昨日

□逃避
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なんとなく、投影の続きです







「ほら、こんな状況だって、来てくれたじゃない、」


「金原、」

真っ白の壁面に、映えもしない水色のカーテンが、自分の手で音を立てて動く。
こんな4平方メートルの小さな個室で、ばかみたいに喜んだ。






一昨日の晩、剣城に怒られた帰りに、真っ暗の夜道で、ひとりで歩いていたら、(嘘だ嘘だ、きっと練習の帰りで、みんなと別れた後で、)
おおきなトラックに、ばあんと轢かれかけた。
うわあ、もう駄目だ、と思った瞬間にはもうどうにもならなくって、


もう一回瞬きをしたら、この部屋に居て、近くにはみんなが居て、いっぱい心配してくれた。





「林檎ちゃん、大変だったわねえ、でも怪我自体が重くなくてよかったわ、」
ついさっきの朝御飯の後、冬花さんが云った。

「はい、轢かれたなんて嘘みたいで、でも生きててよかったです、」


そう嬉しく云うと、冬花さんが一瞬止まって、そうね、と苦笑いして、点滴を換えて去って行った。





「すまなかった、」

剣城がすこしだけ泣きながら云う。

「ううん、いいの、やっぱりわたしは剣城がすきよ、」

「    」


だいじなひとことが聴こえないと思ったら、眼の前にはもう誰もいなかった。


(どうしたんだろ、)


あけてもいない窓のカーテンが、さらっと音を立てた。





「305号の金原さん、かわいそうに、まだ若いのに、こんな目に遭わされるなんて、世の中は物騒なのねえ、」
「本当だわ、ただそこにいただけで襲われて、やっぱり女の子が夜道をひとりでなんて危険すぎたのよ、」
「だけれど、交通事故だと本当に思いこんで居るなんて、よっぽど……」
「ええ…そういえば面会は?」
「金原さん、ご家族も連絡がとれていないみたいで…まだ一人も、」
「…………」









こんなわかりきった不幸せな会話をわたしが認めることはきっと一生ない。




(わたしは事故にあった、それだけだ、)
(だれにも視捨てられていないし、)
(つらくもいたくもない、)


薄っぺらいシーツが、握った手の中できゅっとなけなしの音を立てた。





【逃避】困難な状況や危険に対するとそれを免れるために病気や空想にふけること

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