昨日

□信者でもいいや、信じてる
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何やら大変なことになった。



「俺は、雷門の監督を降りる」



なんの説明もなしに、監督はとつぜん監督じゃない人になって、居なくなってしまったのだ。





「コーチが…監督だなんて、あんまりにもわたし得すぎる」

だれもいないロッカールームで、ちいさく呟いた。






だからって、円堂監督が監督じゃなくなったなんて、全然思っていないけれど。




知らない誰かが来るよりもどころか、願ったり願ったり叶ったり叶い過ぎたりだ。






「次!腹筋500回!!金原もだ!」


きりっと立って凛っと監督が指示を出す。

始まれば始まった所からパス練習、試合形式、だなんてアットホームに楽しく練習していた円堂監督の練習とは大違いだ。


そして唯一の女子であるわたしにも、容赦や手加減はない。


(当然なんだけど、)



数字を聴くだけで本当は涙がにじむけれど、鬼道監督の云うことならわたしは聴かない理由なんてない。



「西園!ペースが落ちているぞ!倉間!終わっていないぞ!休むな!」



非現実的とも思うほどの練習量ではやっぱり、みんながみんな簡単についてこられる訳がなくて、何人も(ほぼみんな)汗だくで命からがら、という体だった。



「き、鬼道、監督って、す、すっごく、スパルタ、なんだ、ねえ…」

「り、林檎…大丈夫…!?」


わたしがふらふらと、休憩時間に座り込むと天馬が心配そうにのぞきこんだ。


「うん…わたしって、ほら…もとも、と、ぜんぜ、体力が、ない、からさ、あ…」

息を吸ってる気管支が既に痛いほどだ。


「天馬は平気…?」

「平気、って訳じゃないけど…」


ちらりとみんなを視やると、わたしほどじゃないけれどだれを視ても似たり寄ったりだった。



口々に不平を漏らしている。


「林檎はさ、どう思う?やっぱり、監督は無茶なことを云ってるだけだと思う?」

天馬が空を仰いで尋ねる。


わたしは迷わないで云う。


「ううん、鬼道監督はとっても素敵な人だから…絶対に、それはないと思うの」

「そう、だよね…やっぱり何か考えが…」

「うん、っていうか、これを続けたら本当に強くなれちゃいそう」


「でも、林檎は楽しそうだよね」



「え?」


天馬が、意味深な笑みで云う。


「みんな、こんなにつらそうなのに林檎だけ、すごく楽しそう」


びゅわっと風が渦を巻いて吹き抜ける。



「ふふふ、監督がかっこいいからかなあ、」



気を取り直して笑みをつくる。
飛行機雲が、しゅうっと溶けた。



だってあの鬼道監督なのだ。
間違ったことなんてするはずがないのだ。





そう思って、練習の後に監督の元に駆け寄った。



「鬼道監督!おつかれさまです!!」


「…金原か、元気だな、まだ練習が足りなかったか、」


立ち止まって、軽くわたしを見下ろす。


「そ、そうじゃないです!すごくやりごたえがありました!でも、」


監督の眉がすこし動いた。

「……なんていうか、その、」


「云いたいことは、判らなくもない、だが、」


突き返されそうな雰囲気に耐えきれず、わたしは口を開く。


「あっ、そ、そうじゃなくて!わたしはその、練習がいやだとか、全然思ってないです!監督は考えなしに何かする人じゃないって思いますから…!えっと、」


ふわっ、と監督の長い指をつけた掌がふってくる。

すこし眉を下げて云う。



「そうか、明日も同じメニューをこなすことになる。疲れを残さない様に今日は、はやく休め」

特にお前は、女子だからな、



「はい!明日もがんばります!」



真っ赤に消えて行く、凛々しい背中を見送ると、なんだかすべてが吹き飛んだ気がした。




部室の中でさえ、ひどく不審な空気は変わらなかった。


天城先輩は監督を善く思っていないみたいだった。

それでもわたしは云ったのだ。


「鬼道監督は、円堂監督が任せた人です!円堂監督の出来なかったことをしようとしてくれてるんです!凄く賢い人だし、本当に素敵な人だから、絶対にわたしたちを強くしてくれます!だから信じて善いって思います、わたし!」


と云ってすっきりしたのはどうやらわたしだけらしかった。







「え、信助、こないの、どうして、今日も鬼道監督、くるよ、」

ある日、信助が練習にはもう行かないと云いだした。
何でも、鬼道監督のやたらハードすぎる練習は意味が判らないそうだ。




「でもね信助、監督は…」


「判ってるよ!ちゃんと考えがあるって云うんだろ!ほんと、林檎は鬼道監督信者なんだからさ!昨日の帰りだって楽しそうに…好かれてるって善いよねえ!」


「信助!それは云い過ぎだって!」


吐きだす様にわたしに云い放つ信助との間に天馬が割って入る。


「とにかく!ぼくはもう練習に出ないからね!説得したって行かない!」






こんなやり取りがあったって、わたしの気持ちは誰にも伝染しないみたいだった。

緑さんまでもが、監督をいやな眼で見ている。


(だれも笑わない…まるで軍隊みたい)



そんな風にして、確実に1日が過ぎて行った。


鬼道監督はちっとも態度を変えなかったけれど、わたしはぜんぜん苦痛じゃなかった。







信助の説得にはついて行かなかったし、先輩たちの会議を眼の前で聴いてもいたけれど、すこしも不安にはならなかった。





そうしてその2時間後に起きる奇跡なんて、わたしにはとっくに予想済みのことだった。


(おまえがいちばんに気付いてくれてありがとう、と)
(いってくれたときのあのやさしいこえは一生)
(やきついてはなれない)

信者でもいいや、信じてる




信助に、「信者」って言わせたかっただけ。

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