小説2

□森田と岡崎
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気が緩んでほっと息を吐いたと同時に、店の奥から声が聞こえた。

「おい平井!お前昨日シンク磨いたのー!これで!」

聞き覚えのある声は、いつもより尖っていてキツい。
平井というのは目の前の女の店員の名前だったらしい。

「まだ途中です、すみません!」

彼女は気まずそうな顔で返事をした。

あとでやりなおせよー、という声を聞いて思わず俺は呟く。

「……偉そうに」

外部の人間にはへらへらしてるくせに、後輩にはデカい顔をしてるんだな。
本当に嫌なやつ。

すると平井と呼ばれた店員は俺の方を見て笑った。

「岡崎さんとお知り合いですか」

俺の独り言を親密な関係から出た軽口だと勘違いしたのだろう。口ごもる俺に、彼女は言った。

「厳しいけど、とっても尊敬できる先輩ですよ」

まさか。あいつが?とても信じられない。
どうせ女の子相手に媚を売って、この素直で健気そうな子の彼氏の座を狙っているとか、そんなところだろう。

反吐が出る。





 *





「あーなになに、今日森田さん来てたのかよ」

別件で納品書確認してたら、森田さんとこのがあってがっかりした。
俺、会ってない。

サインからすると平井が受けたらしい。

くそ。森田さんがちょっといい女だなとか思っちゃってたらどうすんだよ。
平井、素直で真面目だから森田さんのツボかもしんないのに。

長い前髪の下で、更に眼鏡に隠れた一重のキレイな目が俺を嫌そうに見るのを思い出して、切なくなる。

やっぱこれって恋?
だとして、勝率何パーくらいあんの?
だって今もう既にマイナススタートだろ。そんでなんとかプラスに持ってったとしても、そっからさらにホモに転向させなきゃとか。

ああ、ノンケ相手とかめんどくせえから嫌なのに。

「いやいや、そんなことより焼酎の納品数確認だよ俺しっかりしろもう開店30分前だっつの」

フリーターの俺だけど、ここで働き初めてもう2年ちょい。
他のバイトまとめたり新人教育したり、シフトによってはちらっと副店長みたいなこともしてみたり。

「平井!今日の予約確認しとけよー」
「あっ、はい」

森田さんの相手を横取りされた腹いせに、平井に渇を入れた。





 *





最悪だ。
よりによって職場の飲み会が、あの岡崎のいる居酒屋だとか。

俺はなんて運がないのだ。
人見知りだからただでさえ飲み会は憂鬱なのに。
早く帰って1人になりたい。



小上がりを貸し切って20人前後の飲み会になった。

酒に弱い俺は、端の方で割と仲の良い何人かでかたまって、ちびちびとカシスオレンジを飲んでいた。

「失礼します。お鍋お持ちしましたので、セット致しますねー」

来た。あいつだ。

俺の後ろにある引き戸を開けて入ってきたのは岡崎で、その後ろから別の2人が鍋を持って続いた。

会社の皆の前でこいつにいじられるのは地獄だと思った俺は、奴の視界に入らないように体を小さくしてひたすらカシスオレンジを見つめていた。

「鍋から湯気が出てきたら出来上がりです。ごゆっくりどうぞ」

岡崎がよく通る声でにこやかに説明をして、引き戸のある俺の方に戻ってきた。

緊張で手の平に汗をかいた。

岡崎は俺の脇に膝をつく。
無視をきめこむ俺に、岡崎は小さな声で言った。

「森田さん、いつもお世話になってます。ごゆっくり」

声の感じが節度を保っていて、それでいてまるい。

拍子抜けした俺がちらりと顔を窺った時にはもう岡崎は立ち上がりかけていて、視線は交わらなかった。

その横顔を見て少し驚く。

そんな優しい顔ができるのか。
それともそれは営業スマイルか。

腹の底では何を考えているのかわからない。
だけどとにかくほっとして、そこからは少し、カシスオレンジが美味しくなった。





 *





やばい。まじやばい。
森田さんが店で飲んでいる。



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