小説
□深く、息を吸って
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「先生、あの、またお弁当を作ってしまいました」
準備室に入るなり、眉尻を思いきり下げ、伏し目がちに野島はそう言った。
日差しの強すぎない、ぽかぽかと暖かい日だった。
礼を言いながら紺色のナプキンに包まれたそれを受け取り、せっかくだから外で一緒に食べようと誘った由井の言葉に、野島はすぐには乗ってこなかった。
「誰かに見られると怖いかい」
顔を覗き込むと、野島がかすかに頷いたので、由井は野島を促して屋上へ登り、壁の陰へ入った。
「ここはどう? 誰か来ても見えないよ」
はい、と野島は頷いた。
日光を反射した髪が、ふわふわと揺れた。
並んで地面に座り、ランチボックスを開ける。
「オムライスだ」
「ケチャップは別で持ってきていて、これを、どうぞ、あ、あのう、先生オムライス食べられますか」
「大好きだよ」
小分けになったケチャップを受け取った。
野島も傍に置いた小さな布製のバッグからランチボックスをもう一つ取り出して開けた。由井のものより小ぶりなオムライスが顔を出す。
由井は、真剣な表情を浮かべた野島がキッチンで卵やチキンライスを作るところを想像した。
もしも今日ここで一緒に昼食を摂らなかったとしても、自分と野島は同じ場所で同じように作られたオムライスを食べることになったのだと思うと、太陽の暖かみが一層増した気がした。
「いい天気だね」
「そうですね」
「自転車でどこかに行きたいな。今日が休みだったら良かったのにね」
野島はほやほやとした笑顔になった。そして言う。
「毎日こうやって平和なお昼休みなんだったらいいのに」
どこかでカラスが鳴いた。その平和な響きが野島の表情を少しだけ和らげて見せる。
「話したいことがあるなら話していいんだよ。遠慮しないで」
息が苦しくなるんです、と、逡巡した末に野島は言った。胸のあたりを小さな手でおさえて、指先が震えていた。
「教室にいると、ちょっと息がしづらいみたいな気がして、……保健室に行くほどではない気がするし……」
それでも自分には話してくれた。一度コンクリートの地面に目をやり、それから野島の目を見る。まんまるの瞳だ。
「野島くん。いいかい。僕の話を聞いて。ゆっくり考えてごらん。嫌になったら無理をしないで。ただ、深呼吸をすればいいよ」
「はい」
軽く肩に触れながら、まっすぐ見上げるその瞳を見返す。
「授業中より、休み時間の方が辛くないかい」
「……そうです」
「みんなが自由になる時が、怖いんだね」
「はい」
「雑談や笑い声が聞こえると、身がすくむかい」
「……はい」
かわいそうに。何も、何も悪くないのに。
由井は一度、野島の向こうに見える空を見渡した。野島もつられて振り返り、同じ方向を見た。
「野島くん。僕が、休み時間、どこにいるかわかる?」
野島の視線が戻ってくる。
「先生が? えっと……準備室ですか?」
「さあ。どうだろう。いつもいるとは限らないね」
「職員室のことも」
「そうだね。でもそれだけじゃない」
うなずいてから首を傾げて、由井の質問の真意を図り兼ねている野島の顔を見ていると、自然と笑みがこぼれた。
「嫌なことがあったら、僕を探して」
「先生を?」
「つらいと思ったらすぐに教室を出ていい。そして、僕を探しなさい。見つかったら声をかける。もし僕が誰かと話をしていて近づきづらかったら、僕の傍を通り過ぎてもいい。僕が気づくようにする。そうしたら今度は僕が君を追いかける。少しだけでもいいから、僕と話をしよう。怖かったら、人のいない場所を探そう」
自分が君の逃げ場所になる、そうしたい、君を守りたい、と、勢いで言おうとしてやめた。
なぜやめたのか、わからない。
「でも、あの、もしそうできなかったら……」
「その時はそれでいい。ペナルティを与えたいわけじゃない」
つらい場所に、ただいなければならないのは拷問に近い。他にする事があり、その場を抜けられるなら、そうした方がいいと思った。
その目的に、自分がなればいい。本当は、同級生がその役割をしてくれるのが一番いいのだけれど。
「一人で悩まなくていいよ。僕は君の味方だ」
そう言ってから、誤解のないようにと由井は取ってつけたように言い添えた。
「他の教師も、みんな君の味方だよ。いつでも話を聞くからね」
はい、と言って頷いた野島の顔は、本来の明るさを少し取り戻したように見えた。
さっき鳴いたカラスだろうか。羽ばたいて横切り、すぐに見えなくなった。
「またお弁当を作ってくれる?」
由井が聞くと、野島は「はい」とはっきり返事をした。
「もう少し休憩してから戻ろうか」
体の力を抜き、胡座をかいて楽な姿勢になった由井に、野島はまた、頷いた。
どこか遠くの方で、生徒たちの笑い声が弾けた。
ひくりと動いた野島の肩を抱く代わりに、昼休みを目一杯使って出来る限り野島と話をした。
ぽかぽかと、暖かい日だった。
-end-
2018.10.24