□粉々の朝
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その屋敷を通りすがるとかれは窓辺からわたしに手を振る。


他の家よりもすこし大きな、モダンなお屋敷には、毎晩毎日ピアノが謳っている。


それは、わたしのだいすきなかれの指から紡がれたもの。



わたしは通りすがる度、かれのすがたを浮かべながら胸をつよく鳴らす。





(あああ、かれが弾いている、これはかれのこえなのだ!)


旋律はリズムを変え、色を変え、表情すらわたしに打ち込んでいく。


(すごい、すごいなあ、)




そうしてある日、手を振る彼の眼を忍んで、裏口からお邪魔をしてしまったのだ。

だあれもいない屋敷には、わたしの呼吸とかれのこえだけが聴こえる。






そうしてかれの背中をみつめていた。





ぴん、




「来てしまったのか、」


音は走るのを止めた。




「飼い馴らされたピアニシモ…、でもぼくには隠せない」




「…」


おもくてとりかえしのつかない沈黙がしみわたる。




「…?」


「はやく帰るんだ、」



こっちを向かないまま低くかれは話し出す。


「ぼくに何の用だか知らないけれど、今日は帰った方が身の為です」




「…、」


応えあぐねていると、かれは静かに立ち上がって音も無く風になった。




「、え…?」



「聴こえませんでしたか、はやく、…」


斜め上10センチの吐息でかれが云う。




「ぼくを嫌いにならないうちに、はやく、はやく…帰るんだ、」



あまい紅茶の様な息が首元をしばる。






「あ、なたは…、」




「さあ、はや」




刹那、





わたしの中に大きな穴が開く音がして、首筋があつく痛んだ。






背中はつよい腕にはさまれてうごけない。



じわじわ、じわ、と頭にまで痛いがひびいて、世界が薄くなる。







ごめんね、と接続されたままのかれの唇から聴こえた気がした。








そうしてわたしが眼を覚ますと、とっても白い朝が来ていて、かれのすがたはただの燕尾服と砂になっていた。

わたしはこれを夢なのだと思うことにして、その砂にキスをして、また眠った。




身体がうごかなくなっていく夢を視ると、わたしはもうそこで居なくなった。







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