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□結ぼれ 3「朝の誓い」
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「……これで、大丈夫だろうか?」

武市半平太が、身支度を整えて、待っていた岡田以蔵に問いかけた。

以蔵は、支度をする武市にずっと見とれていたので、気恥ずかしくなった。

「は、はいっ、お綺麗です」
声が上ずる。

昨夜、酔った武市の介抱をしていたら、武市の想いを打ち明けられ、一夜を共にした以蔵である。

(もう、昨日までのようには、先生を見れない……)

(先生は…先生は……)

ずっと武市は以蔵にとって特別だったけれど、さらに、至上の存在になった。
神のように尊く畏れ絶対だった武市が、生身の……心身共に以蔵を激しく求め、ずっと自分と共にいてくれと…。
以蔵が武市を抱いたあと、武市ははっきりとそう言ったのだ。

以蔵はその時の武市の様子を思い出して、熱くなった。

「……男に『お綺麗です』は、ないと思うよ。以蔵……」

武市は微笑みながら言った。

「はい……」

(でも、他にどう言えというのだろう…)
以前から、美しい人、端整な顔立ちに、すらりとした姿、たしなみのある、上品な物腰に、同じ男ではあっても自分とはかけ離れた存在だと常々思っていた。

しかし、今の武市は、……

(なまめかしい、と言うのがふさわしい……)

もともと白くてきれいな膚が、内側から照り映えるようだ。

艶のある漆黒の髪をくしけずって、結布で、いつもとは反対側にまとめている。

それは、以蔵がうっかり、武市の左側の首筋に小さいが赤い唇の跡を残してしまったのを隠すためだ。

(昨夜、行灯の灯りの中、先生は髪をふりみだして鳴きながら、膚を朱くして乱れて、吐息が香るようで……俺は夢中で……)

事のあと、気を失うように眠ってしまった武市の身体を、周りにさとられないように、水を汲んできて手拭いを濡らして清め、下帯だけつけた。

夜明けの光の中見た武市の裸身は、所々つけてしまった跡が白い膚をいっそう際立たせて、この人を自分は……と思うと、感極まるくらい嬉しかった。

「……以蔵?」

武市の声に我にかえる。

その武市の目が、濡れたような輝きをしていて…。

(いけない……)

(こんな先生を他の者に見せたら……)

武市はきちんといつもより気を配ったようできっちりと着付け、姿勢もいい。


ただ、細かい事を言えば、ほんのちょっとだけ、身のこなしが気だるそうだ。だが表情は、今まで見たことないくらい、晴れ晴れとして、眩しかった。

「……先生、その…。今日の朝餉は、皆と一緒でない方が…」

「なぜだ?」

と不思議そうに問う武市。

しかし、すぐに、悟ったようで、

「そんなに、僕の様子は、おかしいかな……」

「おかしい、というより、その、お変わりになられました……」

以蔵は自分が真っ赤な顔になって、平静でいられないのがもどかしかった。

武市も頬を少し染めている。

「……それは、お前が、そのう、僕を……」

武市もそれ以上は続けず、黙ってしまった。

何ともいえない沈黙が落ちる。

「……お前も、変わったよ、以蔵……。」

武市は以蔵から目をそらしたまま言った。

「俺が、ですか?」 「そうだ。……とても、男が上がって……頼もしく見える。」


「そ、そんな、俺は…」

「たぶん、同じ理由で、僕らは互いが……その……」

その時だった。

武市の部屋の襖ががらりと開け放たれた。


「武市!目は覚めたかの!」

龍馬だった。

「待っとったがせっかくの朝餉が冷めてしまうきに、迎えにきたぜよ。

おう、以蔵、おんしもここにおったか。まずはおんしに声をかけっちゅうと思うたが、部屋におらんので、こっちかと思ったが、やはり一緒におったの」
にしし、と龍馬が笑う。

以蔵はほとんど殺気を覚えた。
しかし同時に水をかけられたかのように、甘い気持ちはとんでいた。

「武市、珍しく顔色がええの。

いつもは、あれだけ呑んだら、今頃は真っ青な顔で幽霊みたいになるおんしが……ずいぶんええ顔しちょる。

よほど以蔵がかいがいしく介抱でもしたがか?」


「……!」
以蔵は絶句した。


しかし武市は、はじめこそ驚きを隠せないようだったが、顔を引き締めて言葉を返した。

「……ああ、以蔵は手厚く介抱してくれた。
僕はひどく酔っぱらって以蔵にわがままを言ったようだが、以蔵は僕が寝付くまで付き合ってくれたらしい。

お陰で今日は二日酔いはほとんどない。

それもひとえに以蔵のお陰だ。
僕はいい弟子を持って幸せだよ。」

「先生……!」

こんな風に、面と向かって、しかも他人のいる前で武市に褒められた事など数えるほどしか以蔵にはなかった。

「ほうか。」

龍馬は笑った。

「夜中何やら物音がしたと思ったが、あれは武市が以蔵に駄々をこねておったのか。」

今度こそ、武市の顔がこわばった。

龍馬はあっけらかんと続ける。

「それでも、武市の面倒をみるっちゅうのは、以蔵が武市馬鹿だからじゃのう……。以蔵。」
「…………。」
(龍馬は気づいてしまったのだろうか?) 以蔵はあまりの事にうろたえるばかりだ。


