小説4
□森田と岡崎19
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岡崎は今日の夜、来てくれるだろうか。
朝、あんなことをしておいて、気になって一日中上の空だった。
昼も夜もほとんど食事が喉を通らず、帰宅後畳に寝転がって岡崎のことを考える。
不安でどうしようもない。今まで過ごしたこの短い期間が特別な奇跡だったような気がして、それが今にも手元からすり抜けて行くような気がして、苦しくなり、体を折って丸まった。
伏せた写真立てが目に入り、体をずるずると這わせて近寄った。考える間もなく手が勝手にそれへ伸びる。
理不尽に伏せられていたというのに、写真の岡崎は変わらずそこで笑っている。眩しいくらい明るい笑顔だ。
好きだ。
この人のことが、痛いくらい好きだ。
苦しい。
諦めろ。諦めろ。
こんなに深く濃い気持ちを、俺は今までどこでどうやって育てていたのだろう。
それからどう過ごしたのかわからない。
玄関の扉が開く音で我に返った。
「…ただいま」
岡崎は明らかに様子がおかしかった。
いつもの笑顔も浮かべていないし、どことなく暗い表情だ。
ギクリとする。
やはり別れ話をされるかもしれない。
ぎゅっと拳を握って正座した。
「おか、おかえり…」
「ん…」
岡崎は手に持っていたコンビニのビニール袋をキッチンに置くとこちらに向かいかけ、キッチンに戻って袋からペットボトルを2本取り出して、それから改めて俺の向かい側へ座った。
目の前にミネラルウォーターが置かれる。
「ありがとう」
「んー」
しばらく気まずい空気が停滞する。
深夜2時。すぐそこは繁華街だが、今日は火曜だから比較的静かだ。
ちらりと見ると、岡崎は下を向いて服をいじっている。白のポロシャツで、柄のデザインがちょっと凝っている。
服のセンスがいいところも、憧れのような気持ちで、好きだ。
やはり好きだ。どこをどうとっても好きで仕方ない。
どうしたらここでまた笑ってもらえるだろう。
「岡崎さん」
「…んー」
目が合う。
触れたい。この綺麗な人の肌に触れたい。
拒まれるだろうか。そもそも、俺はこの人に触れていいのだったろうか。
俺の心を見透かしたように、岡崎は薄く笑う。
「どしたの。なんかあったんでしょ。今朝からおかしいし…俺こんなだけど結構強いし傷ついたりしないから正直に言ってよ」
薄笑いは段々、あの諦めたような笑顔に変化した。
戻っていく。お互いがお互いになんの影響力もなかったあの頃に戻っていく。
「元妻となんかあったんだ。そうでしょ」
モトツマ。
それが何を意味するのか一瞬わからなかった。
「…違う、それは」
「…なんだ」
俺をじっと見て少し安心したような顔をした岡崎を見て、思う。
もしかすると、岡崎も不安に思っているのだろうか。無理をして強がって笑って、だからあんな楽しくないような笑顔になるのか。
俺が、何も言わないから?
俺の様子がおかしいから?
そうか。こういう時が、言葉にしなければいけないタイミングか。
怖がってはいけない。ここで怯んで失う方が余程怖い。
「岡崎さん、あの、俺は、…勝手に昨日、落ち込んで…もう、もう、岡崎さんがここに、来てくれなかったら…辛い、と、思って、悩んでいました」
岡崎が少し首を傾げる。驚いたようだ。
「そっ、それだけです。俺が今、思ってるのは、それだけです」
あとは何を言えば。必死に考えていると、岡崎は少し怒ったような顔をする。
「なにー?なんで、俺がもうここに来ないんだって?なんでそうなった?」
口調が思いの外強かったので焦る。
間違えたくない。けれどもう遅いのか。
「昨日俺が友達んとこ行ったから?森田さんち来なかったから?」
ひとつ頷くと、岡崎は一度思い切り眉間に皺を寄せた。
それから、ふは、と吹き出して笑った。
ああ。岡崎が笑った。ちゃんと笑った。
「なにそれ!びびるからまじやめてくんね!」
ははー、と岡崎が笑うたびに、自分の緊張が解けていく。体が軽くなっていく。
「ごめん、ごめんね森田さん。寂しかったんだ?」
寂しかった。そうなのか。俺は、寂しかったのか。