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□以蔵と武市 まえぶれ
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(以蔵……)
また、夢だろうか、と武市半平太は思った。
以蔵と裸で抱き合い、深い口づけをして……。
(そうだ。夢でしかありえない。以蔵…僕は何度お前とこうしたのか。夢の中で何度お前を求めたことか、もう、数えきれないよ……血がたぎるようだ。)
(熱い……以蔵はどこも、熱い。唇も、腕も、背中も。そして……)
(はやく……以蔵、以蔵、お前を……身のうちに感じたい)
言葉にしなくても、以蔵が入ってくる。
(いつもの夢よりも、激しく感じる。僕はそんなにも、欲しがっているのだろうか)
(やはり、僕は色に狂ってしまっているのだろうか。ああ、以蔵……)
そうして、僕を抱えたまま動いていても、以蔵はいつものあの目で僕を見ている。あのひた向きで、まっすぐで、心酔しきった、それでいて切なそうな目で。まるで生き神でも見るかのような目で僕を見る。
(以蔵…僕は神なんかではない。…本当に僕がお前を求めていると……身体まで求めていると知ったら、お前はどうするだろう。お前は僕を蔑むだろうか。それが僕には恐ろしい)
(以蔵…)
(お前が僕をこんなにしたんだ。……いや、初めに引き込んだのは僕だ。僕がお前に剣の道を開いてやり、お前を導き、志士となり……。)
(……そして、人を斬らせてしまった。僕のために、お前は、人を斬る。命令しなくても、僕の邪魔者をお前は斬る。そして、血にまみれてなお、僕を見つめる)
(……それが、僕を、こんなにしてしまった。)

はじめは、以蔵に、このまま唇を奪って抱きしめたら、この男はどうするのだろう、と、半ば怒りに似た欲情を覚え、武市自身がその思いにうろたえてあわててその場から逃げてしまった。

そのあと、以蔵といると、うずくものがあった。あまりにうやうやしくされてしまうと、自分が恥ずかしくて以蔵にあたってしまったり、必要以上に厳しくしてしまった。

(それでも、お前は変わらない……)

以蔵がこちらに気づかないで、……それはたいていは以蔵が剣の稽古に励んでいる時だったが…武市は以蔵を思う存分に見つめた。気づかれても、剣の師匠である武市は怪しまれる事もない。
(以蔵……)
武市は以蔵の裸身をはっきりと思い浮かべる事が出来る。一緒に剣術稽古に明け暮れた仲だ。夏ともなれば、身だしなみに気を使う武市も、風呂を待てずに井戸端で汗を落とす事もある。稽古熱心な以蔵はしょっちゅう井戸で汗を流している。

(以蔵、以蔵……)
身長こそ武市には及ばないものの、見事に鍛え上げた筋肉で出来た身体は、美しいと武市は思った。
(その身体が、今、僕の腕の中に……)
 逞しく、とても確かで、厚みのある以蔵の身体。
(……みずから抱かれたいなどと思ったのは、お前一人だ、以蔵……)
(ああ、以蔵………!)
 先生、とこたえて、以蔵が動きを早めた。
(こんなの夢の中だけだ。目が覚めたら僕は涼しい顔をして、こんな欲望などなかったかのように、お前に接しなければならない。)
(それは、僕のよこしまな思いへの、罰だ。)
(それでも、僕は、お前が欲しい。せめて、夢の中だけでも。)
 (以蔵、以蔵、以蔵!)
 (先生、先生!)
 (ああ…!!
 絶頂を迎え、武市はほとばしらせた。

「……先生!先生!しっかりして下さい、先生」
「……以蔵……」
(………ほとばしってしまった。……起きて、誰にも気付かれないように、後始末をしないと……)
「……先生、武市先生!」
ゆさぶられて、大きな声に目を開けると以蔵が間近にいた。武市は水をかけられたように目が覚めた。
驚きと、恥ずかしさに、かあっとなる。以蔵に抱かれた夢を見て、今しがた達した自分を、以蔵が見ていた……。
武市は自分のみだらな様子を、一番見られたくない相手に見られた事に、消え入りたい気持ちになった。まだ、下半身が痙攣している
身体に布団がかかっていて良かった。
「…以蔵……」
 「やっと目を覚まされましたか」
 以蔵はほっとしたようだ。武市は、自分を猛烈に恥じた。
 
