昨日

□内に秘めない本音
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「林檎ちゃんは、やさしいんだね、ありがとう」


「ううん、いいんだよ、有人くん、痛かったもんね、あの子たちが悪いよね、」





そういってわたしは濡らしてきたハンカチでかれの膝頭を撫でる。
かれはすこし眉をひそめたけれど、嫌な顔をしなかった。


「そうだよね、でも春奈が怪我をしてなくてほんとによかった、」



強気な瞳をして、やさしくそう云うかれはとても魅力的で、わたしの胸はひどく痛く鳴った。




「そうだね、有人くんって、ほんとにつよいね、かっこいいよ、」



かれから視線を外して、あつくなった顔で云う。




「そうかな、だってあいつはおれが守らなきゃいけないんだ、お兄ちゃんだから、」





眼を閉じて凛と、おさなく云い放つかれは、最初からわたしの不動のMVPだった。










鬼道くんを、わたしはこの中の誰よりも昔から知っている。

かれが憶えているかは、判らないけれど。











鬼道くんと出逢って、わたしにとっては18年が過ぎた。


そのなかでかれと同じ場所で過ごしたのが4年とちょっと。
かれを追いかけて、帝国の中等部に滑り込み、雷門にまで、ライオコットにまで、つまり中学の3年間。

ずっとずっと幼いときのことなんて、わたしだけが憶えていて善いのだ。







出逢った頃の、直接瞳を見せてくれて、あかるくつよくだれかを守っている鬼道くんじゃなかった頃の鬼道くんは居ない。

帝国に入ってすこしして、ひどく頑なで、一生懸命で気高くて寂しそうだったあのかなしい背中はもうない。

あたらしい中学に行って、すこし楽しそうになった、ただの聡明な14歳の少年のしろい首筋ももうない。

あおいユニフォームを着て、いつになくはつらつと走りまわって跳びまわった、賢くて凛とした、みんなに好かれていたあのまっすぐなほそい足はもうだれにもパスを出さない。










「鬼道監督、」

「なんだ、」










こうして昼の高い空の中で色んなやり取りがされて、太陽が色を変えて空が暗くなる。




わたしはちゃんと、太陽が何周もするのをずっと、かれごと視ていた。








「なあ林檎、」

「なあに、」




子供たちを帰したあとの、帰り道の鉄塔下でかれが云う。




「興味がなければ無視してくれて構わないんだが、その、おれは、昔と比べて変わったと思うか、」


そんな風に、顔の半分を緑色のサイバーチックなサングラスで隠したまま、ちゃんとこっちを視て鬼道くんが云う。





「かわったよ、みんな、なにもかも、1秒でも時間が過ぎるなら、そのままじゃいられないから、」


「そうか、もう少し具体的に、訊いても善いか、」





やさしい、つめたいカフェラテのような声で云う。








「わたしたちはもう、子供じゃない、そしてね、もう将来に夢を視ることも無いわ、」

「それにね、もう何かで頂点を目指してはしりまわるのは、わたしたちじゃないわ、べつに、大人として頑張ることは不可能じゃないけど、」

「誰かに教えてもらって、守ってもらって、導いてもらうのはもう終わったんじゃない、鬼道くんも、」

「あのころはだれかに支えられて前をみてはしるだけで一日が簡単に過ぎたわ、でももう違うの、立場や地位を持って、そうして与えてもらった役目を頑張って、過ごすだけ、」

「色んな、知りたくないことをしって、亡くして、でもね、わたし思うの、」




いまだってわざわざこうして、だれかの大切な時間を守るために戦いに来てくれたのだ、

慕ってくれるものだってなげだして、





そうして顔の横にわたしの顔をぐっと近付けて、めを閉じて云う。




(なにが移って替わろうと、あなたがうつくしいことだけは変わらないんだよ、)
(それだけはわたし、云えると思う)


内に秘めない本音

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