小説4

□吉丁八本
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「そろそろ行かなきゃ」

翔(しょう)くんが壁の時計を見ながら言って、俺はとたんに心細くなる。

「もう行くの?」
「ここも行かなきゃだろ?客、待ってんじゃないの?」
「…まだ時間ある」
「仕方ないなぁ。心(こころ)は」

翔くんはそう言うと、呆れたように笑って、もう一回抱きしめてくれた。

一生、ベッドで翔くんと抱き合っていられればいいのに。

離れるのがイヤで力いっぱい抱きついた俺の背中を、翔くんはぽんぽんしてくれる。

「今日は予約あるの?」
「わかんない…多分…あるけど…」
「ここは売れっ子さんだからね」

こんなかわいい子が来てくれたら俺ノンケでも一瞬で勃起するわ、と言って、翔くんはキスをしてくれた。
うれしい。

「翔くんは?明日の朝帰ってくる?」
「うんー。多分ね。先輩たちが帰してくれたら」

また、先輩たち。

「…何時ころ?」
「わかんないよ。帰る時連絡するから。ね?もう行くよ」

そう言うとするっと起き上がって、翔くんは手早く着替え始める。
俺の腕はからっぽになった。

「心、ごめん。5万借りていい?持ち合わせ無かった」

翔くんは、お金が入ってる引き出しに手をかけながら、俺を見る。

「いいよ」
「返すから」
「いいよ、そんなの」
「ごめんな、本当」

のろのろ起き上がりながら、今日の下着と洋服を頭の中で選ぶ。

「じゃあ行ってくるね。仕事がんばれよ」
「あっ、待って、行ってらっしゃいのちゅして」

親を追いかけるヒナって、こんな気持ちじゃないかな。
さびしい、さびしい、さびしい。

立ち止まって振り返った翔くんは、完璧な笑顔でキスをしてくれる。
それからすぐに出て行ってしまった。

さびしくて泣きそうな気持ちを飲みこみながら、俺も支度を始める。


翔くんはもともとお客さんだ。
かっこいい顔してて、モデルの仕事に誘われたこともあるって言ってた。

優しくて、怒ったりしなくて、いっつもテンションが同じだから、すごく癒されて、3回呼んでもらって好きになった。
テンションが同じってとこがすごく大事。
急に怒ったり泣いたりしない。安心できる。

翔くんには、家がない。
だから今はうちに住んでる。
仕事をする時もある。ポスティングとか。キャバクラのオープニングイベントのスタッフとか。
でもすぐ辞めちゃう。多分、優しすぎるからだ。
それで、その間は使う分だけお金を貸してあげて、でも働いたらちゃんと、少しずつ返してくれる。
ちょっとずつでごめんって、すごく何回も謝りながら。
俺はそんなの、どうでもいい。翔くんが仕事で傷ついて帰って来るほうがイヤだから、お金なんかあるから、だから、ずっとうちにいてくれるほうがいいのにって思う。

最近、翔くんは、前の職場の先輩とかいう人たちと、たくさん飲みに行くようになった。
3日帰ってこなかった時は、心配しすぎておなかを壊しちゃった。仕事にならなくて大変だった。

俺は、ゲイの人相手の出張ホストをしてる。



仕事のしたくをし終わって事務所に連絡したら、聞きおぼえのある名前で予約が入ってて、タクシーでシティホテルに行った。
そのホテルは繁華街にあって、キラキラした小さなライトがたくさん壁についてた。

ああ。あのおじさんか。前も、ここに泊まってた。仕事でこっちに来た時に呼んでもらったんだった。

大丈夫。変な人じゃなかったと思う。多分。

部屋番号はメモしてある。これから飲みに出るらしき人であふれたフロントを素通りして、でかいエレベーターに乗った。

「ココ!」
「上山(かみやま)さぁん。久しぶり」

部屋のベルを鳴らしたら、大げさに腕を広げながら上山さんが出てきて、迎えてくれた。

「ココちゃん、まだホストやってたんだね」

孫に会ったじいちゃんみたいな顔してる。

「やってるよ。お客さんいるうちはやるよー」
「ココちゃんかわいいから、誰かに買われて辞めてるかと思ったよ」

まさか。江戸時代じゃあるまいし。

「ダメ元で電話してよかった」
「ありがと」

指名されるのはうれしい。意味があることだ。



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