昨日

□通じ合うなら、
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細長い窓から倒れた、柔らかくて、浅い陽だまりが、神童先輩を包んでいる。


わたしたちの間には茶色のテーブルと、注ぎたてのミルクティがふたつ。
厚紙の上で視えない湯気を立てて、ちょこんと座っている。
マグネット付きのホワイトボードは、キャンパスノートの隣で寝転がったまま黙っている。



「どうした、金原」

頬杖をついていた先輩が、首を向き直して伏せがちの眼でわたしの視線を視る。
柔らかくてパーマしたショートボブが、風も無いのに揺れる。

色はちょうど、ここにはないけれど泡立ったココアみたいな、パールブラウン。
ひどくあたたかい陽射しの中でさえ、きれいで柔らかい。
くいっと動いたその些細な振動に、鎖骨がすこし艶めかしく視えて、わたしは胸を締められる。


「いいえ、なんにも」
「そうか、」

そう云って、もう一度眼を細めてカップを手に取った。


「先輩は、」


かちゃり、

先輩の、光らない眼がわたしを視る。


「神童先輩は、いま、すきなひと、いますか」


視開かれるはずだった瞳は、揺れもせず左下を向く。
上品な口角が上がって、唇がうごいた。

「…いる」
「でも、もうきっと、…会えないけれど」

最後の方はため息に替わって、でもはっきりと云った。


「そう、ですか」

頬はあつくなったまま、現実に放り投げられて行き場をなくした。

知っている。
ついこの間、神童先輩のだいじなときに出逢った、はるか昔にいた、まっすぐな眼をした、器用なあの彼女だ。
知っている。

彼女のおもいだって、間違いなく。


「……」

「……」


云えそうな言葉はあるのに、何ひとつ勇気にならない。
云いたい言葉はいくらでもあるのに、喉の奥でちくちくと切なさになって刺さるだけだ。


くらい眼をしたまま、先輩はここにないものを見詰めている。
伏せるとより長く視える睫毛がきれいだ。


「会えないんだ、絶対に」

わたしに聴いて欲しいはずもないのに、なにかを捨てるみたいに呟く。

「そう、ですね」

「…」


「でも」

あの、まろやかに歌う様な、上品であたたかいあの声が聞きたくって、わたしは口をひらいた。


「未来と、過去は繋がっています」

向い合わせの肩が、ほんの微かだけ、動いた。

「会えなくても、通じ合うなら、」

頬にぴりりと、あたたかさがはしる。


「一緒にいるのと、おんなじだとおもいます」


そう云うと彼は、一瞬切なそうにして、それでも次にはやわらかく、それでもつよくわらった。

それがなんだかうれしくって、わたしは自分の恋が実ったみたいに笑った。ほんのすこしだけ、ばかみたいにせつなく思った。

もう冷めてしまったミルクティは、焦げた胸を冷ますのにちょうどいいくらい、まろやかで、あまくて、やさしくて、まるくて、好い香りがして、濁っていて、ちょうど彼みたいに素敵だった。



(わらえないほどつらくはなくても)
(戻れないほど、あつくて痛い)

(ねえ先輩、)

通じ合うなら、

(わたしにも、すきなひとがいます)


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