昨日

□触れられる偶像
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わたしが、女の子のくせしてどうしてサッカーをはじめて、未だに頑張っているのかなんてことは、ただのひとつの理由で片付くのだ。


はじめて、あのひとを画面越しにみた、あの瞬間の、あの気持ちだけで世界のすべてなのだ。








定期入れの中の貴重な、ブロマイドに元気をもらうのはわたしの長い間の日課である。



手に入れようと思っても、わたしはイタリアのサッカー界につてがある訳じゃないし、非公式のものを手に入れる術を知らないから、と待ち焦がれて数年前に、雑誌の応募者サービスについてきた、鬼道選手の、(今は監督!)オフショットのブロマイド。

何やら白塗りの壁をバックにして、太陽のある方を斜め30°ほどに向いてさわやかに微笑んでいる、私服姿の写真で(素顔!!)、

かれに出逢うことなんてなかった(出逢うはずもなかった)中での、わたしなりの尊敬の示し方だったのだ。












「ああああ……!今日も素敵でs」

「あ、金原じゃん、何それ、」


部活直前のロッカールーム、恒例の日課の最中に、たれ目のバ狩屋が侵入してきた挙句、わたしの手から定期入れごと大事な宝物を奪い去った。





「ちょっと、やだ!!なにすんの返してよ、わたしのやつ、それ!」


「やーだねっ!あれ、これ監督じゃん、なんでお前がこんなん持ってんだよ」



わたしよりも何センチか高い所に定期入れを持ちあげてひらひらさせながら、じろじろと見て云う。



「何でもいいじゃない!恥ずかしいから返しなさいよ!それはわたしの大事な元気のみなも…」





云い終わらないうちに、瞬間、バ狩屋が例の悪どい悪どい、にまあっとした笑顔になってわたしを視返して静止するや否や、



「善いこと聴いた!!よっしゃ、これ先輩たちに見せびらかしてこよっと!!」



大声でとんでもないことを宣言し、くるりと踵を返して走りだした。




「やだ!やめてよばか!ちょっと、バ狩屋あああ!!」



こんなことがもしも、もしも本人さまに知れてしまうなんてことがあったらとんでもない。


わたしは力の限り青い髪の(小)悪魔を追いかけた。






自販機を通り過ぎ、ミーティングルームを突きぬける。



ながいながい廊下を突き当たり、狩屋は部室等の階段を駆け降りる。



外に一歩出ると、綺麗なサッカーグラウンドが広がる。






その間中、走る走る。





チームメイト達の姿が遠目に見え始めて、いよいよ諦めようかと、息の切れた(情けない!)頭で悟り出した頃、緑色の双眸と紺色の四角くて細長い肩が視えた。



(うわああああああああ!!!)



その向うには先輩たちの輪があって、きっと(バ)狩屋はそっちしか見て居ないんだろうと思われることに、とっても麗しい、監督という存在ごと突っ切って行こうとしている。




「バ狩屋!前、前!監督!!」


「ええっ!?うげっ!!」





狩屋がわたしを一瞬振り返り、定期入れをふっ飛ばしながら急ブレーキをかけて辛うじて停止したことで、接触事故は免れた。


だけれど、






「……狩屋、金原、何をしている」



「ひいいい!!」


綺麗に整って、きりっと吊った茶色の眉がぎっと締まり、眉間がぎゅっと寄っている、声のトーンが幾分か低い、そして何よりしゃがみこんでこのアンタッチャブルな定期入れを拾い上げんとしている、この状況はもう明らかに事故だ。むしろ大事件だ。



いつの間にか右に並んだ、諸悪の根源を視遣ると眼を泳がせて云った。

「そ…それ、いや、あの、拾ったんで、誰のかなーって、あ、あはははは」


じゃあ、俺、準備を手伝わないといけないんで!と全放置で駆けて云った。





ひどい、それはひどいじゃないか。

今度ラーメンおごらせてやる。


身体も顔も、火が出そうなあつさだ。恥ずかしすぎて今だったら死ねるかもしれない。





「これは、」


拾い上げた定期入れの中身をまじまじと見て監督が云う。




「…ごめんなさい、わたしのです」


溜息を吐きながら正直に白状した。





「…ふっ、そうか」




ほほえましそうな顔をして、監督がわたしに手渡す。




「…これは、どこで入手した?」



すこし落ち着いた、いつもの声で訊く。



「イタリアの雑誌の、応募者サービスのやつです、たぶん2年くらい前の、」



「あの時のか、懐かしいな」


表情が少し緩んで、ブロマイドに視線を(たぶん)落とす。


わたしから視て、必然的に20センチ以上は上にその根っこはあるのだけれど。



「憶えてらっしゃるんですか、」

何でもないことのように、頷いてたのしそうに応える。

「憶えているよ、チームメイト全員で色んな写真を撮った」




「そうなんですか、」




「サングラスを取るかとらないかでもめたんだ、俺は取りたくないと云ったが、」


すこし肩をすくめる。


「サングラスをしたままの写真も、おそらく本当はあったんだが、そうか、こっちが採用されたんだな、」




「あの、」


「何だ」


監督の眉が上がる。




「監督としては、迷惑じゃないですか、こんなの持ってるの、嫌だったらお返ししますから、あの、」



監督の、幾度となく画面越しでも実際にでも視てきたあの、かたちの善い唇の端が上がる。







「何故だ、別に構わない、というかむしろ」


監督の、狩屋や天馬よりもおおきな手が、わたしの頭に置かれる。


「素直にうれしいよ、」




こうしてわたしは一生分の元気を一遍にもらって枯れていくのだった。






触れられる偶像




(だったらいいんです、心おきなくわたし)
(あなたがすきです、今日も)
(あらゆるあなたに元気をもらって無理矢理にでも生きますから)

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