小説3

□王子と姫、通宵。
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朝から雨が降っていた。

外でサッカーをする予定だった体育も体育館内でのマット運動へ変更され、クラスの皆はやる気のない放漫な動作で体を動かしている。

湿気を帯びた床が、靴の底のゴムでキュッキュと鳴った。

姫野は何してるかな。

本城は壁際であぐらをかき、野島がマットの上でくるりと回るのを見ながら考えた。

ぼんやりと窓の外を見ているだろうか。
真剣に板書しているだろうか。
眠気を抑えるために教科書を読んでいるだろうか。
自分のことを、思い出すことはあるだろうか。

野島は、腹の上までめくれてしまったTシャツを急いで直し、本城の横で小さく体育座りをした。

「できなかった…」
「そう?できてたよ」
「苦手なの、マット運動」
「足、大丈夫?無理しないでね」
「このくらいなら平気。ありがとう」

恥ずかしそうにする野島の腹が色白ですべらかだったことを思う。

姫野とどっちが白いかな。

ぼんやり考える本城の目の前で、他のクラスメイトが宙返りをする。

「うわぁ!すごい!」

感嘆の声をあげて拍手をした野島にそのクラスメイトが寄ってきて、ハイタッチを要求した。
どさくさに紛れて手を握られている。

最近、本城のクラスでは野島の人気が高まりつつある。
可愛らしい容姿と、優しくて明るく素直な気質。

姫野とは違う。全然違う。

別に野島のことを嫌うわけではないし、むしろ友達としては本当に付き合いやすいタイプだった。

でも。
自分は姫野がいいし、姫野しかいらない。
何があってもそれだけは揺るがない。

本城は、手を握られ困惑して照れ笑いをする野島を微笑ましく見守りながら、延々と姫野のことを考えていた。




「すごいね」

昇降口から外を見ると、授業中より降り方が酷くなっていた。

本城はガラス戸を出て自分のビニール傘を広げ、姫野を振り仰いだ。

「こっちで一緒に帰ろう」

姫野は少し戸惑い気味に、自分の傘を閉じたまま本城の傘の下に入った。
本城は手を差し出し、姫野の傘も持ってやる。
綺麗に畳んで細く巻かれた、紺色の傘。

少し歩みを進めただけで、足元がべちゃべちゃに濡れた。雨粒が傘を叩く音が、バツバツと聞こえる。

「もっとこっち来ないと濡れちゃうよ」
「いいの」
「駄目だってば。風邪引くよ」
「大丈夫だし」
「今日ね、体育、マットになったよ」
「ふぅん」
「野島もやったんだよ。ころって前転して」
「野島だって前転くらいできるでしょ」
「俺ね、ずっと、姫野のこと考えてた」

土砂降りの中、一本の傘の下で続ける会話は、世界中の誰にも邪魔されないような気がして心地が良かった。

「ずっと、姫野のこと、考えてるよ。いつも」

怖いくらいだ。どうしてこんなに、姫野じゃなきゃ駄目なんだろう。
姫野がいなくなったら、きっと自分は、ぱっと消えて無くなるに違いない。

「変。最近、本城、変」

口を尖らせて自分を見上げる姫野を、抱きしめたくて仕方がなくなる。

「聞いてるの?ちょっと、本城」
「ああ、うん。聞いてる」
「ぼーっとしてるし、迎えに来るの遅いし、金髪が前より金色になった感じするし、野島とすごい仲いいし、でも野島のことはいいけど、なんか変」
「へえ。そうかな」

姫野の言うことの半分くらいは意味がよくわからなかった。

「髪がなんだって?」
「だから、前より金色だって」
「えー、何それ」
「知らないよ」
「姫野が言ったんでしょ」
「だってそうなんだもん」

永遠にこうやって話していたい。

「ねえ姫野。姫野は、俺のこと考えたりする?」

自分と同じくらいじゃなくてもいい。
胸が苦しくなったり、なんで本城じゃなきゃいけないんだろうとか、考えたりする?

姫野は無言だ。

その時、雨の音が一段と大きくなった。
風はないのに、雨の勢いだけで傘が壊れそうだった。

「どっか寄って雨宿りしてこっか」

本城が言うと、姫野は尖った声で「いいよ」と言った。



公園にある大きな遊具の中に、2人で入った。
土砂降りなので、公園には当然誰もいない。

真っ赤で大きな球体のその遊具は、中が空洞で、下の部分に幾つか穴があいており、そこから中へ入って、壁をよじ登ったり寄りかかったりする以外にどうやって遊ぶのかがよくわからない。

薄暗いその空間は、外の雨の音すら遮断してしまった。

「…お父さん、帰って来た?」
「ああ、いや。まだ。来週か、その次の週かな」

姫野には、父が帰って来るという話だけしていた。
本城がどんな話をするつもりなのか、その結果が本城家にどんな影響を与え得るか、そういうことは一切伏せたまま。

「もしよかったら、またうちに来て。それで、父さんにも会って」
「いいけど」


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