小説

□吉丁八本 2
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待ち疲れて床で寝てた俺を起こしたのは携帯の音。
翔くんからの電話を、飛びつくようにして受けた。

昨日の夜からまるいちにち、連絡が取れなかったからだ。

「もしもし?翔くん?」
『あ、心?おつかれ』

連絡が取れなかったなんてウソみたいな平和な声に、一瞬でなごむ。

「翔くん、今どこ?」
『先輩んちだよ。心、今日お休みだよね』
「うん」

だから、翔くんと一緒に過ごせたらいいなと思ってた。
連絡取れてよかった。

『ごめんね。寝てた?』
「うん、寝ちゃってた」
『先輩が心に会いたいって言ってるんだけど、来れそう?』

気持ちが少ししぼむ。

「…俺に?先輩の人が?」
『うん』
「先輩の人のうちに行くの?」
『俺もいるし大丈夫だよ』
「うん…」

翔くんがくすっと笑った。翔くんのその笑い方は優しくて好きだ。

『怖い?』
「怖くない」

知らない人に会うのは慣れてる。

『よかった。ここ、ありがとう』

翔くんがそう言ってくれて、俺の中の少しだった嫌な気持ちがゼロになった。

「うん。いいよ」

翔くん。

『途中まで迎えに行くから。かわいい格好しておいでね』
「わかった」

翔くんがかわいいって思ってくれるような服。
俺はもうそのことで頭がいっぱいになる。

イエロー系の柄のハーパンと白いシャツにしよう。インナーのタンクトップは翔くんと買い物に行った時に翔くんが選んでくれたやつ。水色の。
心に似合うよ、って笑ってくれたやつ。

電話を切って着替えて、一緒に食べようと思って買ってきたピザを、冷蔵庫にしまう。
送迎の事務所の人に、宅配ピザやさんに寄ってもらって買った。

翔くんは、トマトとソーセージが乗ったのが好きだ。

翔くんが先輩に紹介してもらったお皿洗いの仕事は、一週間くらい行ったあと、行かなくなった。
来てほしいときに呼ぶって言われた、と翔くんは言ってた。でもそれ以来電話が来ないみたい。
だからまた最近、先輩の家に行ってあんまり帰ってこなくなっちゃった。

翔くん。会いたい。
仕事で疲れた時は特にそう。

昨日のお客さんはドMさんだった。
結構強めのSMを頼まれて、おしりに赤いロウソクをたらしまくったり足の指を口につっこんだりバイブを入れてあげたりすごく忙しかった。
一番こまるのは、言葉責めを頼まれること。
むずかしい。手を動かしながら言葉を考えなきゃいけないのが大変。
ドSの人にいやらしいことを言わされる時はむこうが言葉を考えてくれるからラクなのだ。

家を出る前にもう一度鏡を見た。
ほっぺに、フローリングのあとがうすくついていた。




待ち合わせたビルの前で、翔くんが待っていてくれた。
俺に気づいてすぐ笑顔で手を振ってくれて、俺はそれを見てうれしくて泣きそうになってしまう。

会えた。
翔くんに。

「こころー」

小走りで近よった俺を、呼びながら迎えてくれる。

「翔くん!」
「あ、どうしたの、これ」

翔くんはすぐ、俺のほっぺのあとに気づく。そっと撫でてくれた。

「床で寝てたらついちゃったの」
「ああ、なんだ、よかったケガじゃないんだ」

翔くんはにっこり笑う。

「まだ治ってない?恥ずかしい」
「ううん。もうほとんど消えてるよ。行こう」
「うん」

並んで歩き始めるとすぐ、翔くんは俺の方を見て、またにっこり笑う。

「かわいいよ」

俺の腰にやわらかくさわる手がとっても優しい。
褒めてもらえて、うれしい。

「中に着てるやつ、このあいだ買ったのだね」

うれしい。









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