昨日

□きみを見ていた
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恋は出会った瞬間に始まるんだと、この間月曜日夜9時のドラマで、エリカの好きな俳優が言っていたらしいから、たぶんそうなんだろう。








梅雨明けの桃山町は、夏にまっしぐらで、陽射しは日に日に強くなる。
初夏というのだろうか、こういう活気づいた感じは好きだ。

最近になってぼくもチームの中での役割に慣れてきたし、チームメイトのこともすこしずつ分かってきた。やっぱり、すこしでも同じ時間を共有していくことで、サッカー以外でも相手のことを知っていくのは良いことなんだなあと思う。


今日もぼくは皆と組んでキーパーの練習、それぞれで好きな風に組んで頑張っている。
端っこの方では林檎がフェンスだか壁だかに丸い的みたいなものを書いて、そこに向かってひとりきりでひたすらボールを蹴っている。
下手だ下手だと竜持や本人は言うけれど、ぼくにはそうは思えない。元々運動神経は結構良い方だったし、前にサッカーをやっていたときだって当たり前の様に一軍を張っていたぐらいなのだから、下手ってことはないだろう。かといって、自分とは違って、彼女に目だった成長期が来たようには見えないのに。

「タギ―」

「ああ、すまん」
後ろを向いて物思いにふけっていると、青砥が呼び戻すみたいに自分を呼んだ。
慌ててグローブをつけ直して構える。
「よし、こい」

青砥のふわっとしたシュートが自分の右手を掠めてネットに吸い込まれる。
こいつは、目立って力強いシュートを打つ感じじゃないけれど、それでも予想外の所から打って、予想外に絶対に入っていくんだから凄いと思う。
自分に成長期が来て、下手になっていくのも構わずに、青砥はどんどんうまくなっていく。
自分が何もかも嫌になって、(割り切った振りをして)サッカーから離れている間も、こいつだけは変わらなかった。
見た目に似合わず一途な所も含め、青砥のことは純粋に尊敬している。
無愛想で、面倒くさがりなのはちょっと困るけれど。




スパン、今日何発目かのゴールがネットに当たって落ちる。あんまりにも力強いシュートだったので、耐えきれずに目が輝いてしまう。虎太にボールを返そうと手を伸ばした所でふと背中に視線を感じた。
本当に感じたのかは分からないけれど、思い出したように振り向いた。
林檎がこっちを見ていた。
足元にボールを転がしたまま、こっちを見て悪戯が見つかった子供みたいに突っ立っていた。

「林檎ー、こっちじゃなくて、ちゃんと練習しないといかんぞー」
つい反射的に大きな声が出てしまうと、周りのみんながみんな、林檎を見る。
林檎が真っ赤になってフェンスに向きなおった。

「うわ、ご、ごめん、ちゃんとやります!」
自分はいつも空気を読んだつもりで行動するのだけれど、時たまこうやって誰かを困らせてしまうことがある。
それは、みんなより少しだけ長い間一緒にいる林檎に対しても同じことで、よく迷惑をかけたりもしたかなあ、と思う。その点についてはちゃんと反省もしている。


エリカと林檎が何やらつんつんと言い合っているのが聴こえたが、内容までは聴き取れなかった。きっと誰を見てたんだとか、そういう感じでからかわれていたんだと思う。
女子って、そういう、色んなことを考えなきゃいかんから忙しいな、と思う。
そうして、どうしてもついでに、エリカと林檎と、その横の玲華に目が向く。
最近、自分がチームを知っていくにあたって何となく気になりだした彼女だ。

最初に視たときから、なんとなくだけれど彼女が見た目以上に優れているというか、何というか誰かが視ている以上に劣った所なんてないんじゃないかと思った。
彼女の何処が優れているのか何処が素敵な所なんだろうとか注意して見ているうちに、そういう所ばっかりに目が向くようになった。
気が付いたらたぶん、最初に視ていた感じとは違う気持ちで自分は玲華を見ているのかもしれない、と考えるようになった。



