小説4

□34 なつめと犬
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なつめが風邪を引いたらしい。

『創樹くん、ごめん。今日家行く予定だったけど、うつすといけないから』

電話口でなつめはとても申し訳なさそうな声で言った。

「お前風邪引けるんだ」
『えっと、どういう意味?』
「別に。つか声ガラガラじゃん」
『うん…珍しく結構ひどくて。熱出すのなんか小学生以来じゃないかなぁ』

合間に咳をしながら、なつめはもう一度「ごめんね」と言った。

そこで、ふと思う。

「俺、お前んち行ったことねえんだけど」

不自然な沈黙。

「行くわ」

行きたいと思ったこともないけど、なつめは絶対にうちに来いとは言わない。むしろその話題を避けてきたような節がある。

『待って!あの、かっ、風邪うつると、』

慌てたようなその反応で楽しくなってくる。

「うつんねえよ。ガキじゃねえし」
『でも!』
「何。女でもいんの」
『いるわけないでしょ』
「男?」
『いないよ!』
「行きたいなぁ…なちゅめんち行きたいなぁ…」
『…あー…かわいいね…』
「住所言え」
『…創樹くんー…』
「言えよ殺すぞ」

苦笑しながら、なつめは住所を言う。

『駅から少し歩くよ?大丈夫かな…心配だ』
「ふぅん」
『無理しなくていいから』
「行く。もう決めた」
『そう?…じゃあ…気をつけてね』

何かあったら連絡してね、という声を聞いて電話を切る。

なんだか少しわくわくした。





「…汚ねえ」

なつめの家に着いて、開口一番思ったことを口にする。

「これでも…電話切ってから片付けたんだけどね…あはは…」
「意外!意外すぎ!まじ汚ねえ!なにこれ!お前ってこういうアレか!」

一人暮らしのなつめの部屋はワンルームだった。
ベッドがあって、テレビと小さい本棚とノートパソコンとテーブルがあって。

「あとは全部ゴミじゃねえの?」
「失礼だね…ゴミじゃないよ…」
「すげえ。どうしたらこうなんの?お前だらしないとこあんだな」

意外な一面を見て、楽しくなってくる。

傍で途方に暮れたように佇むなつめは、顔が赤くて目がとろんとしている。

「掃除とかいいから寝れば」
「でも、創樹くんの座るとこもないし…」
「本当な…これ、床に散らばってんの全部大学の教科書?」
「うん」
「壮絶なんですけどー」
「すみません…」
「まあいいわ。お前とりあえずこれ着て寝ろ。暖かいから」

手渡したのは持ってきた袋。

「なに?」

嬉しそうに袋を開けたなつめの表情が固まる。

「違う違う。そういうんじゃねえから。これまじ暖かいやつだから。暖かい犬の着ぐるみ型パジャマだから」
「犬コス!」
「騙されたと思って着ろって。飯も買ってきたし」

散らかったテーブルの上をザーッと脇に寄せて、スーパーで買ったお好み焼きを置く。

「わあ。お好み焼き」
「好きだろお前」
「うん。好き。…ありがとう」

なつめは微笑んで、俺の手を引いてベッドに座った。

「ちょっとね、心細かったんだ。具合悪くて…でも創樹くんが来てくれて、元気になった」

ガラガラした声で言い、爽やかに笑う。

「…寝れば」
「うん。でもなんだかもったいない」
「汚い部屋ー」
「ごめんってば」
「つか犬着ろよ犬」
「えー…」
「すっげえ暖かいからまじで。知らねえけど」

なつめが袋から出したそれは、ふわふわモコモコで茶色の生地でできていて、見るからに暖かそうだ。
抵抗する気力もないのか、なつめは少し震えながら着替えた。
ごほごほと咳をするなつめに、ちょっとキュンとした。
どうしてなのか全然わからない。

前のボタンをプチプチととめて、俺の顔をちらっと見る。

「偉いねー、なったん」
「…あ、ほんとに暖かいよ」

鏡の前に立って自分の姿を確認するなつめの表情にはもう迷いがない。
ふさふさのしっぽを振りながら、垂れ耳付きのフードをかぶってみたりしている。

どうしてお前はそうなの。素直すぎるだろ。自分の意志とかないの?それでいいの?お前の人生だよ?

多少同情していると、フードをかぶったまま、なつめはお好み焼きの袋を持った。

「創樹くん、一緒に食べよう」
「お前、手使わないで食えよ。犬なんだから」
「え!顔がソースだらけになっちゃう」
「そしたら舐めてやるから」

一瞬ぽわっとした顔をしたと思ったら、すぐに首を横に振る。

「風邪うつっちゃうよ」
「そこかよ」
「マヨネーズ足そうかな。創樹くんもいる?」

なつめは小さな冷蔵庫からマヨネーズを持って来た。


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