□恋で干上がるラベンダー
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きれいな黒い髪を揺らして今も、あなたはこうして青春を浪費する。

眼の前をなびいて石鹸の褪せた香りが通り過ぎていく。



この中のだれよりも体力のないわたしは、(女子だからって云うのもあるけど言い訳にはしたくない)
ただこのハードな朝のお散歩をやり遂げるだけで一杯だというのに。


ずんずんと、眼の前の男の子たちとの差は広がって行く。

一番前に居たのはわたしで、皆、後ろから来たはずなのにすいすい走って行く。



「(ああ悔しい!)」




石くんなんて、わたしよりちょっと背が高いだけなのに、敵わないんだなあ。



最後の下り坂にさしかかる。

わたし以外もペースが上がる。


兄さんの背中まであと10メートル。



公園を過ぎる。


竜くんの背中まであと7メートル。


河川敷、

宿舎が視えてきた。


支那虎くんまであと5メートル。



門まであと1分弱。



石くんに手が届きそう。

ああ、門がすぐそこに、




ゴール。


ああ、また追いつけなかった。



「今日のロードワークは終りっちゃー!」



河井くんは男の子の輪の中で、男の子らしく楽しそうに水を呑んだり喋ったりしている。


直線距離にして約8メートル。



「はい、水分」

「あ、お水ありがとう菊ちゃん」


「これくらい気にするなっちゃ」



手頃なアスファルトに腰を下ろす。

柔らかいソファとは違うけど、これぞ青春って感じのベンチだと思う。



「あ、」

密かに追いかけた黄色のポロシャツがこっちに向かってくるのを感じた。



「それにしてもお前はよく頑張ってるっちゃ。こんなハードなトレーニングも、男どもに混じってさ」

「だけどわたし、全然追いつけないよ…今日も、兄さんとなんて周回1つ分位の差がついちゃった」


「あいつらと比べるのは良くないっちゃ。お前はお前で一生懸命やったらいいんだから」

「うーん…、ありがとう、菊ちゃん」



「あ、竜児!タオルここにあるっちゃ」


竜くんにタオルを手渡すべく彼女は風の様に軽やかに駈けて行った。



今日も空が蒼いなあ。




「ここ、座っていいですか」

「あ、どうぞ」


紙コップ片手に、白いタオルを首に掛けた色白の貴公子…もとい河井くんがすぐそばに腰かけてきた。


彼が座るのに合わせて、彼の香り…こんなことを云っては気持ち悪いのだろうけれど、

河井くんの纏っている、石鹸なんだか洗剤なんだかはたまた何処からともなく出てくるあのお花なのか

よく判らないけれど彼の香りも一緒に降りてきた。





「ロードワークお疲れ様です」

「うん、お疲れ様!」



そして彼は空を仰ぐ。

ああ今日も今日とてどの角度から視てもきれいな顔立ち。



他の女の子がタオルになりたいだなんて云うのも全く以て理解できる。





「今日はペースが速かった、気がしたけど」

「そうかな、あ、でもいつもよりちょっと頑張ったかもしれない」



嘘だよ、いつも尋常じゃない頑張りなんだよ。


あなたに、



「ですよね、菊さんがベストタイムだって云ってましたから」



「…わたしが最後尾だからってこと」

…あなたに褒めて欲しくて



「え、ちょっと…ごめん、違います…そういう意味じゃなくて」

「判ってるよ」





「…」




疲れ切った沈黙が雪崩れる。


わたしの幼稚な物言いに河井くんの機嫌を損ねてしまったのかもしれない。



「林檎、」

「はい」

軽い絶望を打ち破って河井くんが口を開いた。



「きみは、」




形のきれいな、芸術みたいな色のいい唇を眺める。

ああ、善い眺め。


「きみが、どう思っているかはわからないけれど」

「ぼくは、きみは世界で一番強い女の子だと思うんです」



ちらり、軽くくばせられたブラウングレーのまなざしに、背中がぎゅっとあつくなる。




あああぁ、わたしが誉められている。


一呼吸おいて、天国みたいなご褒美は続く。



「だって君は凄いんです、」

眼を閉じて浸る様に話し出す。


「世界にはこんなに沢山の人間がいるのに、こんな身を削る様なスポーツをする人なんて、ほんの千人、居るか居ないかって位です」

瞼を開いて、真面目な顔になる。




「特に女の子なんて、絶対に縁のない様な世界でしょう、普通は」



「でもきみは違った」


大きな雲が、太陽の前を退いた。


小さな雲に日光がかかっては逸れていく。



「きみはこんな場所で、姉さんや菊さんでさえ踏みださなかった場所に飛び込んだ」



ぐっ、とわたしの視線に合わせてくる。


「(すごい迫力)」


「ぼくでさえ怖くなってしまうことがあるのにきみは止まらない」




ああ河井くん、あのね、



河井くんの白くてきれいな顔が、わたしに、柔らかく、いと自然に微笑んで見せた。


「ぼくはきみよりも強い女の子を視たことがないです」



河井くん、それはね、違うんだよ。



「だから、そうやって落ち込んだりしなくっていいんです」



「世界で一番強いきみを、守ってあげられる様に、ぼくは強いんだから」


「だから、女の子だからとか、そんなことで自分を悪く思うのはやめてください」



「ぼくはきみが、」

「河井くん、」



(わたしがこんなに頑張るのはあなたの機嫌を損ねないためなのよ)
(だからそんな事実が判った今からは更に更に、)
(頑張り続けるわ)

日光の陰った隙に、キスをした


恋で干上がるラベンダー

 

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