「……先生、大丈夫ですから、落ち着いて下さい。……うなされて、何度も俺を呼んでおられました。何だか……その」
以蔵は顔を赤らめた。
「とても……苦しそうで……。」
という事は、ずいぶん前から以蔵は自分のそばにいたのだ。
武市はどうしたらいいのかわからなくなった。
「……先生、いつもと様子が違っていられました。……何だか……その……少年のような、がんぜない子供みたいで、……」
「…………」
「恐ろしい夢でも、見たのでは?何かに襲われたみたいでしたよ。」
「…………。」
(お前に、抱かれていたのだよ。以蔵。)
武市は以蔵の鈍さにほっとした。
「………確かに、僕は、幼子にかえって、もののけに生きながら食われかけている夢を見ていた」
「……それは恐ろしい」
「……ああ。だから、変な声を出したかもしれない。」
「はい。何だか……その。」
「女子のような、か?」 「………。」
以蔵は黙って赤くなった。
(やはり、そうか。)
しかし以蔵はうろたえているだけで、嫌悪も、軽蔑した様子も感じられない。
(これはもしかすると……)
武市は、自分の狡猾さにあきれながらも、この機会に以蔵の気持ちを測りたいと思った。果てたばかりで、放埒な、やけっぱちな気分にもなっていた。
武市は半身を起こして、以蔵を覗き込むようにした。手淫をした訳ではないので上半身は清潔だ。以蔵はいつものおずおずとした様子でいる。そんな以蔵に愛しさが突き上げたが、武市はなるべく何でもないような声で尋ねた。
 「女のような声で僕に呼ばれて、お前は気持ち悪くなかったのか?」
「そんな、気持ち悪いなんて!とんでもありません!」
以蔵はあわてて否定する。
「あんな必死に呼ばれて、はじめは誰の声かと思いましたが、先生とわかって、俺は嬉しかったです。その、頼りにされているんだなとわかって……」
そのまま以蔵ははにかんだようにうつむいてしまった。
 (以蔵、お前は……)
武市は以蔵の思いに胸を打たれた心地がした。
  (そういうお前だから僕は……)
(……お前には、まっすぐぶつかるべきなのかもしれないな。そして、もっと優しくしてやるべきだ)
「ああ、頼りにしているよ。以蔵。」
「先生……。」
 以蔵の顔が明るくなる。
 (以蔵、お前は、不憫なくらい、一途だ。そんなお前に、僕は仮にも師なのだから導いてやるべきだ。……僕のよこしまな思いは別にして)
 武市は以蔵の頬に手を当てた。以蔵はぴくりと震えた。
 「だから………もう僕に黙って人を斬るのはやめなさい。頼む時は、僕はちゃんと命ずる。お前がこの男は斬った方がいいと思ったら、僕に訊きなさい。……何もかも、独りで背負う真似はするな。僕のために人を殺すなら、責めは僕が負うべきなんだ。わかったか?」
「先生…。」
以蔵は目を潤ませている。
「わかり……ました。約束します。」
「それでいい。」
武市は微笑んだ。以蔵も微笑む。心なしか、以蔵の目から、険が少しとれたようだ。
(そうだ、以蔵、これ以上すさむな。僕のために、自分を追い込むんじゃない。志が、お前の中ちゃんと根を生やし育ったなら、お前はもっと揺らがないはずなのだから。) (……そうしてやるのは僕の務めなのに…………僕は、情けない師だな。) 武市はまた布団に寝そべった。
「せ、先生?!」
「……ちょっと夢見が悪くて疲れたようだ。」
(疲れたというか……時間稼ぎをしたいだけなんだが)
「大丈夫ですか」
「少し休めばよくなる。落ち着いたら、支度していくから、朝餉は先に始めていてくれ。」
「……はい。」
「それと、今朝の夢見の話は、誰にも言わないでいて欲しい」
「もちろんです」
「じゃあ、早く行きなさい。」
「はい。失礼します。」
(「以蔵、お前はもっと僕に甘えなさい。……僕もお前に甘えたいから。」)
(そんなの一生言えないかもしれないが……)
(お前には出来るだけ、まっすぐ向き合うよ。お前に恥じないためにね。)
(……恥じることなら沢山ある。でも、たぶんお前は嫌わないと、何となく……今は信じられる。)
(…さて、身支度をしないと。)
みっともない始末を済ませ、洗面してさっぱりして着替えて朝餉の席へ向かった。

もう誰もいないかと思ったら、以蔵が冷めた自分の膳に手をつけずに待っていた。
僕が照れ臭い思いで部屋に入って行くと、はじかれたように以蔵が立ち上がり、今、お茶をお持ちします、と言って台所へ向かっていった。すれ違う時に以蔵の匂いがした。
うなじが熱くなる。

お前は簡単に僕を熱くさせるのだね、以蔵。

いつか、言える日がくるのだろうか。僕は膳に着き、以蔵を待っていた。

<了>

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