好きとか恋とか、そういう気持ちを整理するにあたって、いつもぼくが思い出すのは林檎と出会ったときのことだ。
ぼくがまだ、サッカーを始めたばかりだった頃だと思う。初めてがいつだったかは憶えていないけれど、なんだか可愛いな、とか、そんな感じが最初だったと思う。
それは、明らかに同級生を見るときの感情じゃなかったし、確かな好意だった。
それは青砥とも3人で一緒に過ごすことが多くなってから、時間をかけてすこしずつ確立されていった。サッカーが巧かったから、確かにプレーの中での尊敬とか、自分にない視点を持っていて驚いたりだとか、そういう選手として見たときの彼女も素敵な所は多くある。でも、それ以上にただの女の子として見たときの彼女に惹かれていたような気がする。
ただ単に、見た目が好きだとか、それもあるし、ありきたりかもしれないけれど、思いやりがある所や、すこし厚かましいのに、気遣いのある所とか、朗らかなくせに、口下手な所とか、口で言えないくらい彼女は素晴らしい人間だと思う。それは今でも変わらない。




こんなことがあった。
ぼくがまだ、サッカーを辞めようと思い始めただけの頃だった。
「林檎は、サッカーが下手な男子はかっこわるいと思うか」

林檎にボールを蹴ってもらい、受け止めながら顔も見ずに唐突に訊いた。
「どうして」
「ぼく、最近、サッカーが下手になってきたんだ」
「コーチも言っていたよね、どうしてだろう」
心配そうに、彼女はぼくの顔を向いて言う。

「わからない、でもいつも通りやってるはずなんだけどな」
「そうだよね、わたしもそう思う」
努めて軽くは言うけれど、彼女はそんな気持ちを見透かす様に深刻なまなざしでぼくを見る。

ちょっと下を向いて林檎が黙る。ボールは足元に転がったままだ。
「林檎?」

「多義くん、」
彼女が何歩か駆け寄って、ぼくの手を握る。

最近随分と付いた身長の差を埋めるようにぼくを視上げて真剣に、泣きそうな顔で言う。
「多義くんはかっこわるくなんかないよ、どうしようとしてるのか、わたしは止めないから、」

そういえばと思い出したように、あつく曇った空から、スコールみたいな雨が響いた。
女の子の前で泣いたのなんて、初めてだった。





あれは紛れもなく好きで、恋っていうやつで間違いない。
いくらそういうのに疎いぼくでもそれくらいは分かる。
だから、あのときの、ああいう、言葉にできない感情を好きって言うことの定義にすることにしている。

そう、自分は林檎が好きだった。
あっけらかんとして見えて、その実気高くて、実直で、やさしくて、きれいな彼女のことが本当に好きだった。

だけれど玲華に出逢ったことで、彼女を知り始めたことで、自分が何となく変わってきた気がする。


昼を過ぎた所で、コーチが練習の終了を告げた。
今日は杏子さんと何かしら予定があるらしい。


ぼくらは昔馴染みなだけあって、家も近所だから行き帰りは一緒なことが多い。
けれど最近になって、林檎が帰りに竜持に捕まることが多くなった。あいつの小言は長くて、ぼくを待たせるのも申し訳ないと林檎が言うから、そういうときは青砥と二人で先に帰る。
林檎は竜持に嫌われていると常々言うけれど、それはまったく逆のことだとぼくは思う。あいつは頭が良いから、本当に嫌いな相手とは口を利かないどころか関わりもしないだろう。けれどこういうことに関しては変に不器用なのか、素直に気持ちを言えない所がある。林檎に対してやたらと絡んでいくのもきっとそういうことなんだと思う。だから、要するに、林檎は気付かないだけで、そういうことなんだと思う。

最近になって、ぼくは気付いたことがある。あんなに好きだった林檎のことをこんな風に客観的に見詰められる自分がいることだ。きっと好きなんだって思ったときはこんな風に思えなかった。彼女に関わる全てに嫉妬さえしてしまったかもしれない。
かといって、彼女のことがもうどうでもいいとか、そういうことではない。一緒に話していると楽しいし、二人で出掛けたりすることだってある。こんなに一緒にいて、彼女がセロリを食べられないと知ったのも、つい先週のことだ。


つい先々週くらいだったか、エリカたちが話しているのを聴いた。
うちはいつかめっちゃいい女になってゴン様を振り向かせるんや―と高らかに叫ぶエリカに、
「気をつけないと、恋愛って3年しか持たないらしいですから」
竜持がピシャリとかぶせた。
「生物学的な話なんですけど、3年経ったら家族愛に替わってしまうらしいですよ」
えー!とエリカが金切り声を上げる。
周りのみんなはそれに乗って笑う。

聴いていてひどく納得した。
3年とかの根拠は分からないけれど、もしかしたらぼくは、片思いの内に気持ちを消化してしまったのかもしれない。そう思うと、自分に申し訳ない様な、淋しい様な、期待を裏切った様な気持ちになった。


