小説

□ほんとはもっと甘えたい
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「おい、歩(あゆむ)」
「…あ?」
「歩」
「なんだようっせぇな」

俺はテレビから視線を外さない。意地でも。

「今日は特に機嫌が悪いな。なぁ、あゆちゃん」
「誰があゆちゃんだ!バカじゃねぇの!」

思ったそばからガバッと振り向くと、意地悪そうに笑う浩介(こうすけ)の視線にぶち当たる。

「今日は泊まってくのかって聞いてんだよ」
「…泊まらねぇよめんどくせぇし。浩介うるせぇし」
「ふぅん。随分冷たいな」
「……」

浩介が俺のそばに来て座る。

「仕事から疲れて帰ってきたらかわいい恋人が来てて」
「か、かわ…」
「でもメシ食ったらテレビばっか観て俺には見向きもしねえし」
「そ…だっ、いや、」
「久々に来たから泊まるのかと思えばめんどくせえって。愛が感じられねえな」

少し悲しそうな顔に見えたのは気のせいか。

「いや、別にそんな、やっぱ泊まる、かな」

焦って言うと、浩介が吹き出す。

「最初から素直にそう言えよ。俺に会いたかったくせに」
「は?会いたかったのは浩介だろ!俺は別に、」
「そうだな。俺は会いたかったよ」

浩介の体にはいつも、タバコのにおいが染み付いている。ふいに抱きしめられて、むきになっていた気持ちが少し折れた。

浩介と付き合う前は嫌いだった、このにおい。
包まれると安心するようになったのはいつからだろう。

「明日休みだろ?ゆっくりしてけば」
「……ん」

10も年上の恋人に、俺はいつもからかわれ、なだめられ、好きなように転がされてばかりいる。


「今日、何してた」

俺を腕に抱いたまま、浩介は器用にタバコに火をつけた。

「何って…学校行って、部活休みだったから、そのままここ来た」

一度顔を背けて、一口目の煙をふーと吹いてから浩介が言う。

「お前友達いないの?」
「いるし!今日は誘いを断ったんだ!」
「そうかそうか。そんなに俺が最優先か」

すぐ近くで聞こえる声が笑いを含む。

「つか、浩介が帰ってくるのこんな時間なんだから、俺が放課後何しようと関係ないだろ。観たいテレビあったから!」
「相変わらず言い訳ひねり出すの下手くそだな」
「うっせえ!本当むかつく」

振りほどこうとした腕にさらに力が込められた。

「嬉しいよ。来てくれて」

浩介の声はとても低い。耳元で話されると、頭の奥まで響いてくる感じがして、俺はいつも胸がざわつく。

浩介が腕を伸ばしてたばこを灰皿に押しつけた。

「歩。顔、見せて」

大きな手が俺の頬を包んで正面を向かされる。キスしそうな距離。でも唇は触れなくて、俺はただじっと見つめられた。

「なに。見すぎだから」

一向に動かない浩介に焦れて言うと、浩介が聞く。

「キスしたくなった?」
「なんねーよ」
「唇が誘うようにふるふるしてたけど?」
「うっさい!」

浩介の手から逃れて立ち上がる。

「どこ行く?」
「トイレだよ!」
「何怒ってんだ」
「知るかバカ!」

トイレに入って深呼吸をする。
耳元で低く鳴る声と間近に迫った浩介の顔に変な期待をしてしまった俺は、そこが落ち着くまでしばらくトイレを出られなかった。


部屋に戻ると浩介はソファに仰向けに寝転がっていた。
顔には開いた経済雑誌が伏せられていて、微かに寝息が聞こえる。

「なんだよ。寝たのかよ」

俺は呟きながらソファの前にあぐらをかいた。

浩介は大手ファッションブランドに勤務していて、今の担当はレディースカジュアル部門らしい。業績が割といい分、忙しく、休日出勤もよくあった。
疲れているんだろう。

それでも昨日、俺が「明日行く」とメールをすると、なるべく早く帰ると返事をくれて、言葉通り9時前には帰宅した。

浩介には絶対に言ってやらないけど、俺は浩介のスーツ姿がすごく好きだ。しかも家に着いてから着替えるまでの、ネクタイを緩めてとりあえず俺を抱きしめて「ただいま」と言う、その少し疲れた感じのスーツ姿が。
だから、来られる時は先に来て浩介の帰りを待つことにしていた。

「…つまんない」

ゆっくり上下する胸を見ながら、浩介の肩に顎を乗せる。

あ、たばこのにおい。

肩口に鼻を押し付けて思い切り息を吸った。
安心するし。好きだし。

「こら、勝手に嗅ぐな」

浩介に頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。

「起きてたのかよ、汚ねえな」
「お前の鼻息で起きたんだ」

雑誌を避けながら浩介が言う。

「何が汚ねえんだよ。なんかやましいことでもしてたのか」
「してねえよ」
「じゃあ考えてた?」
「考えてない!」

むきになる俺に、浩介が目を細めて笑う。


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