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□結ぼれ 2
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武市半平太は何とも言えない満たされた気分だった。
(身体の深いところから、あたたかなものが滾滾とわいてくるようだ……)
武市は、まだ半ば眠ったままそう思った。

(ずっと、誰かと肌を合わすことから遠ざかっていた。だから僕は知らず知らずの内に一人で凍えていた……以蔵。
お前に恋焦がれていたけれど僕は誰にも言えずに胸の内にしまって、秘めた故に僕の火のような思いを氷の中にしまいこむようにしていた。
誰にも気づかれてはならなかったから)

(でも……もう、それも終わった…)

(以蔵……)

武市はそっと目を開けた。

まだ薄暗い中、傍らの畳に寝そべった以蔵が目に入った。穏やかな表情で静かな寝息をたてている。

昨夜の出来事は本当だったのだ、と改めて思い、武市は思わず微笑んだ。

(僕らはもう情を交わしたのだね…)

以蔵は、野趣のある肉食獣めいた顔をしているな、と改めて武市は思った。

(不器用だけれど、いつも一生懸命で……本当に、隼のようだ。)

こんなふうに、近くでまじまじと以蔵の寝顔を見るなんて初めてかもしれない。

(今までよりもずっと頼もしく見える……。一夜を共にしたからだろうか。)

 武市は胸が熱くなった。身体の芯が疼く。まだ以蔵を身体の奥深く受けとめた感触がある。
(このまざまざとした感覚…。ずっと、ずっとお前を感じていたい。)
(以蔵……)
武市は高鳴りを覚えた。そっと、横を向いて以蔵の頬に手を伸ばす。あたたかい。以蔵は身じろぎした。武市は、一瞬迷ったが、愛しさに突き上げられるまま以蔵に顔を近づけた。

すると、以蔵は目を開けた。

「先、生……」
武市はどきりとした。以蔵のまなざしにとろけるような慈しみを見た。
以蔵の表情は、まるで顔立ちが変わってしまったかのように優しくなっていた。


(以蔵……!)


見とれている間に以蔵に引き寄せられる。
「先生…」

唇が重なる。

そっと、押しあてられて、何度かついばむようにされたあと、深い口づけになる。蕩けるように熱い。

しばらく貪りあい、唇を離しても互いを抱きしめたままでいた。

「…起こして、しまっただろうか…?」

照れくささを紛らわそうと武市は言った。
「いえ。俺は寝ていません。ただ、横になって目をつむっていただけです。」

以蔵の声にも含羞の響きを武市は感じた。背中を撫でる手が優しい。

(以蔵の無骨な手が、どれほどしなやかに、繊細に動くか、もう僕は知っている……)

そう思うと、武市はカッと身体が火照るのを思えた。

そして自分は下帯を着けただけの裸で、以蔵はちゃんと着物を……昨夜脱ぎ捨てたのを……きちんと着ている事に思い至って恥ずかしくなった。

その間も、武市の背中を以蔵は優しく撫でている。

「……俺はもともと、すぐ寝入り、すぐに目が覚めるんです。敵がいつ来るかわからないですから。」

それに、と以蔵は続けて言った。

「もったいなくて、眠れません。先生と、その、結ばれた、から……」

そういうと以蔵は真っ赤になった。そして武市をきつく抱きしめた。

「先生…。」

「以蔵…。」

(このままでは、僕は、また、高ぶってしまう……)

「……僕は、寒いから、身仕度をするよ…」

精一杯、冷静さを装って言って見るが、我ながら、甘えるような声しか出ないのが、恥ずかしい。

「まだ、早すぎます。」
そう言うと、以蔵は武市を蒲団の中に入れて、自分も寄り添うようにした。

今は九月の終わり。まだ、朝晩は冷えるが、冬ほどは寒くは無い。

「これでも、まだ、冷えますか?」

溶けるようなまなざしで、見つめられ、髪を撫でられる。

(そんな風にされたら、いやだとは言えないじゃないか……)

優しい、優しい以蔵。

以蔵が優しく、情が深いのは知っていた。
しかし、以蔵はあまりにも不器用で、照れ屋で、上手くそれを表す事が出来ないのも、武市は重々知っている。

特に武市には、剣でも維新志士としても師であるためか、一層気を配り、不憫なほど低姿勢である。

武市に少しでも礼を欠くような者には、斬りつけんばかりの勢いで喰ってかかる。「武市の犬」呼ばわりされても全く気にする様子はない。

そして、武市のために人斬りにもなった。

(そうして、お前はどんどん独りになり、僕は、叱責する以外に、お前をどうやって導いたら良いのかわからなかった……)

(優しくしてやるべきだ、と思っても、僕の想いは誰にも悟られてはならなかったから…)

(そう、僕が臆病で、保身に走ってばかりだったから…)

武市には、土佐勤王党の指導者であるという、立場上、以蔵を特別扱いする訳にはいかなかった。
愛弟子だ、と、いつもそばに置いていたが、以蔵が妬まれないように、厳しく接した。

