昨日

□あなたは音譜の香りがする
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神童先輩がかっこいいのは、わたしじゃなくたって判ることだ。








夏本番前のリハーサルは、それでもやっぱりじんじんと蝉が喚いてみたりして、
尋常じゃないくらい汗をかいた後の肌は全部がべとべとする。


「あついよおお…」


革命の風の吹かないグラウンドは、ただの炎天下だ。
まっさらさらの公開処刑場だ。
うしろの方で走り込んでる人達なんて、ただの悪夢だ、公害だ、


「ボール、行くぞ!」

はつらつと、薄く笑ってボールをこっちにスル―してくる。
ズボンやシャツがうごいた風圧でぴらっと、ほんのすこし捲れて、日に当たる。
こんなときだって、べとべとしない汗を散らして、先輩はかっこいい。
今日もパールブラウンが激しくない程度にくせっ毛に揺れる。


「はい!」



そんな綺麗で高貴なかれに応えて、わたしは暑いのも熱いのもなんともないことになる。


かれの指先をふいっと視遣ると、あんな五本ずつのきれいな指がかたかたと音もなく揺れている。
空気をきれいになぞって、わたしの鼓動もなにかしら名曲を奏でた、らいいのに。


そうして地面にも着かず流れてきたボールを白い五線譜に沿ってまた蹴りつける。
神童先輩の指の後をなぞって、我ながら善い感じに跳んでいった。


先輩を向くと一瞬頷いて、もう違う所へ指を叩いていた。








「林檎ちゃん」

「茜さん?」

うしろから、やけにまったりした可愛らしい声がしたと思った。

「…神サマ」

「え、」

いつもと変わらない、読めない笑顔におおきくどき、となる。
彼女はいつもと変わらない、読めないやさしい笑顔で云った。


「大丈夫、怖がらないで、怒ってない」

「あ、は、はい…」


もう一度あらためてにこりと笑うと、私の真隣に来て、神童先輩に向く。


「……」

「……」


どきどきしながら、茜さんを視ると、カメラを左手に提げたまま、うっとりといつもの様に神童先輩を見詰めている。


「神サマ、かっこいい…」

ようやく呟いたと思うと、わたしに顔を向けて、唐突に云った。


「神サマのこと、好き?」

「え?」


心臓が、こころの奥でばこおん、と音を立てる。
冷や汗が嘘みたいに噴き出した。


深刻味もなく唇を尖らせ、むっとして云い直す。

「もしかして林檎ちゃん、神サマ、好きじゃないの?」

「え、ど、どうしてそんな、急に、」


「だって、私、判る」


急にすこし真顔になる。
さあっと、つめたいのか涼しいのか風が抜けた。


「何が、ですか、」



カメラをスッと持ち上げて掲げるようにして云った。


「だって神サマ、林檎ちゃんのこと、」



突然わたしの右手を、ぐいっと掴む手は汗ばんでいてあつい。

「金原、ちょっと来てくれ、話が」




いつの間にか笑顔の彼女はわたしの対角線にいて、真隣にかけこんできた神童先輩を、息のできないわたしごとフィルムにやいてしまった。





(すきだとおもう、)
(いつもみてるもの、)

あなたは音譜の香りがする


(あつい風が、涼しく抜けていった)


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