小説
□チョコ
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早めに帰る、と言っておいたのに、結局いつもより少し遅くなってしまった。
自宅の玄関を開けると、すうが慌てたように顔を出した。
「ただいま」
「大丈夫?!何かあったの?」
「…何かって?」
靴を脱いで部屋に上がる。すうがまとわりついてきた。
「だって早く帰るって言ったのに帰ってこないし、電話も通じないし…」
「え?電話?」
そうだ、忘れていた。
会議中に電話が鳴って、慌てて電源を切って。
「あー。電源切ってた」
「心配したんだよ?鍋もタイミング見て作ってたのに、もう野菜がクタクタになっちゃったよ」
唇を尖らせるすうに、少しだけ腹が立つ。
「仕方ねえだろ、仕事だったんだから」
すうもムッとしたようだ。
「何だよ。俺が悪いの?約束してたんだから連絡くらいしろよ」
「仕事中に連絡なんかできるわけねえだろ」
一気に空気が重くなって、無言のまま部屋着に着替える。
台所には土鍋が鎮座していて、洗いカゴにはザルやボールが洗って伏せられている。
心配したって言っていた。
俺の部屋で、俺を待ちながら、飯を作って、俺の心配をして。
そわそわしながら電話をかけたりカーテンの外を窺ったりしていたのかと思うと、トゲトゲしていた気持ちがだんだんまるくなっていく。
電源を切っていたのも悪かったし、時間通り帰れないことを連絡しないのも悪かったし、帰ってからの自分の言い方も悪かったし、つまりは全面的に俺が悪いのはわかっていた。
何となく、意地で、謝るタイミングを逃した。
どうしようか。
背中に体温を感じると同時に、腰に腕が回ってきた。
「…ごめん、さとくん。俺、嫌な言い方した」
先に謝られて声も出ない。
「許して…ね?一緒においしくご飯食べたいよ」
こいつは。本当に。
「お前さぁ」
振り向いて抱きとめ、いい匂いのする髪の毛に軽く頬ずりをした。
「あんまり大人になるなよな」
「…どういう意味?」
「俺、追い越されるだろうが」
精神年齢で、という意味だ。
「はー、何言ってんの?早く大人になれって言ったのはそっちだろ」
全く意味がわかんないよ、とため息まじりに言いながら台所に向かい、すうは土鍋を温め始めた。
手のひらで転がされているような。
こうしとけば簡単、というコツをいくつも掴まれているような。
「…すうさん、ガス台出しますか」
「そうして」
「あとなんかしますか」
「お箸並べて」
「ビール召し上がりますか」
「なんで敬語?飲むけど」
てゆーかすうさんって何、と笑っている背中をがばりと抱きしめる。
「…ごめん」
「いいよ」
「好きだよ」
「知ってる」
「かわいい」
「そうかな」
食後にはトリュフもあるよ、初めてチョコレート作ったんだよ、と言って恋人が笑う。
日常の延長みたいな、幸福な日曜日。
-end-
2016.2.13