まして、以蔵が想いを寄せているならまだしも、武市がそうだと知れたら、皆の武市への信頼や憧憬は、あやうくなってしまうだろう。

以蔵と武市では、その様な結び付きは、顰蹙を買うだけだ。


(それに……僕はもう妻帯していて……)

妻との間に子はない。
しかし、武市は妻を愛していた。
控えめな、気立ての良い、可愛らしい富子。


(愛らしい、何年たっても新妻のようなお前を、子が出来ぬからといって、疎む事など出来ぬ……)


子が出来ぬゆえ、周りが何度も女を世話して、近づけようとしても、それを拒み、最後にはもう富子以外に契りを交わす気はないからやめるようかたく命じた武市だった。


その潔さ、清廉な、高潔さが、周囲の信望を集めた。


冷静沈着、剣の腕だけでなく、書も画にもの嗜みのある、知に秀でた、武市半平太。
長身で、眉目秀麗な、いつも端正な様子の良さも、人望を高めるの要因になっているのを武市は自覚していた。


(そういう僕を慕う者達が今の僕を見たら……)



地に墜ちたり、武市瑞山、と……


(ぱっくりと、地面が割れて僕を呑み込む……)


「先生? どうなさったのですか?先生?」

以蔵に問いかけられて、忸怩たる想いにふけっていた武市は我に返った。

以蔵は沈痛な、しかしとても心配そうな顔をして、武市を見つめている。
 以蔵からは、まったく邪なものも、武市を軽んじるものなど、まったくない。


 今までも慕われていたが、遠慮がちなものではなく、愛おしさでいっぱいだ、と心の底から叫んでいるようにしか見えぬ様子の以蔵である。


(そうだ……)

(そういうお前だから……僕は)


 武市は、以蔵を見つめかえしながら、尋ねた。どうしても、以蔵がどう思っているのか、確かめたかったのだ。
 
「お前は、僕をあさましい、とは思わないのか……?」

目頭が熱くなり、憤慨でもしているかのような声になってしまう。


 「土佐勤王党の党首である僕が、志しのために、命懸けでいなければならない僕が、こんなふうに私心に溺れているのを、お前は、あさましいとは……」

「先生!!」


武市は以蔵に抱えるかのように抱きしめられた。


 「先生………、先生だって人間です」

武市は自分の身体がぶるぶると震えているのに気づいた。

以蔵はなだめるように、武市を抱きしめたまま、片手で武市の頭を、背中を、大きな手で撫でている。
(…ああ、お前は……)
 もう、そうされる事が、言葉よりも大きな、慰藉だった。
 武市は、自分の心がどれだけ餓えていたかを思い知った。

 「昨日までは、先生は、俺にとって、絶対で、神様みたいでした。

今でも、先生は、絶対ですが、神様だとは思いません。」

以蔵の言葉や、自分を扱う様子に、武市は自らのおびえがほどけてゆくのを感じた。

以蔵はゆっくり、言葉を、つないでゆく。

「先生が、その……俺を求めて下さったのが……」
以蔵は、ためらいながらも、続けた。

「俺に……特別な…俺を身体ごと求めて下さった事が、先生が、人間であるという……そのう、あかしだと思います。
こんな、剣しか、取り柄のない俺を…選んで下さったのが。その……」

「お前が、剣しか取り柄がないなんて、思っていない……。」
武市はきっぱりと言った。

次第に震えがしずまってきた。顔を上げて、以蔵と向かい合う。
「お前は、いつも、真っ直ぐだ。

他の者が、僕を見る時に、何か、僕そのものではない、……勤王党の武市瑞山、上士の武市、……志士としての僕を見る。
僕の持っている力、僕の人脈、僕の……持っているものを欲しがるだけで、僕という人間を見ていない。……利用価値だけだ、皆が欲しがるのは」

「先生、それは違います!そんな」
「最後まで聞いてくれ。」
武市は遮って、続けた。


「確かに龍馬達は違う。友として接してくれる。……勤王党の者達に毎日囲まれて、過ごしていた日々は、志士としては確かに僕は活発に動き、話し合って志しを研ぎ澄まし、多くの知識も得て、充実していたさ。

だが、一時も心が安らぐ時はなかった。」

武市は、一息にまくし立てた。

以蔵は驚いているようだ。

「志士ならば、そうして毎日を過ごし、志しのために生きるべきだ。だけれど……僕は……。

龍馬に寺田屋に来ないか、と誘われて、それに乗ったのは……お前だけを連れて寺田屋に移ったのは、一時も休まずに党首としてふるまうのに疲れたからだ!」

(言ってしまった……)

(土佐勤王党の党首としてはあるまじき事を…)
 (軽蔑、されてしまう…。)

武市は、自分に呆れた。

こんな話をするつもりではなかった。
だが、つもり積もった思いは、以蔵という出口を見つけた途端、堰を切ったように溢れてしまった。

以蔵は目を見張って、武市の話を聞いていた。

そして、

「だから、先生も、人だと……。
いうだけです」

と、応えた。
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