小説3

□森田と岡崎7
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森田さんが、結婚をしていて。
奥さんが、いた。ってこと。
森田さんに触ることのできた女がいた。いたことがある。ってこと。

森田さん。
どんなだった?幸せだった?好きだった?奥さんのこと。
どんな顔をして、奥さんを見てたの。
森田さん。
どうして、俺に、話してくれたの。

きっと森田さんにとって、とても、辛い記憶。

俺は、全神経を集中させて、森田さんの悲しくて寂しい話を聞いていた。






 *






あらかた話し終えて、そこで初めて俺は、岡崎が俺の体に触れていることに気付いた。
指輪を嵌めた手が、俺の頭や肩をそっと撫でる。慰めるようにして。

どうして、こんな話を。
岡崎に。

「逃がしてあげなきゃだめだよ、森田さん」

逃がす?
顔を上げて岡崎の顔を見た。膝に置いた俺の手を、岡崎は撫でながら、ゆっくりと言う。

「その時の森田さんと、元の……奥さんのこと。森田さんの中から、逃がしてあげて。許してあげてよ」

逃がす。許す。
あの時の、俺と、彼女を。

「そうしなきゃ、森田さんはずっと、今もずっと、そこから全然動けないままじゃん」

岡崎は俺の腕をさすりながら言う。その話し方は静かで、いつか一緒に図書館で本を選んだ時のことを思い出した。

「もういいんだよ。森田さん。苦しまなくていいよ。反省も後悔もたくさんしたでしょ。もう十分だって」

まだ岡崎をよく知らなかった頃、嫌いだと思っていたその声が、今は少し掠れて優しく響く。

「俺は、悪かったと思って……」
「うん。でもね、その人は今、幸せにしてるかもしれないよ。森田さんも幸せになって、それで、別々だけどお互いに幸せになれてよかったって、そっちの方がその人もうれしいんじゃねーの」

最後に手の甲をぽんぽんと軽くたたいて、岡崎の手が離れていく。

「ほんとに、大事にしてたんだ。その人のこと。ね、森田さん」

そうだ。大事だった。これ以上ないほどに、大事に思っていた。

「でも伝わらないことってあるよね。好きでも、うまくいかないことってあるよね」

岡崎は下を向いた。それから、俺もそういうのあるよ、と言った。

守りたいと思ったのに、全然守ってやれなかった。ずっと隣にいたのに、傷つけて、1人にしてしまった。
でも。

「俺には、自分の何が悪かったのか、今でもまだわからない。何千回も何万回も考えたけど、何をどうしたらよかったのか、わからなくて」

岡崎が差し出した手を、握手をするように思わず握った。しっかりと、男の手だ。
どうして、俺は、岡崎に触ることができる?

「森田さん、それはきっと相性の問題だよ。不可抗力、っていうんだっけ。森田さんもその人も悪くなかったんだよ」

そうだろうか。本当にそうだろうか。

「俺には……そうは、思えない、けど」
「絶対そうだよ。俺は森田さんがどんだけ優しくて繊細な人か、こんな付き合い短いのに知ってんだから。多分森田さんだって同じくらい傷ついたって。違う?辛かったでしょ?誰も近寄るなって警戒してたった1人で歩いてきたんでしょ?それで十分、あいこじゃねーか」

でも、と言いかけて黙ると、岡崎は、うん、と言った。それに勇気づけられて、俺は口を開く。

「また、誰か、傷つけるかもしれないと、思って」
「怖い?」
「……怖い」
「怖いの。森田さん」
「……俺は普通にしてただけなのに、相手が、傷ついたから」
「いろいろ悪い条件が重なっただけだよ。森田さんのせいじゃないよ」

岡崎の声が、どんどん浸み込んでくる気がした。

「森田さんは優しいから。傷つきすぎてカッチコチに固まっちゃって、人の入り込むすきまがなくなっちゃってる。もっと人と話したり、した方がいいって。俺とは話してくれるようになったじゃん。今度俺の友達も交ぜて飯行こ?森田さんを悪く言う奴なんか、俺の友達にはいないし、つか俺が言わせねーし、俺は少なくとも、森田さんに癒されるし、大事な友達、だと、思ってる」

返事はできなかった。代わりに2、3度頷いて顔を上げる。
体から力が抜けていく。
しばらくそのまま綺麗な顔と向き合っていた。

「森田さん、俺の目、見るよーになったね」

岡崎が小さな声で言って、笑った。
本当に。どうしてか。自分でもよくわからない。でも、岡崎は、嫌じゃない。嫌じゃなくなった。

「岡崎さんは……」
「うん?」
「岡崎さんは、人の話を、聞き慣れてる」
「バイトでみんなのガス抜きみたいのやって覚えたんだよね。いちいちめんどくせえって思ってたけど、今日初めて、そういう役回りやっててよかったって思ったよ」
「店長さんは、人を見る目があるんだ。岡崎さんのそういうところ、見抜いて、頼んだんだ」

まっすぐに目を見ると、岡崎は照れたように笑った。そんなことねーと思うけど、と言って笑った。

この話を人にするなんて、万に一つもないと思っていた。


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