「おんしもいい顔しちょるの。武市がお前をこうもはっきり認めるとは、武市馬鹿も報われたもんじゃのう……いやあ、めでたいめでたい。」

「龍馬、口を慎め!それに以蔵を馬鹿馬鹿言うな!」
 武市の顔も真っ赤になっている。


「おお、怖いのう。でも、それくらいがええんじゃ。」

龍馬は悪びれずに言った。

「以蔵が命がけで毎日必死にお前に尽くしとるっちゅうに、おんしは冷たかったからのう。しかもそれが当たり前になっとった。

ワシは以蔵が不憫で、何とか武市が、以蔵にもうちいとでも優しゅうならんかと、思っちょったが、二人共頭が固とうて、どうにも出来んかった。
だからもう変わらんかと思っちょったが、……違ったようじゃ。」

武市が、はっとしたように、以蔵に向きなおった。
以蔵も武市を見つめた。

「まっこと、師弟そろって、お互いを大事に思っちょるくせに、なんでこんなに不器用で、気のおける間柄でしかおれんのかとワシはみてて歯がゆうてならんかった。……武市が勤王党の集まりから、以蔵一人を連れて寺田屋へ来たのが、以蔵をどれだけ必要としとるのか、それが証しだと、当の以蔵が気づかんのじゃ。だから馬鹿だと言うた。
しかし馬鹿は馬鹿でも武市馬鹿じゃ。

おんしは武市を守るのが絶対じゃから、気づかんかった。

武市がその事に焦れておったのも、以蔵、おんしはわからなかったのじゃろう?


……じゃが、もう、ワシの心配も必要なくなったようじゃの。」

龍馬は両腕を広げて、向い合わせに座っている武市と以蔵の肩に手を置き、軽く叩いた。そして大きく笑った。

「龍馬…」
「お前は…」

「ようやっと、仲良うなれた。

それが一番なんじゃ。本当に、良かったの、以蔵、武市。」

(これは……)

(龍馬は全てを知った上で核心に触れず、あくまで師弟として、見てると言い、その上で、良かったと、……俺たちを祝福してくれているのだろうか?)

以蔵は武市を見た。武市も以蔵を見ていた。たぶんお互い同じように思っているのだろう。

二人は龍馬を見上げた。

龍馬は、意外な事に、ちょっと赤くなった。

が、すぐに豪快に笑った。

「なんじゃ、二人して見て。
……ワシはそんなに見惚れるほどええ男かのう?」

にしし、と笑う。

武市も以蔵も笑いだした。

しばらく、三人で笑っていると、

「まったく三人で何やってるんですか」

足音を立てて中岡慎太郎がやって来た。

「もうおかずが冷めちゃいましたよ。

俺が呼びに行きますって言ったのに、龍馬さんがどうしても自分が、って言うから任せたらいつまで経ってももどって来ないし……」

「おお、そうじゃったの!」

「そうじゃったの、じゃないですよ。
三人でいったい何を話し込んでたんですか?」

「……武市が酔っ払ったのを手厚く以蔵が介抱して……」

「……僕がそう言って以蔵を誉めたんだ。」
「……それに俺が感じいって喜んだら、龍馬が「やっと武市馬鹿が報われて良かったな」と言ったんだ。」

龍馬、武市、以蔵の順で言うと、また、三人はこらえきれず笑い出した。

慎太はさっぱり訳がわからない、といった様子でいる。

(本当に、本当に俺は……)

以蔵は、幸せだ、と思った。


もう知りません!と言って去っていこうとする慎太に、武市が
僕が酔ったのがもとだから、僕が埋め合わせするよ。宝積屋のお饅頭はどうだい?と声をかけた。

本当ッスか?と慎太がふりむいた。

おんし、すごい喜びようじゃの、と龍馬が言うと、そりゃあ宝積屋のお饅頭は美味しいですから、と慎太は答え、笑い出した。

しばらく皆で笑ったあと、居間へ向かった。


慎太が、以蔵くん武市さんに褒められて良かったねと言い、それに以蔵は礼を言った。

 慎太は驚いたあと、そんなに笑顔ばかりの以蔵くんははじめて見るよ。よっほど嬉しいんだね、と続けた。

ああ、俺は嬉しいんだ、何せ武市馬鹿だからな、と言い、膳についた。

向かいでは武市が以蔵だけにわかるように、微笑んだ。愛しかった。

以蔵は自分がさっきからずっと微笑んだままなのに気づいた。
( 昨夜から、俺はすっかり変わってしまった。そして昨夜も、今朝も、全てを俺はずっと覚えているだろう。)

(たとえ、この先何があっても……)

今日は天気が良いようだった。
明るい光の中、それぞれ膳についている皆を見て、武市だけでなく、龍馬も慎太も、俺は守ってみせる、とひそかに以蔵は決意した。
(こんなに、晴れ晴れと笑えるのは、皆のおかげだからな……)

以蔵は、朝餉に手をつけた。冷めてはいたけれど、非常に旨く感じた。

今、俺は凄く幸せだ、と以蔵は心底思っていた。

<了>

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