小説4

□10年前の光景
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「ヘター!森田、へた!あはは」

小学生が学ランを呼び捨てにして笑った。

学ランは、何度かやってみて諦め、それからちらりと小学生を見た。

「…よく、覚えてたね、名前」

小学生はまた学ランの手を取ってぱしーんとしながら、こくりと頷いた。

「森田は覚えてない?俺の名前」
「覚えてる。まさひろ、でしょ」

ぱっと顔を上げ、隣の学ランを見上げたその顔は見えなかったけれど、きっとうれしいんだろうと、その背中からありありと窺えた。

「森田のさー、お兄ちゃんと弟はさー、森田と仲いい?」
「…普通」
「ふーん」
「…あなたのところは?」
「ねーちゃんは、弟と仲いい。俺だけケンカしてる」
「…真ん中は、不遇な時代が、あるから…まあ、仕方ない」
「ふぐうって?」
「大人になったら、わかる」
「森田だって大人じゃないくせに!」

小学生に言われて黙ってしまう学ランが若干心配だ。

「森田、そんなんじゃモてないよー」
「…モてない」
「そうだよ。暗いのばっか読んでるしさー。もっと友達とハンバーガー食べたりするじゃん高校生は。ねーちゃんはしてるよ、中学だけど」
「ハンバーガー…」

なんだろう。この2人は。

お互いの兄弟の話をしているからやはり兄弟ではないし、名前を覚える覚えないの話をしているから親戚でもない。最近付き合いが始まったような。

なんて、平和な世の中だ。
世代の壁を超えて通じ合っているように見える2人のその他愛もない会話を聞いているうちに、明日もなんとかなる、ぼちぼちがんばるか、という気持ちになって、幾分視界が明るくなった気がした。

突然、電子音が鳴り、小学生が慌ててボロボロのランドセルを漁る。
中から出てきたのは子ども用の携帯。

「もしもし。…今、川んとこ。…うるせーブス……やだ!やだ、食べる!帰る!今!」

学ランは、生意気な小学生を静かに見守っている。

「俺帰るね。ねーちゃんがご飯抜きとか言うし」
「あなたも、女性に、その、ブスとかは、ダメだよ」
「いいの。ねーちゃんはいいの。ムカつくから」

ランドセルを背負って傍らに立ち、小学生は一瞬、名残惜しそうに学ランを見た。

「森田、明日もいる?」
「……いる」
「えーまたいるの?ハンバーガー食べにいかないの?」

小学生は嬉しそうに言う。
きっと本当は学ランに会いたいのだ。

学ランには、ここに来る理由がないのかもしれない。
でもあんなに嬉しそうにされたら、来ないとは言えないのかもしれない。
もし来なければ、今は少し家に居づらいらしいあの小さな友人の心を傷つけるかもしれないと、気を遣っているのかもしれない。

「ここに、いるよ」

学ランは答える。

「じゃあまた明日ね!」
「…雨じゃ、なかったらね」
「ん!ばいばい森田!」

小学生が後ろを向いたので、顔がはっきりと見えた。
態度と反対に、たれ目でかわいらしい顔をしていた。

土手を駆け上がって去って行く小学生を見えなくなるまで見送って、学ランは小学生に渡されたアメをゆっくり口に運んだ。
しばらくぼうっとしてから立ち上がり、小学生とは反対の方向へと去って行った。

やっぱり、あの子のためにここに来るのかな。

いいな。俺にもそういう人が、無条件に優しくしてくれるような人がいればいいのに。

なんだか少し感傷的になりながら、自分も立ち上がる。

空を見れば、浮かんだ雲が桃色に染まり始めていた。

書類鞄を持ち、スーツの裾を払って土手を登る。

明日も面接、頑張ろう。
次にここに来る時には、胸を張れるように。







2014.10.29
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