小説
□我慢しなくていいんだよ
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はぁ
っああ
自分の声が遠くで聞こえる気がする。
もっと
もっとして
ねだりながら、我慢できずに目の前の唇に自分の唇を押しつけて、でもどこかで、どうしてこんなことになっているのか考えてる自分もいる。
もっと
のりちゃん
ああ もうっ
激しい快楽を与えられてそれに溺れかけながら、俺はきっとまだどこかで迷っていた。
*
「ありがとうございました」
バイト先のCDショップ。
今日レジに入っているのは後輩の奥山広範。
ひろのり。だからのりちゃん。
もう大分慣れたらしい。
俺の当初の読み通り、のりちゃんはデキる部類の店員に育った。
客への愛想はそれほど良くないけど、はっきりした物言いと誠実さでそれをカバーしていた。
誠実さ。
それは仕事中の彼の美徳で、任せておけばいい加減なことはしないだろうという安心感があった。俺も無意識にそこに惹かれていたような気がする。
でも、俺と2人になって、えっちする時、その影から横柄な顔がひょっこり出てきて俺を責めた。
「ほら、どうなんすか」
「あっいや、それっ」
「いいのか悪いのかはっきりして下さい」
「だって、のりちゃんっああんっい、いじわる!」
「そういうのが好きなんじゃないんですか」
「ちがっうああっ、そこ、そこもっと…」
「かわいいです。先輩」
どこで鍛えたのか、そもそも鍛えられるものなのか知らないけど、のりちゃんの技は俺を瞬時に蕩けさせる。手も口も舌も腰も、俺を感じさせるためだけに動いて、俺はすぐに堕ちていく。
その癖、えっちが終わるとのりちゃんは決まって、大きな体を縮こまらせながら申し訳なさそうに俺を見る。何か飲み物持ってきます、と言いながらベッドを降りるのりちゃんに、俺は少し寂しい思いを抱く。
別にボランティアで付き合ってやってるわけじゃないのに。
男と付き合うということを俺は考えたことがなかったので、どうしていいのかわからないことがたくさんある。
例えばデートとか。のりちゃんがそういうことをしたいと思っているのか、まだよくわからない。
俺は普段ののりちゃんをもっと知りたいから、誘われれば休みの日も会いたいけど、今のところは仕事後にどちらかの家に行って体の繋がりをもつだけに留まっていた。
「夏フェス?みんなで?」
「うん。まぁ店あるから行けるやつだけになるけど。今回、海外アーティスト初参加多くてちょっと良さそうじゃない?シフト見たら、日向(ひなた)と奥山は休みだったから」
バイト先の同僚が俺たちを誘ったのは、毎年開催されている野外ライブイベントだ。
CD屋なので当然音楽好きが多い。みんなで行って盛り上がろうという話らしい。
「のりちゃんどうする?」
そばで黙って聞いていた彼に聞くと、せ、先輩が行くなら、とつっかえながら返事が返ってきた。
「奥山はすっかり日向に懐いちゃってんだな」
笑う同僚たちに、俺たちの関係は明かしていない。のりちゃんが絶対に言っちゃだめだと言うから。
「ほんと、偏見が多い立場なんで」
そう言った時の険しい顔を、俺はまだ覚えていた。
結局5、6人で行くことになったけど、遅番は午後くらいまで、早番は夜から、というように、結局バラバラに集まることになり、しかもフェスは観たいステージを各々が移動して観るので、ほとんど一緒に行った意味がなかった。
その日が休みだった俺とのりちゃんは、音楽の好みも少し似ていて、ほぼ一緒にまわった。
普通ののりちゃんをそばで感じられて、俺は正直少し嬉しかった。
「なんかさ、デートみたいだな」
少し後ろからついてくるのりちゃんに言うと、彼は目に見えて動揺した。目が合わない。
「ちょっと。なんで嫌そうなんだよ」
「違います、嫌じゃないです」
からかってみると、のりちゃんはすごく慌てた。
「あの…幸せすぎて…」
一瞬時間が止まったような気がした。ひたむきな気持ちが伝わってきて、思わず微笑んでしまう。
「外でこうやって、一緒にいてもらえると思わなかったから」
「……もしかして、デートとか、普段からしたかったりする?」
「いや、いいんです、そんなこと望んでないので…ただ、」
のりちゃんが俺の目を見ている。
「俺を、先輩にこんな気持ち持ってる俺を、拒否らないでいてくれるだけで」
なんだか、胸が痛い。
「俺はもう、幸せでいっぱいです」
立ち止まって話し込む俺たちを、たくさんの人がかわして行く。
とても天気がいい。もうすぐ、俺たちが観たかったアーティストのステージが始まる時間。