「青砥は、帰らんのか」
片付けに参加する風もない青砥は、何事もないかのように元いた場所に戻ってリフティングを始めている。
「まだ帰らない」
「そうか、」
そう言ってちらりと玲華を見ると、いそいそと帰る支度をしていた。
いつも練習が終わったあとに、同じ公園で練習しているのを知っている。

「林檎は?」
青砥に聴くと、無言のままベンチの方を指差した。

いつもの様に次男坊の小姑に捕まった林檎が困った様な顔で首を伸ばしてこっちを見る。

「待ってた方がいいか」
「ううん、先に帰ってて」
「わかった、またな、その、がんばれよ」


目が合うと、ごめん、と首をすくめてもう一度居直っていた。


「じゃあ、ぼく、先に帰るから」
青砥に手を振ると、青砥は何か言いたそうにぼくを見た。

「どうした?」
「別に」
「そうか」

そういって背を向けて歩きだそうとすると、青砥が駆け寄ってきた。

「タギ―」
「うん?」

「タギ―、林檎のこと好き?」
直球すぎる質問に、一瞬だけくらっとする。

「どうしたんだ、急に」
「好き?」

曖昧に流したい衝動に駆られる。
色んな昔の感情が戻ってきて、渦を巻く。
答えを出すと心が軽くなるけれど、なんだか悲しい様な気もしてくる。
これはきっと切ないというやつだ。

「ああ、好きだぞ、青砥と同じくらい」

「…わかった」
笑って答えると、青砥はそのブルーの瞳をちょっと不満げに揺らしてすぐにリフティングに戻っていった。







家に帰って昼食を食べたあと、不覚にも転寝をしてしまった。時間を確認すると、玲華のいつも練習している公園に向かう。


「あ、多義くん!」
灰色のスポーツバッグを抱えて林檎がぼくに手を振った。

「ああ、林檎か、どうした、もうすぐ夕方だぞ」
「わたしは小姑さんに絞られてきたところ。多義くんこそ、どうしたの」
「はは、林檎も、厄介なのに気に入られて大変だなあ」
案の定の答えと顛末に、先程からの切なさと微笑ましさが混じる。
「気に入られてなんかないよ、むしろその逆なんじゃない」
「いや、嫌いなやつをあんなに構ったりはしないと思うぞ、竜持は」
「そうかなあ」
思ったままを言うと、林檎は不満そうな顔をした。
今日は青砥と言い彼女と言い、何かがかみ合わないみたいだ。

彼女の顔を何となく見ないまま足だけは前に進んでいく。
なんだかすこし気まずい様な、林檎が遠い様な、そんな感じがする。
「今日は、何かの用事?」
「うん」
上の空で、何にも考えずにふわふわと答える。
彼女以外の予定なんてなかった頃を思い出す。
「なになに、デート?」
的外れの詮索に肩透かしを食らう。
「うーん、そういう感じじゃないな」
「え、誰と誰と?」
「…それは言えん」
急にやましいのか何なのか良く判らない気持ちになる。

「」
林檎は急にショックを受けたみたいな顔になって、開きかけた口をつぐんでしまう。
「え、そう、なんだ」

涙の滲んだこえに、胸が痛くなる。
ごめんな、そんなつもりではなかったんだ。

ひゅ、と風がひとつ吹き抜けていった。
ぼくはとある決心を林檎に打ち明けた。


「林檎は今、好きな奴とかいるか?」
昔、何回か聴いたことがあるかもしれない質問。
「いる」
涙声の冷めないままで間髪いれずにそう返す林檎に、心があつくなる。
ああ、彼女を好きになったことに間違いはなかった。
「そっか」
こんなに穏やかでいいのだろうか、こんなにぼくは、彼女が、
自分の今の気持ちと、実った幼い決意が、ぼくの瞼をつきんと刺す。

「さよなら、」
ぼくの初めての恋よ、ぼくさえ強ければあったかもしれない未来よ、弱虫のぼくよ、君を好きだったぼくよ、さよなら、
そう心から呟いて、彼女の頬に口づけをする。
唇じゃないのは、自分なりのけじめのつもりだ。きっとまた彼女には伝わらないだろうけれど。
目を見開いて、無表情のまま、ぼくを眼で追う。

いたたまれなくなったぼくは、彼女の背を押して引き返させる。
「またな、気をつけて帰るんだぞ」

走ってくる玲華を横目に見つけて、ぼくの初恋はかっこわるく終わった。

(今までありがとう)

(最初からぼくは、)

きみを見ていた

(あしたから、ただそれをやめるだけだ)

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