小説2
□森田と岡崎4
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「あ、おはよ、森田さん」
「……本当に来たんですね」
「え?つかそれこっちのセリフだしねー。本物の森田さんが来た」
岡崎はゆるく微笑んでいる。店で見るより少し顔色が良さそうだ。
何にせよ、自分には縁のない顔立ち、縁のない人種だと再確認する。
「……中で待ってた方が……暑くなかったのでは」
言うと岡崎は一瞬遅れて満面の笑みを浮かべた。
「俺はここで、森田さんと待ち合わせをしてみたかった」
変だ。やはり岡崎は変わっている。
よくわからないので図書館の自動ドアへ向かう。岡崎もついてきた。
心地よい温度に設定された館内を歩く。
メールで教えた作家の棚をざっと見渡し、一冊を手に取って岡崎に差し出す。
「これは割りと。読みやすいかと」
「へえ。……うわ、字ちっちゃ」
「普通ですけど」
「あそっかそっか、これは大人用だもんねー」
それを聞いて思い出した。以前岡崎が読んでいたのは児童書だった。
犬の。
「犬が好きですか」
「犬?好きだよ」
じゃあ、と思って児童書コーナーに向かおうとすると、岡崎が俺の手に触れた。
「違うの。俺、今日は、森田さんが好きだっていう本を借りに来たんだよ」
俺が好きかどうかが、なぜ岡崎に関係あるのだろう。
考えていると、触れられた指先をきゅっと握られ、俺は咄嗟にそれを振り払った。
最早それは防衛本能で、他人に触られることに俺は不安を覚えるからだ。
岡崎はふっと笑って、ごめん、もうしないから、と言った。
書棚に向き直り、考える。とにかく俺が好きな作家ならいいのだろうか。岡崎の意図が掴めないので、その意味を考えるのはやめた。
そこであることを閃き、岡崎の方を見ると、彼は俯いてピアスを弄っていた。
「……やめますか?」
「あ、え?何を?」
「……本」
「やめないよ、借りたい」
「じゃあ、こっち」
俺は児童書コーナーに向かい、低い書棚を丹念に探す。
「森田さんも子どもの本、読んだりするの?」
岡崎が囁くような音量で言った。図書館で静かに話すという気の遣い方に、少し意外な一面を見た気がした。
首を横に振りながら、発見した目当ての本を岡崎に見せる。
「俺はこの作家が好きで。ミステリですけど」
「ミステリって?」
「推理小説。殺人が起こって犯人を探す、みたいな」
「ああ!わかるよ、おもしろそう」
「普段は大人向けの推理小説を書いてる人だけど、これは子どものために書かれたやつで」
「あ、字がでかい」
「振り仮名も振ってあるし」
岡崎は、あー、と言いながらペラペラとページをめくり、俺を見て、ありがとうと言った。
「人間失格は」
その綺麗な顔の輝かしさに耐えられないような気がして、気がついたら言葉が出ていた。
「ん?」
「人間失格は、小さい文字じゃなかったの?」
「ああ。うん。あれは、解説がついてて」
要は、そっちも子ども向けに編集されたものだったのだ。
「これが読めたら、森田さんが読んでるやつも読めるかな」
そう言って照れたように笑う岡崎に、どうしてそこにこだわるのかとは聞けなかった。
どうせ会話はまた不成立だと思ったからだ。
でも、わりと。
わりと今日は、普通に話ができている。
というより、俺の心がいつもより岡崎の方を向いていると言った方がいいのかもしれなかった。メールも店での会話も、俺が理解しようとしないだけで、もしかしたら岡崎は理解不能な変人ということもないのかもしれない。
交流したくない人種ではあるが。
「森田さん、あのね、一回外に出る気とかないよね」
「……外?」
「お礼。お礼がしたい。わざわざこれ、探してくれた」
「いや。別にそんなのは」
「コーヒー飲む?」
俺は首を横に振る。
「お茶系?」
また首を振る。
「普段何飲むの」
「水」
「ああ。水。水」
岡崎は噛み締めるように言い、また綺麗に笑う。
「あの、もう俺、行きます。お疲れ様です」
奥の閲覧室に向かおうと岡崎に背中を向けた。これ以上一緒にいたら情が移りそうだと思った。犬みたいに。
「ありがとう」
後ろから聞こえた抑え目の声に俺は軽く頷き返した。
*
「あ、どうも。こんにちは」
「どーもー」
初めて会うその人は、年上だと思うけど童顔の、ぼんやりした感じの人だった。
今日は幸二さんには会いたくなかった。