小説

□すなおの境界線
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不登校のきっかけは、本当に些細なことだった。

崇直と仲良くしていた女子生徒が、クラスの一部からからかわれた。からかった方からすれば、ほんの冗談のつもりだったはずだ。

黒板にでかでかと「小松崇直くんが大好き」という一文と共に名前を書かれて泣いた彼女に、軽く慰めの言葉をかけた。
するとその勢いに乗ったように告白され、崇直はその場で断ったのだが、どこからどう漏れたのか「抱き締めていた」だの「キスしていた」だの、おもしろ半分に誇張され、面倒くさくなって、ある日崇直は学校をさぼった。

1日休むと、もう1日休んでもいいような気になった。そうやってずるずると、だんだん学校に行けなくなった。

学校はそれなりに楽しかったような気がするのに、不思議だ。

崇直にとって深刻な問題になったのは、不登校そのものではなかった。
学校に行かずに家で過ごす時間が、だんだん苦痛になった。


この家での、世界での、自分の存在意義とは、という哲学的とも言える自問に、ゆっくりと首を絞められ、追い詰められると過呼吸を引き起こすようになった。

父や母、大学生の姉は、表立って心配したり非難したりすることはなかったが、崇直を気遣って気まずい空気になることがままあった。
その度に崇直は、少しずつ自分への評価を削って生きていた。

いい家族だ、と思う。
自分だけがハズレだった、とも。



「崇直?来てくれたの?ありがとう」

ベッドの上で佐和(さわ)がにっこり笑った。
清潔そうな病室は、かすかに消毒薬のにおいがした。

「今回は個室なんだ?」

崇直が部屋の端にあったイスを引き寄せながら聞くと、

「うん、たまたま。今回は検査が色々あって入院が長引きそうだから、助かるよ」

と、細い首をかしげて微笑んだ。

崇直の6つ年上の佐和は哲のすぐ下の弟で、自宅でウェブデザイナーをやっている。
柔らかい髪の毛に、穏やかでくりくりした瞳が人懐こそうな印象を与える。
崇直より少し小柄で誰にでも優しい佐和が、背が高く意地悪な哲と血が繋がっているとは、崇直にはどうしても思えなかった。

佐和には持病があり、中学生の頃に大きな手術をしてから、こうして定期的に検査のために入院する。
白く透き通るような佐和の腕に採血や点滴の細い針が刺さる──それを想像するだけで、崇直は腰の辺りがむずむずしていたたまれない気持ちになる。そのため検査入院だと知っていても、顔を出してしまう。

「兄さんの家庭教師は続いてるの?」
「ん。昨日も来た」
「相変わらずいじめられてる?」
「…ん」
「兄さんも大人気ないよな。崇直のことかわいくて仕方ないくせにね」

困った兄貴だね、と佐和が笑い、崇直は口ごもる。
病室の外を、スリッパの音が通り過ぎて行く。

「そうだ、雄斗(ゆうと)も久しぶりに崇直に会いたいって言ってたよ。僕が退院したら、兄さんも呼んでうちでご飯食べようって」

3兄弟の末っ子の雄斗は専門学校を卒業して美容師になったばかりだ。

「ゆっち、順調に働いてるの?」
「文句言いながらもなんとかやってるみたいだよ。今の髪型がまた奇抜でさ。色も。ピンクだよ」
「ピンク?」

雄斗のニヤついた顔を思い浮かべて、崇直は思わず笑った。

「すごいよなぁ、僕にはよくわかんないけど。崇直も見においで?あいつ今モツ鍋作りにハマっててさ、振る舞ってもらいなよ」

佐和の笑顔はいつもあたたかい。
しばらく言葉を交わしてから、のびをした後のようなすっきりとした気持ちで佐和の病室を後にした。


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