昨日

□あなたの視ている世界が視たい
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こんなに近づかないと、彼の瞳はきちんと視えないのだということに気付いた。









鬼道くんは、触れられない。





あんまり砕けてくれない鬼道くんは、カリスマ性こそあれどわたしを直接見視てくれる様な近さを持っていない。



制服はきっちり首まで着こなしているし、その長袖を脱いだと思えば今度は長くて重いマントで隠れてしまう。



ほっぺも瞼も、あおいあのゴーグルで包まれてしまっていて、とっても遠い。





だから、おなじフィールドの上に居たってわたしは一度だって彼に触ったことがないのだ。










そうして今回、鬼道くんにとってもわたしや他のチームメイトにとっても大きな事件が起きてしまった。



わたしは眼の前で、その人の名前を叫んで泣く鬼道くんを視ていた。


そうだよね、鬼道くんも泣くんだね、なんて思いながら何にも云ってあげられなかったばかなわたしは、結局のところ、鬼道くんの視る世界なんて視ることはできないんだろう、佐久間くんが云っていた様に。




鬼道くんは、おかしいくらい泣いているのにゴーグルを外さなかった。






それは、わたしたちとの間にある絶対に超えられない決定的なバリアみたいな気がした。








あれからもう二晩が経ったのに、わたしは鬼道くんをいまだにきちんと助けてあげられない。



あんまり御飯も食べないし、話しかけてもちっとも返事をしない。


練習だって、気が付いたらすぐに何処かに云ってしまうし、追いかけるといつもひとりでエリアの外れで空を視てぼんやりしている。


何を考えているのか、どんなに考えても判らない。

どうしてこんなにひとりになりたがるのか、がんばってもがんばっても、完璧に共感してあげられない。



だけれど紛れもなく心配で心配で、ただでさえ居なくなって欲しくない鬼道くんがこれ以上傷付いて遠くなってしまうことが我慢できなかった。







「鬼道くん、」





誰もいないグラウンドでいつもと同じに夕焼けを視ている鬼道くんの背中を追ったけれど返事はない。





どうせ期待なんてしていないけれど。







「鬼道くん、大丈夫、あのねわたし、おこがましいけどね、鬼道くんが心配なのよ、」






鬼道くんはちっとも動かないでずっと斜め上を視ている。



紅いマントは揺れもしない。


本当は空なんて視て居ないのかもしれない。




でもね鬼道くん、わたし全然判らないけどね、そんな所を視ていたってあの人はもういないのよ、



「だからね、死んだりしないでね、鬼道くんは絶対に死んだりしないでね、絶対よ、」





わたしの声は少しずつ、微妙な気遣いに負けて小さくなるけれど、どうせ聞いてなんかいない。






「ねえ鬼道くん、」





どうして返事をしないの、鬼道くんはここに居るのに。




「こたえてよ、鬼道くんはまだ、いきてるでしょう、」


瞼がぐさりと痛くなる。






「…金原、おまえは、」




前触れなんて無く低くて鋭い鬼道くんの、刺さる様なあの声が鳴りだす。





「おまえは、だれかを神様みたいだと、思ったことがあるか、」




マントも身体も、少しも動かさないで鬼道くんが云う。





「ないよ、」




「…おれには、影山がそうだったんだ、」





後半がかすれて、すこし小さくなる。





「おれがするべきことを、ほしかったものも、あの人なら、あの人は、、」






ちょっとだけ、鬼道くんの背中が低くなった。


接続詞が聞き取れなくなった。




「鬼道くん、」



5歩前に出て、肩に触ると鬼道くんは、振り返って下を向いたままわたしにもたれ掛かった。




「金原、今まであんなに大変な思いをしたのに、でも、おれは、」




「うん、」




「紛れもなく、大事な人、で、おれは、あの人をずっと追いかけていたんだ、」





鬼道くんの泣く音が斜め8センチ上で聞こえる。





「何度も何度も、会えていたから、あの人がたいせつな、ことを、思い出した、今回も、また、今回こそは、」






そうだ、あの人はわたしたちを殺そうとしたり、鬼道くんを連れ戻そうとしたりして、何回だって帰ってきたのだ。





「今度こそは、本当に、何の負い目も無く、一緒に、昔みたいに、」


「うん、」



わたしのほっぺにも、鬼道くんと同じ水が流れて細い川ができる。




「何かが変わって、ちゃんと、あの人が本当に幸せになって、」


「うん、」




ひどく声が震えて居いて、かくいうわたしも、相槌を発するのでいっぱいだった。





「楽しくサッカーをして、普通に、明日が来るものだと思っていたから、」



「うん、そうだね、」






「こんなことは、信じたくなくて、でも、」



「うん、」





ポケットからサングラスの欠片を握り出して云う。





「ぜんぶ、夢じゃ、なかった、から、」



「そうだよ、」






「おれは、生きてるから、また、残されて、しまったけれど、」





また、とは、ご両親のことだろうか、わたしは、鬼道くんのつらいを漠然と半分背負うしか出来ない。






「だから、これからも、鬼道く、は、生きて、よ、」






鬼道くんをさらにぎゅっと近付ける。





返事は返ってこない。






鬼道くんは、手を動かしてゴーグルを剥がす様に脱いだ。





一言も発さない。







鬼道くんとわたしの頭が密着した。










触れたことのなかった鬼道くんは、思ったよりも温度のある人間だった。






「ありがとう、」



耳元で聴こえた囁きは、顔を外して2秒すると、念を押す様にもう一度届いた。








(ああ、あなたの瞳をようやく視れたけれど、わたし、)
(あなたをどこまで見詰めていられるんだろう、)

あなたの視ている世界が視たい

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