小説

□君に会える日が来たら
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「また眠れないの?」
「うん」
「一緒に寝る?」
「…うん」

ソファの上で膝を抱えるようにうずくまっていた圭太に、聡次郎は手を伸ばす。


そこは、大規模なこの施設の、共同のロビーだった。
聡次郎はシャワーを浴びた帰りで、パジャマにしているスウェットに長袖Tシャツ、肩にはタオルをかけていた。黒い髪がまだ濡れている。
一面が大きなガラス張りのロビーは、時間が遅いため照明が落とされ、ささやかな間接照明がオレンジ色のソファを照らしていた。その背もたれ越しに見慣れた水色の髪の毛が見えて、そっと近づくと、縮こまった圭太が正面のガラスを凝視していた。

聡次郎は圭太の手を引いて廊下を進み、エレベーターのボタンを押した。扉が音もなく開き、周囲が明るく照らされる。2人はそこに乗り込んだ。


ここでは色々な事情を抱えた幅広い年齢の人たちが、共同生活を送っている。
社会人、高齢者、学生、子ども。

それぞれに3畳の個室が与えられ、浴室、トイレ、キッチンと食堂、ロビーなどが共有スペースになっている。

ここでの最大のルールは、お互いの事情を詮索しないこと。
なぜここに送られたのか、いつから居て、いつ出ていくのか、それを話題にするのはタブーとされていた。

聡次郎も、圭太がなぜここにいるのかを知らない。ただ、彼が自分より2つ年下の14歳で、不眠の症状があり、人と一緒だとよく眠れる、ということを知っている。

「ハトのおじさんがマドレーヌ焼いたんだ。寝る前に食べる?」
「うん」

施設は12階建てで、1階と2階にはロビーや食堂や風呂などの共有スペースがある。4階から上が居住スペースで、3階には検査室が並ぶ。
聡次郎の部屋は8階だった。

エレベーターを降りて、聡次郎は圭太の手を引いたまま通路を奥へ進む。両側にたくさんの扉があり、右側の奥から2番目が聡次郎の部屋だ。

3畳の部屋には、ベッドと机がうまく収まっている。私物はほとんど見当たらないが、壁に1枚の小さな絵が掛けてある。海の上を一羽の鳥が飛んでいる絵だった。

聡次郎は枕の隣にクッションを並べ、ベッドの下の収納からタオルを1枚出してその上にかけた。
机の上の小さな箱からマドレーヌを2つ取り出し、1つを圭太に渡して、2人並んで僅かに空いた床に座って食べた。

「おじさんが次は何食べたいって聞くから、圭太に聞いとくって言った」

ハトのおじさんは聡次郎の隣室の住人で、いかにもおじさんという見た目に反して元お菓子職人という経歴の持ち主だった。
おじさんは子どもの頃、ハトをたくさん飼っていたそうで、皆が名前を覚える前に、ハトのおじさんという呼び名が定着してしまった。

「水まんじゅう、できるかなぁ」
「水まんじゅう?どんなお菓子?」
「冷たい赤ちゃんのほっぺたみたいな」

冷たい赤ちゃんというのがどういう赤ちゃんを指すのか、聡次郎にはわからなかったが、とりあえず頷く。

「ふぅん。どうかな。頼んでみる」
「できたらいいな」

マドレーヌをかじるとオレンジの風味が口に広がって、聡次郎は圭太がうずくまっていたソファを思い浮かべる。

ソファのオレンジ色と、圭太の髪の水色。

2人は共用の洗面所で並んで歯を磨いた。
それから部屋に戻り、壁側のクッションに圭太が、枕に聡次郎が横になった。
机の上のスタンドの明かりに照らされた圭太の髪はやはり水色だ。

「きれい」

聡次郎が言うと、圭太は顔だけを聡次郎の方へ向けた。

「なに?」
「圭太の髪の毛」

圭太は自嘲気味に笑って顔を正面に戻した。

「僕は、みんなと同じがよかった」

聡次郎は、そういうものか、と思った。
消すよ、と言ってスタンドのスイッチを押すと、部屋は暗闇に包まれる。静かだ。おじさんはもう寝ただろうか。

「聡ちゃん」
「うん?」
「手」
「うん」

そろそろと伸びてきた手を握って、聡次郎は体を圭太の方へ向ける。
圭太の体温は高い。一緒に寝ると、朝にはいつも少し汗をかいていた。

孤独と自由は表裏一体だと誰かが言った。聡次郎にはその意味がわからない。どちらも聡次郎が持ったことのない感情だからだ。この施設にはそのどちらも欠けているらしい。最近来た人が言っていた。




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