何をされるかは、もう分かっている。たまらず良太猫は、「ぅ…にゃぁ……」と弱々しく鳴いた。

「あら、奴良さんちの良太ちゃん? 久しぶりね〜」
白い衣のヒトの女に促されて、おずおずとケージを出れば、そこは拷問台。
「病気ではないんですが、混合ワクチンの時期になりましたので」と愛想よく答える首無が恨めしい。
「じゃあ、念のためにまずは体温を……」と、慣らしもしない後孔に、ぐぐっと無機質な冷たい楔が打ち付けられた。
(……っ!……)
何も隠しきれない明るすぎる光の中、いきなりの陵辱に身を捩ってはみたものの、腰をしっかりと首無に支えられ……。それが、怒濤の責め苦の始まりだった。
後孔の異物が抜かれて気を取り戻す暇もなく、四肢を固定され、首を摘まれる。嫌な臭いのする水で摘まれたあたりを拭かれたとたん、首の一点を、いきなり鋭い刃物が貫いた。そこから、体内に液体が入ってくるのがわかる。痛さと違和感に咄嗟に身を引こうとしてみたが、がっしりと捕まれた手足は自由にならない。致命傷ではないはずだが、予告なしの傷みに、悔しいことに耳が平らになってしまった。まだ痛いそこを、さらに手で揉まれ、何度もあの痛さを追体験させられる。その痛みも消えぬうちに、体中を酷く手荒く揉みしだかれる。
「うん、体温も正常だし、気になるしこりもないわね。健康そのもの」
ところで……と、女の声が続く。
「お爪がちょっと伸びているようだけど……」
「ああ、そうですね……ついでに、お願いできますか?」

良太猫に、衝撃が走った。
博徒の長として、不始末のけじめに爪を詰めなくてはならないことは分かっていた。だがしかし、他人、それも奴良組とは縁もゆかりもない、ヒトの女に詰められることになろうとは。何よりも、あの首無が博徒の矜持を打ち砕くような行為に出るとは。
(それだけは……それだけは、どうかあっし自らにやらせておくんなせぇ!)
しかし、声は「ふぎゃぎゃぎゃぁっ!」としか出ず、精一杯の抵抗をと捩った身体は、首無にいとも簡単に組み伏せられる。
そして、ヒトの女が前足を手に取った瞬間、この状況の情けなさに震えが走った。
「あら? 良太ちゃん、怖がってる?」
「そうかもしれません。野良でしたら、爪を切る必要はないんですけどねぇ」
「そうねぇ。でも、良太ちゃんはおとなしくていい子の飼い猫さんだから、きれいにしないとね。……ほら、痛くないよ〜」
楽しげに話しながら、女がパチンパチンと爪を詰めていく。
(怖くねえ、痛くもねえ、ただおいらは悔しいだけだ。曲がりなりにも奴良組傘下化猫組の当主に向かって、礼儀も作法もねえ無礼をしやがって……悔しくて涙も出やしねぇ……)
言われるままに「おとなしくていい猫」を演じつつ、良太は心で泣いていた。毛が逆立ち、悔しさで身体が震え、眼にはうっすらと涙が滲み出してきた。それは、とてつもなく長い時間に思えた。

と、いきなり組み伏せられていた手が解かれ、ペットケージが拷問台の上に据えられた。どうやらここでのお勤めは終わったらしい。ため息をつきつつ、開かれたケージに向かう。去り際だけはせめて当主らしく……と、ヒトの女に向かってピンと尻尾を立ててやった。それが猫の姿であっても示せる、化猫組当主としての唯一の矜持だ。おいらはヒトの拷問なんかに負けないぜ!

 * * *

ケージに入ったとたん、体中の力が抜けた。情けないことに、安堵のため息までついてしまった。猫の姿になっているときは、とにかく狭くて暗い空間のありがたさが身に染みる。この後、本家に向かうことになるはずだ。ケージという屈辱的な空間ではあるが、先代・総大将はじめリクオ様や本家付の面々に会う前に、しばしの休息が与えられるのは無条件でありがたかった。

ケージがゆらり、とする。
早々にまどろみかけた良太猫の耳に、あの女の声が聞こえた。
「さっき見たんだけど、良太ちゃん、まだ去勢手術してないですよね? もしご希望なら早いうちに……」
良太猫の眠気は一気に醒めた。
(爪ばかりか、男を詰めよと言いやがるのかっ!)
そうですねぇ……と、やわらかい首無の声が続く。
「今のところ、粗相はめったにしない子なので、その必要もないと思うんですが」
「粗相を覚える前に手術しちゃったほうが、良太ちゃんのためなんですけどね」
「ええ、今後粗相が続くようなら、それも考えないといけませんね」
わかってるな、良太猫。そう言うように、首無の手がケージをぽんぽんと叩いた。

爪を詰めるは博徒としてのけじめ。しかし、男を詰めるまでの所業はしていない自負がある。なのに、どうして。
これは、首無が得意とする言葉責めのひとつ。そんなことが実際起こるはずはないのだ、と自分に言い聞かせつつ、良太猫は再び平らになる耳と股に収まる尻尾を、どうすることもできなかった。


後編につづく




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後編は場所を本家に移して、子リク、鯉伴も友情出演予定です。



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