小説3
□ほんろう 3
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「矢崎、今日誕生日でしょ?」
「あ、うん」
「これあげる」
「手作り?」
「そう」
「へえ、すごいね。ありがとう」
そんな会話が聞こえてきて、俺は伏せていた頭を上げた。
教室の入口付近で、矢崎とクラスの女子が話をしている。矢崎の手には小さな紙袋。何かプレゼントをもらったらしい。
ふぅん。誕生日。
見るともなしにその光景を見ていると、矢崎が不意にこちらを見て目が合った。
矢崎はすぐに目を逸らす。
チャイムが鳴り、皆がバタバタと席に着く。矢崎もこちら側に歩いてきて俺のすぐ横を通る。
また目が合う。
「何だよ」
「何が」
一瞬で会話が終わる。
お互いに、何見てんだよ、という牽制。
矢崎の誕生日。
放課後、教室の掲示物を貼り替えている背中に近づく。周りには誰もいない。
「委員長」
振り向いた矢崎が、真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
「お前今日誕生日なの」
「そうだけど」
「さっき何もらった?女子から」
「お菓子」
「手作りの?」
「うん」
「モテんな、お前」
そんなことない、と言う顔がほんのり赤くなって、俺はおもしろくない。
「これから付き合えよ」
「え?何に?」
「いいから来い」
「だめだよ、今日はこれから塾だし。お前も少しは勉強でもしたら?」
勉強ね。
「じゃあ勉強教えろよ」
「勉強?俺が中村に?」
「これからうち来い」
「中村の家に……」
呟いて、ワンテンポ遅れて目を泳がせる矢崎を、俺はじっと見つめる。
「矢崎」
素早く首にキスをして離れると、矢崎は短く息を呑み、すぐに目つきを緩める。
「勉強っ、するなら、ちゃんと…ちゃんと、真面目にやるのか…」
つっかえながら俺に聞く矢崎に、俺はしおらしく頷いて見せた。
マンションのオートロックに鍵を差し込んで開ける。
「鍵でも開くんだ」
感心する矢崎をスルーしてロビーを抜け、エレベーターに乗る。矢崎も大人しくついて来た。
「家の人は?」
「知らね」
「いないの?」
「多分」
ところが予想に反して、自宅は無人ではなかった。
玄関を開けると、微かに声が聞こえる。
「あれ、誰かいるんじゃないか」
「…兄貴」
「中村、お兄さんがいるんだ」
自室のドアを開ける時、隣り合う部屋のドアの向こうから、女の楽しそうな笑い声が聞こえた。
部屋に入って振り返ると、矢崎が所在無げに立っている。
「座れば?」
「うん…」
「塾、いいのかよ」
「お前が休めって言ったんじゃないか」
「俺の言うこと聞けるんだ」
「な、何だよ」
バツが悪そうに辺りを見回した矢崎の視線が一点で止まる。
「中村、あの壁どうしたの」
「…ああ」
殴って穴を開けた箇所のことを言っているらしい。
「こんな立派なマンションに穴開けて。お父さんに叱られない?」
「親父もお袋も穴のこと知らねえよ、多分」
「入らないの?部屋に」
「入らねえだろ。お前んち入るの?」
「入るよ、妹も入るし」
「矢崎、妹いんの」
「うん。小4」
「お前になついてる?」
「どうかな。昨日部屋に折り紙で飾りつけをしてくれてたけど。あとたまに怖い夢見たよーとかって来るから一緒に寝るけど」
何となく興ざめて、携帯を取り出していじっていたら、矢崎がそわそわし出した。
「中村」
「何」
「トイレ借りていい?」
「いいけど」
出て右、と言った俺に頷いて立ち上がった矢崎が、ピシッと固まる。
始まった。
「これ…あ…」
悟ったらしい矢崎が、顔を真っ赤にした。
隣の部屋から聞こえ始めた女の喘ぎ声。これからもっと大きくなるはず。
「兄貴が彼女とヤり始めるわけ。ほんで、ムカついて壁殴って、あの穴開いた」
「ああ…」
立ったまま動くことができずにいる矢崎の手首を引くと、簡単に倒れ込んできた。